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14.運命の姉妹

 後部の荷物入れでは、まだ三人が好き勝手に荷を漁っていた。ジャックが戻ったと分かるや、アリスとヘンリーはバツが悪そうな顔を浮かべる。その反面、ソフィアは同行できるのが嬉しいとばかりの笑顔であった。自分が気を揉んでいるのに(のん)()なものだと僅かばかりの反感を抱くが、言っても詮無きことと思い直し、アリスの頭を荒々しく撫で回し、ヘンリーの腹を肘で小突くだけに留める。


「遅かったじゃないかジャック君。済まないが勝手に漁らせてもらったよ。だが薬らしきものが見付からなくてね。風邪薬はどこにあるんだい?」

「そこの救急箱の中にありますよ」

「救急箱というと、これのことかい?」

「ええそうです。今コップと水を用意します。少々お待ちを」


 ジャックはソフィアに二錠の薬剤と、飲料水を紙コップに注いで渡す。ソフィアが薬を飲んだことを確認してから、アリスとヘンリーがくすねた菓子と煙草を取り上げる。


「ソフィア殿。その薬には飲んだ後に眠くなる成分が含まれております。狭い車の中ですが、体力の回復と温存にお努めください」

「済まないね。ところで随分と話し込んでいたようだが何か問題でもあったのかい?」

「……いえ、ただの世間話ですよ」


 ソフィアとジャックが乗車すれば、アリスとヘンリーもそれに続く。

 ネイロの西門を出る頃にはソフィアもうつらうつらと船を漕ぎ始め、岩山の渓谷に到着する時には、座席を倒して毛布にくるまり、完全に寝入ってしまった。

 呼び掛けても返事がない深い睡眠状態にあることを確認してから、ジャックは小声でアリスとヘンリーに呼び掛ける。


「アリス。ヘンリー殿。聞いてほしいことがある。まずい状況になってしまった」

「うん? どうしたよ」

「どうかしましたか」


 聞き返す二人の声も、ソフィアを気遣って小さいものになる。


 ジャックがアルデバランとの遣り取りを――奴隷制に関する議論の制止要請を断った結果、脅迫を受けたことを――要点を絞って伝えれば、アリスは困ったような顔をした。ヘンリーに至っては苦虫を噛み潰したような顔をする。そして絞り出した言葉が。


「お前が強情な人間だと知ってはいたが、そこまで馬鹿とは思ってもいなかったぜ」


 という罵倒であった。


「ジャック、答えろ。どうしてそんな無茶な真似をした。教会の人間に逆らったところで良いことがないくらいお前にだって分かるだろ」

「私は嘘を吐けない性質でな。何より現在のアリスを取り巻く環境を、とてもではないが容認できなかった。ゆえに主教殿と決別してしまった」

「この馬鹿野郎が」


 ヘンリーはジャックの背凭れを蹴り飛ばす。


「止せ、やめろ。ソフィア殿が起きる。巻き込んでしまったことは謝る。それでヘンリー殿、アリス。今回の遠征では何が起きるか分からない。私が言うのも何だが用心していこう」

「いや、待て。そこまで気を張ることもないと思うぜ」


 ヘンリーが言えば、なぜそう言い切れるのですか、とアリスは当たり前の質問を寄越す。


「主教サマや騎士サマが直接出張ってくるのか、それとも雇われの暗殺者が来るのかは分からねえ。だが俺達が挑むのは渓谷の最奥だ。普通なら馬で、もっと時間がかかるところを、この車のおかげで一日もかからずに行けるんだ」


 誰が来たって追いつけないはずだぜ、とヘンリーは断じる。


「逆に言えば、追いつかれるとしたら夜だ。野営をしている時になるだろう。少なくとも昼間の狩りには支障はないはずだ。そもそも、俺達をやっつけたら誰が聖女サマを保護するんだという問題が出てくる。相手もそこまで無茶をしないはずだぜ」

