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1.異世界と少女との出会い

※新連載、書き溜めあり。お時間があるときにでもどうぞ。

 十二月二十五日二十一時。

 大型商業施設、中央監視室。


 次々と退店するテナント従業員達を、警備員が手荷物検査の後に「お疲れ様でした」と見送りの声を掛ける。その声を聞きながら、()(どう)(きょう)()(ろう)はひとり貸与されたノートパソコンに向かって見積書の作成に励んでいた。来年度に実施予定の、駐車場舗装工事の見積書である。


 中央監視室に他の人員はいない。遅番は京司郎だけであった。


 京司郎はホワイトボードに目を遣り本日の予定を再確認する。夜間の定期清掃も、昇降機の定期点検も入っていない。その他、締め日であるため施工や消耗品の受発注登録漏れがないかも併せて確認する。


 ――今日くらいは定時で上がらせてもらうとするか。


 京司郎は作業を切り上げ、閉店業務と明日の仕度を調える。デベロッパーのマネージャー陣には異常報告の有無をメールで送り、明日記入分の検針表を出力してバインダーに収める。また右腰の革袋に収められたマスターキーを金庫に戻し、その他、(あま)()ある鍵の有無を見て、チェックリストを埋めていく。


 細々とした作業をしていれば定時の二十二時は過ぎていた。タイムカードに打刻をして私物の鞄を持ち、椅子の()(もた)れに掛けた上着を羽織るだけで退勤の準備は済んでしまう。

 警備の詰所前で鞄の中身を広げて見せて、二言三言の世間話を済ませた後、従業員用の非常階段から屋上の駐車場に向かう。


 外へと続く(てっ)()を開ければ足許に冷気が這い寄ってくる。コンクリートの床面には薄らと氷が張り、水銀灯の白い無機質な光が闇夜を照らしていた。昼間にそれなりの積雪があったはずなのに然程積もっていないのは融雪剤を撒いた結果なのか風に吹き流されたからなのかは分からない。


 京司郎は空調機械室前に停めていた自分の車――中古の黒い軽自動車である――に近寄ると、持ち上げていたワイパーを下ろし、乗車してエンジンをかける。フロントガラスに張りついた氷の膜が視野を妨げているためすぐの出発はできない。暖機運転がてら、お気に入りの楽曲を外に響かぬ程度の音量で流す。何年も前に婚約者から勧められたジャパニーズポップである。一曲目で爪先が暖まり、二曲目のサビに入る頃にはフロントガラスを覆っていた氷も溶け出していた。そろそろ行くかとワイパーを動かし、ライトを点けた時である。


 京司郎は我が目を疑った。


 黄色いフォグランプが照らしているのは人気の絶えた駐車場ではなかった。

 (うっ)(そう)とした森の中にいた。目の前には(はん)()した草木が広がるだけであった。

 車内のスピーカーからは依然として音楽が流れているし、暖房が車内を暖めている。


 京司郎は音楽と暖房を止めて車外に出た。

 外は暗い。同じ夜であるはずなのに、季節が変わってしまったかのように暖かかった。

 一帯を観察すれば雪はおろか霜すらない。頭上には名も知らぬ広葉樹の葉が広がっている。

 京司郎は胸元に収めた煙草を取り出し、その一本を(くわ)えるとオイルライターで着火する。普段と全く同じ作法で、最初の一口は焦れる程にゆっくりと()い、量の多い()(えん)を吐き出す。


 しかし突如として現れた森林はいくら待てど暮らせど駐車場に変わらない。それどころか車輌の照明に誘引された羽虫達が飛び回る音が聞こえてくる始末であり、一層この光景が夢幻の類ではないと思わせてくれる。


 結局、長い時間をかけて一本を灰にしたものの、京司郎の前に広がる木々は姿を変えはしなかった。前を見ても後ろを見ても広がるのは見通しの利かぬ獣道ばかりであり、京司郎は困惑する。当然土地勘などあるわけもなく、(しるべ)となる明かりすらも見えない。

 靴底で煙草の火を揉み消した後、吸い殻を携帯灰皿に収める。熟考の末、車内で一晩を明かし、翌日また考えることにしようと問題の先送りを決めた時である。


 ガサリ――と音がした。


 風の音ではない。何者かが植物を掻き分け、こちらに真っ直ぐ向かう意志を持った音である。土を踏みしめる(あし)(おと)すら聞こえる。


「誰かいないか!」


 京司郎は茂みに向かって声を上げる。だが応答はなく、跫音ばかりが迫り来る。

 嫌な予感がした。出てくるのが人間とは限らない。野生動物という可能性だってある。声を出して居場所を明らかにしたのは早計だったのかもしれないと京司郎が身構えていれば。


