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11.岩山の渓谷

 アリスの家に着けば、アリスは軒先に立ってジャックを待っていた。いつでも出立できる格好であった。だがジャックの半歩後ろをついて歩くソフィアを見た途端、目を白黒させる。

 教会文化に詳しいアリスのことである。ソフィアが聖女であると見抜いたのだろうとジャックは分かったつもりになる。


「アリス。君が言った通りになった。ヘンリー殿は城塞都市までの安全確保の一行として私達を――正確には私の車を――ご指名だ。岩山の渓谷なる場所の怪物退治を引き受けたいと思うのだが、君はそれで良いだろうか」

「ジャックさんが良いならばそれで構いません。ですが、その――」


 アリスはちらりとソフィアを見遣る。

 紹介してくれということだろう。


「聖女殿。彼女はアリスという。私の連れのようなものです」


 アリスは深々とお辞儀をするが、ソフィアは(いち)(べつ)するだけで何も言わなかった。


「アリス。もう察しているだろうがこちらは聖女のソフィア殿だ。何の因果があってかは分からぬが私達の旅に同行してくれることになった」

「ジャック君。奴隷相手にそこまで馬鹿丁寧に接してやることもないだろう。名前だけ知っていれば十分だ。それにその首輪は鍵穴が潰されているじゃないか。余程のことをしなければそうはならない。旅の道連れはもっと慎重に選んだ方が良いのではないか?」

「ソフィア殿。アリスへの侮辱はそこまでにしていただきたい」

「侮辱だって? 相手は奴隷だぞ」

「言っていなかったな。私達の一行はアリスを人間として扱う。私達の旅に同行するのであればソフィア殿にもこの規則を守っていただきたい」

「分からないな。なぜ奴隷相手にそこまでするんだい」

「私が奴隷制というものを。教会の教えというものを嫌っているからです。第一、相手が奴隷だからと(あなど)っていては信頼関係も築けません。冒険者とはそういうものであると私は考えております。それが守れないというのであれば教会にお引き取りください」

「それは困るな。女神様に誓った後だぞ」

「私には関係ありません。ソフィア殿が勝手に言ったことに付き従う義理はありません」


 突き放すようにジャックが言えば、ソフィアは低く唸った後、渋々と承諾した。


「分かった。ジャック君の要求を呑もう。アリス君と言ったな。よろしく頼むよ」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 アリスは再び頭を下げる。外見だけを見るならば姉妹かと見紛うほど二人は似ていたが、性格は正反対であるとジャックは思う。


「では、もうひとりの許へ向かいましょう。車に乗ってください」


 ジャックが庭先に置いてある車を手で示せば、ソフィアは目を輝かせる。


「先刻から気になっていたんだ。この鉄の塊が車だって。馬がなくても動くのかい?」

「ええ、動きますよ」


 ジャックが助手席のドアを開けてやれば、ソフィアはおそるおそる車に乗り込む。


「アリス。君は後部座席に乗ってくれ」

「……はい」

「どうした。調子が悪いのか」


 いつも助手席に乗っていたアリスは何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言わずに乗車した。ジャックも乗り込み、鍵を挿入して回せばエンジンは動き出す。車を発進させれば、ソフィアは驚きの声を上げる。


「これは凄いな。音と匂いは気になるが揺れないのが良いな。雨が降っても平気なのかい?」

「ええ。たとえ土砂降りでも濡れることはありませんよ」

「稀人は凄い物を持っているな。これはジャック君が作ったのかい?」

「いいえ、買ったものです。この車ごと、気が付けばこちらの世界に来ておりました」


 ジャックは許の世界を思い出す。


 商業施設。

 水銀灯の照る屋上駐車場。

 作成途中の見積書、中央監視室の停滞した空気――。


 己は失踪したことになっているのだろうか。こちら側に来てまだ一ヶ月と少々しか経っていないのに随分と昔のことのように感じられた。だが、そこに後ろ髪を引かれるような郷愁はなかった。工藤京司郎という人間はどこかに去ってしまった。ここにいるのはアリスと生きると決めたジャックという人間がいるだけである。