「なるほど。流石はヘンリー殿だ。それを聞いて安心したよ」

「お前はもう少し反省しろ。そんなんじゃ長生きできねえよ。まあ、いい。もっと言えばだ。聖女サマ御一行がいつまでネイロ村に逗留しているのかは知らねえし聞かされもしねえだろうが、今日で城塞都市までの怪物は狩り尽くすんだ。聖女サマだっていつまでもネイロ村に留まっているわけじゃない。これまた逆に言えば、御一行が去ってしまえばこっちのもんだ。主教サマも、いつまでも俺達に関わっているほど暇じゃねえだろ、きっと」

「ふむ、分かった。それにしても改めて済まなかったな」

「それに関してはもういい。それよりも問題は聖女サマの体調だ」

「風邪薬ならもう飲ませたぞ。熱も下がっているように見える」

「ただの風邪ならそれでいいだろうさ。だが風邪じゃなかったらどうする?」

「どういう意味だ」

「こっちの世界には子供が(かか)りやすい、それでいてタチの悪い()(やり)(やまい)なんていくらでもあるのさ。俺にも昔ガキがいたから分かるが、いつ体調が急変したっておかしくねえ。その場合は探索を中断して引き返す――もしくはそのまま城塞都市に突っ込んで医者に診てもらうことも考えなければならねえ。アリス嬢。同じ後衛として聖女サマの容態には目を光らせておけよ」


 話を振られたアリスは、はい分かりました、と返事をする。だがそれよりも、ジャックには子供がいた、という旨の発言が気になった。過去形である。


「ヘンリー殿。結婚していたのか」

「ふん、昔の話だ。一緒に冒険者をやっていた相棒みたいな奴と良い仲になってな。ガキまでできたんだが、生まれた時に女の方は死んじまってな。せめてガキだけでもしっかり育てようと思った矢先、大流行した熱病にやられてそいつも死んじまったよ。おかげで今じゃ優雅な独り暮らしを謳歌しているというわけだ。――けっ。お前が変なことを聞くからつまらねえことを語っちまったじゃねえかこの唐変木」


 毒吐いたヘンリーはまたもジャックの座席を蹴り上げる。悪いと思ったジャックは、後ろを見ずに、胸ポケットから取り出した煙草を箱ごとヘンリーに投げつける。ジャックなりの誠意ある詫びのつもりであった。


「お前とアリス嬢を見ていると昔の自分を思い出すからいけねえぜ」

「それはどういう意味だ。私とアリスはそういう関係にはならない」

「人間、今はそうでなくとも今後はどうなるか分からねえだろうが。そこで言い切るあたり、お前には女心が分からないようだな」

「ほっといてくれ。何かを察して動くのは苦手なんだ。アリス。君からも何か言ってくれ」


 ジャックがアリスに救いを求めれば、話を振られると思っていなかったであろうアリスは、いつもの困り顔を浮かべて。


「わ、私は。ジャックさんともっと仲良くなりたいです」


 と言った。その抗議するような眼差しを受けて、既に悪くない仲であるはずなのにこの娘は何を言っているのだろうか――とジャックは本気で思った。




 昼間の狩りをつつがなく終えて夜を迎えた。河原に停めた車の側に焚き火を作り、ブルーシートを敷いて、ジャックは何をするわけでもなく火を見詰める。


 ヘンリーは車内で眠っている。今宵の(しょう)(かい)はアリスとジャックの番であり、自分も起きていると頑張っていたソフィアはアリスの膝を枕にして穏やかな寝息をたてている。昼間と夕方に薬を飲ませたこともあり体調は今のところ安定していた。アリスは薄く微笑みながら、ソフィアの身体に毛布を掛けてやる。こうして見れば姉妹のようだと斧槍を肩に担いだジャックは思う。ジャックの視線を察知したアリスが顔を上げて首を傾げる。