 黙り込んだジャックの胸中を察してか、ヘンリーの待つ詰所に到着するまでソフィアは何かを言いはしなかった。ただ一言。


「ジャック君。君に、女神様の加護があらんことを」


 と短い祈りを捧げてくれただけであった。




 詰所の前に到着すれば、すぐにヘンリーが出てくる。剣と盾を背に、陣羽織つきの鎖帷子に鉄兜といういつもの装備であった。だが助手席にいるソフィアを見て動きを止めた。


「どうした、ヘンリー殿」


 ジャックが窓を開けて問えば、ヘンリーはその頭を軽く小突いた。


「どうしたはこっちのセリフだ。どうしてお前の隣に聖女サマが座ってんだよ」

「それは話せば長くなる。今日の旅路にはソフィア殿が同行することになった。問題あるか?」


 しかしよく一目で分かったな、とジャックが言えば、新聞の挿絵にそっくりだったからな、とヘンリーが答える。


「問題だらけだよ馬鹿野郎。聖女サマの御一行に危険がないように怪物を排除せよって指令なのに、当の聖女サマを付き合わせちゃ本末転倒もいいところだろうが」

「あ――」

「あって何だよ。お前はそんなことまで考えられないほど蛇の毒にやられていたのか」

「いや、毒ならもう治してもらった」

「だったら尚更どうして連れて来た。お付きの騎士達だって黙っちゃいねえだろうが」


 ヘンリーの的確な指摘にジャックは何も言えなくなってしまった。

 助け船を出したのは助手席のソフィアであった。


「ヘンリー君と言ったね。僕は僕の意思で君達の仕事を手伝いたいと思い、ここにいるんだよ。女神様にも同行を誓った。それに護衛の騎士なら黙らせてきた。何も問題などないよ」

「問題ないとは言っても」

「僕は聖女教育として数々の奇跡を修めた聖女だ。きっとヘンリー君の役に立つだろう。それともなんだい。女神の前で誓ったことを君は破らせるのかい。僕に恥をかかさないでくれよ」


 ソフィアがヘンリーに流し目を送れば、ヘンリーは分かりやすくたじろいだ。


「……分かりました。分かりましたとも。このヘンリー、貴女の剣となり盾となりましょう」

「うむ。期待している。ヘンリー君も僕の活躍に期待していてくれ」

「領主様や村長には上手く言ってくださいよ」

「無論だ。恩を仇で返すような真似はしないから安心してくれ」

「それならば、まあ」


 嫌々ながらも同意したヘンリーはジャックの後ろに乗り込む。


「ヘンリー殿。ここから岩山の渓谷に行くにはどのような経路になるのだ」

「そうだな。まずは西門に向かってくれ。城塞都市に続く街道は西門が一番近い」

「西門。ここから正反対の場所になるな」

「そう言うな。街道に出てずっと北上すれば着くんだ。半日もかからねえ」


 ヘンリーは遮光膜を張った窓を開けると、自前の煙草を喫い始めた。

 石畳が敷かれた道路を馬車とそう変わらぬ速度で走らせる。西門の詰所では、自動車と聖女を乗せていることに驚かれたが、ソフィア本人が降りて事情を説明したため、ジャックは身分証である識別札を示すだけで済んだ。衛兵隊のヘンリーがいるため通行税も取られない。


「全員聞いてくれ」


 西門を抜けた先、緩やかな下り勾配の平原に出た折、ヘンリーが言った。


「俺達はこれから岩山の渓谷で怪物の間引きをするわけだが、どんな怪物が出るか知ってる奴はいるか?」

「いや、知らないな。どんな連中が棲息しているんだ」


 アリス、ソフィアの両名が黙ったままであるのを見て、ジャックが代表して喋る。


「基本的には、ゲルと鳥女の二種類だ」

「ゲル、鳥女。何だそれは」

「ゲルというのは水辺や川辺にいる単細胞生物のことだ。小さい奴は握り拳程度、大きい固体になれば大人が抱える程度になる」

「ふむ、そいつは強いのか」

「強い弱いで言えば弱い。だがこいつが吹き出す体液が厄介でな。強い酸性をもつ消化液だ。それゆえ森の掃除屋なんて呼ばれているんだが、この酸がかなり強力で、衣類は溶かすし鎧は腐食する。皮膚に付いたら火傷のように痛むし、目に入ろうものなら失明しちまうんだ」

「なるほど。ではどうやって戦えばいい」

「間合いを取って核を潰せばいい。それだけで奴らはドロドロに溶けて消えていく。お前は斧槍で、アリス嬢は拳銃で、聖女サマは――何もしなくて結構。下々の者にお任せください」


 ヘンリーが言えば、そういう扱いは嫌だな、とソフィアは反発する。


「何もしないで見ているだけなら一緒に来た意味がない。僕だって奇跡が使えるんだからそういう気遣いは結構だよ」

「そうですかい。そこまで言うのなら分かりました。ですがくれぐれも用心してください。隊列は前衛が俺、中衛がジャック、後衛が聖女サマとアリス嬢にしましょう。嬢ちゃん、聖女サマの護衛は任せたぜ」


 ヘンリーに対して、名前で呼んでください、と抗議しながらもアリスは頷いた。

 後部座席で交わされる遣り取りにソフィアは目を丸くした。


「ソフィア殿。どうされたのですか」

「いや、なに。君達の一行では、本当に奴隷を人間のように扱うのだなと思ったのだ」

「奇妙に見えますか」

「ああ、かなりな」

「事実、奴隷は人間でしょう」


 ソフィアの発言に苛立ったジャックは無意味なことと覚りながらも(はん)(ばく)を試みる。室内鏡(ルームミラー)に映ったアリスの顔が悲しそうに歪んだのをジャックは見逃さない。


「稀人である君には理解し難いことかもしれないが、奴隷は人間じゃない。残酷なことだが、女神様にだって救えない者もいるのだよ」

「たかが首輪のあるなしで人権の有無が決まるとは確かに残酷な世界ですな」

「僕らにとっては『されど』なんだがね。ところで人権とはなんだい。初めて聞いた言葉だ」

「人間が生まれながらにして持つ、欠くことのできない権利と自由のことです。それは国家にはもちろん宗教にだって侵されないどこまでも基本的なものです」

「どこまでも基本的な権利と自由。分からないな。具体的には?」

「辞書的な説明になりますが。人種や信条、性別や身分、出身などによって差別されない法の下の平等、思想及び良心の自由、学問の自由、生存権、教育を受ける権利、勤労の権利です」


 ジャックがツラツラと述べれば、ソフィアは顎に手を遣り考え込んでしまった。


「ジャック君。君のいた世界では、その人権とやらが(なん)(ぴと)たりとも保障されているのかい?」

「ええ、そうです。更に言うなれば奴隷というものが禁止されております。それも五十年前に。ゆえに私はこの世界の常識というものに馴染めずにいるのです」


 ジャックが言い切れば車内に居心地の悪い沈黙が(おとな)う。その時ジャックの背に衝撃が走る。ヘンリーが座席を蹴ったのだ。


「……失敬、怪物退治の話が随分と逸れてしまいました。ヘンリー殿。ゲルの話はいいとして、鳥女というのは何者なんだ」

「鳥女っていうのは書いて字の如く、上半身が人間で下半身が鳥の怪物のことだ。羽もある。こいつは数こそそこまで多くはないが上空から群れて襲い掛かってくる好戦的な連中なんだ。何の対策もなしに突っ込む行商人や旅人が思いの外多くて、その大概が食い殺される」

「それで、その対策とは何だ」

「奴らは貪欲な生物でな。肉の一切れでもありゃ寄って集って餌を奪い合い、果てには共食いし合うような習性を持つ。そこをバッサリ切り込めば駆除も比較的楽だろう。肉は不味いが、毟った羽根は高く売れるぞ。討伐証明も銀貨五枚と狼よりも高い。悪くない仕事だろう」

「確かに悪くはないが、餌となる肉なんか持ってきてないぞ」

「そこは心配すんな。干し肉を束で持ってきている」


 ヘンリーはそう言うと腰に下げた道具箱から肉を一枚取り出し美味そうに齧り付く。


「ヘンリー殿。美味そうだな。一枚くれ」

「お前の煙草一本と交換ならいいぜ」

「足許を見たな。仕方ない」


 ジャックが煙草一本を渡せば、ヘンリーが肩越しに肉を差し出す。受け取って口の中に放り込めば、筋張った食感こそ残るものの、確かに美味い肉であった。


「聖女サマも一枚どうですかい?」

「いや、僕は遠慮しておくよ」

「アリス嬢はどうだ。食うか?」

「私も要りません。その肉は鳥女を狩るためのものです。肉より羽根です」

「ハハハ。そりゃそうだな」


 楽しそうに笑ったヘンリーは肉を道具箱にしまう。

 しばらく車を走らせていれば街道の斜面がきつくなり、地面も乾いた土から砂利に変わる。

 左右には斜めに生えた広葉樹が点在する切り立った崖に挟まれ、左手側には穏やかに流れる河がある。ここからが岩山の渓谷と呼ばれる難所であるらしかった。


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