 灯にユラユラと照らされるアリスの顔がジャックには美しく見えた。この時、ジャックの本能は確かにアリスに見惚れていたが、肝心の理性がそれに気付かない。ゆえに。


「いや、なに。まるで姉妹のようだと思ってな」


 というどこか言い訳じみた感想しか述べることができない。


『ジャックさん。まるで、ではありません。私とこの子は本当に姉妹なんですよ』


 アリスは慈しむかのようにソフィアを見て言った。

 どういうわけか日本語であった。


『姉妹とは。どういうことだ』


 きっと聞かれたくない内容なのだろうと()(はか)ってからジャックも日本語で応じる。


『君には妹がいたのか』

『姉妹と言っても、血の繋がりがあるわけでも、直接の面識があるわけでもありません。帝都にある修道院で聖女になるために同じ教育を受けた――そういう意味での姉妹なんです』

『アリス。君は帝都の修道院出身だったのか』

『はい、そうです。もし私が誘拐されていなければ。奴隷じゃなかったら。この首輪がなかったら。きっと私がこの子の代わりに聖女として旅をしていたことでしょう』


 そう告げたアリスは目を瞑り、何もない夜空を仰いだ。涙の雫がソフィアに落ちないための配慮なのだろうと鈍感なジャックにも察し得る悲しげな表情であった。


『運命とはなんて残酷なのでしょうか』


 上を向いたままアリスは言った。きっとその言葉は誰に向けたものでもない呟きだったのだろうが、ジャックには沈黙を貫くことがどうしてもできなかった。


『アリス。君は自分の運命を恨むかい』

『いいえ。私は運命を受け容れます。愛します』

『運命を愛す?』


 意想外の答えにジャックは聞き返す。


『どうしてそんなことが言えるんだ』

『私はたくさんの方々に救われたからです。帝都で競売にかけられた時には父さんに。ネイロ村での暮らしは楽ではありませんが、ヘンリーさんが助けてくれます。それに今ではジャックさんがいます。私は独りではありません。私は今の生活が気に入っております。ジャックさんはどうですか?』

『私は――』


 ジャックは返答に窮してしまった。二十歳を超えたばかりの娘が、懸命に自分の生涯に向き合っているというのに、己は自分の運命というものを恨んでばかりであったことを思い出し、(ざん)()の念に駆られたのだ。


『正直に言おう。私は自分の生涯というものを嫌っていた。婚約者に先立たれたこともそうだし、仕事しか取り柄のない自分もそうだ。果てにはこの世界に来てしまったこともそうだ。おおよそ幸せとは言い難い人生だと自分でも思う。だが、そうだな。他でもない君が、自分の運命を愛するというのなら、私も見習って、自分を好きになれるように努力してみせるよ』


 ジャックが宣誓すれば、アリスは少々の(かん)(もく)の後。


『ジャックさんは、今でもその婚約者さんのことを好きなんですか?』


 と尋ねた。


 その眼差しは依然悲しげであり、同情でもしてくれたのだろうとジャックは分かったつもりになる。


『さあ、どうだろうな。なにせ昔の話だ。面影だって薄れつつある』


 ジャックは目を閉じて空惚ける。本心を言えば、嘘も誇張も抜きに、死んだ女の顔を忘れた日などなかった。むしろ忘れんがために、日々の仕事に打ち込み、こちらの世界に来てからは生きるために必死になって言語を習得した。その甲斐あってか最近では夢に見ることもなくなりつつあったが――一度思い出せばもう駄目であった、胸にポッカリと空いた、死んだ女の形をした大穴が虚無感を駆り立てるのだ。そのようなジャックの本心を知ってか知らずか。


『ジャックさん。私では、その人の代わりになりませんか?』


 とアリスは聞いた。

 今度は不安げな顔をしている。


 最初は無理だと伝えようとした。生きている人間に死んだ人間の代わりなど務まるものかと。何よりそれは生きている人間を代替品(スペア)と見なす(はずかし)めでしかないのだと。


 だがしかし。


 アリスの真摯な顔を見ているうちに、ジャックは己を包み込む喪失感がどこかへ消え去っていくのを感じた。

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