 現れたのは人間でも動物でもなかった。

 巨躯の()(しょう)であった。


 身の丈は二メートルを悠々と超え、馬と猪を掛け合わせたような不細工な顔をしていた。覆面の類ではない。吐息を荒らげ、左右についた血走った(そう)(ぼう)が京司郎を捉えていた。太い筋肉質の右手には、倒木をそのまま持ち出してきたかのような棍棒が握り締められていた。


 この時、京司郎は自身の正気を疑った。ともすれば、己が自分でも知らずうちに死んだ結果地獄に堕ちて、()()()()の責め苦に遭うのではないのかと思った。そうでなくてはこのような現象に説明などつくものかと考えていれば、化生は両手に持った棍棒を天高く振り被っていた。

 広葉樹の(こずえ)に棍棒が当たり、小枝が折れるパキパキという音がやけに鮮明に聞こえた。


 ――これはまずい。


 そう思った時には、京司郎は身を(ひるがえ)し、脱兎の如く奔走していた。唯一の光源である車輌から離れてしまえば訪れるのは暗闇である。両手を必死に使い、獣道を泳ぐように、時には肩を木の幹にぶつけ、時には木の根につまずきながら、それでも駆けていく。一瞬でも速度を緩めればあの化生に追いつかれる気がしたため、背後を振り返ることすらできなかった。


 だが全力疾走も長くは続かなかった。肺と心臓が悲鳴を上げ、脚がもつれて転倒してしまう。日頃の不摂生を恨むも後の祭りであった。


 首だけを使って後ろを見れば、化生はすぐそこまで迫っていた。

 化生は京司郎を認めると、鋭い牙を剥き出しにして笑い、またも棍棒を振り上げる。

 最初に感じたのは強烈な痛みであった。右足を砕かれたと分かった時には口から呻きが出た。次いで左膝、背骨、右肩、頭部を殴打される。


 京司郎は生まれて初めて自分の骨が砕かれる音を聞いた。意識が泥濘(ぬかるみ)に引きずり込まれる冷たい感覚に全身を蝕まれ、指一本動かせぬ前後不覚に陥ってしまう。


 ――嗚呼、私は死ぬのか。


 孤独に死ぬとは己らしい生き様であったな。

 せめて最期は誰かに看取ってもらいたかった――と思った矢先である。


 耳鳴りばかりの機能不全にあった鼓膜が、パン、という乾いた音を聞き取った。

 風船が弾けるにも似た炸裂音であった。次いで鼻腔が腐葉土と草の青臭さとは別に火薬の臭いを嗅ぎ取った。

 非常用発電機の稼働音にも似た化生の唸りが聞こえたと思った時、その炸裂音は何発も響いた。少々の間の後、ドサリ――という化生が倒れる音がした。


 京司郎は最後の力を振り絞って身体を仰向けにすれば、月明かりを背に何者かがこちらを覗き込んでいた。己を見て何かを言っているが、京司郎には聞き取ることができなかった。


          *     *     *


 京司郎が意識を取り戻したのは温かい寝台(ベッド)の上であった。最初に感じたのは窓から差し込む朝日の眩しさであった。視界ばかりを動かせば、寝台の脇に置いた椅子に誰かが座っていた。


 美しい娘であった。黄金と絹を溶かし込んだが如し金髪に、鈴を張ったが如し円く青い瞳をしていた。紺色を基調とした洋装(ドレス)に革製の腰締(コルセット)という格好であった。あどけなさを残しながらも整った目鼻立ちをしていて、()()細やかな白い肌をもっていた。


 天使という概念を具現化させたらこのような人間になるのだろうと京司郎は思う。そして、この光景は今際の際に見る幻影なのだろうと。地獄を乗り越えた先には天国が待っているのだろうと分かったつもりになるが。


「…………?」


 京司郎は娘に対して違和を抱く。その美しさには(きず)があるように思えてならなかった。それが何かを観察して――京司郎は察する。娘には首輪が嵌められていた。装身具の類ではない。正面には錠前があるが無残にもその穴は潰されている。

 見てはいけないものを見てしまったように感じられて京司郎は顔を背けるが、その動作で京司郎が復活したことに気付いた娘は何かを言った。


「――――」


 だが京司郎にはその言葉を理解することができなかった。英語でも中国語でもない。ロシア語でもフランス語でもない。耳馴染みのない未知の言語であった。

 馬鹿のように呆けることしかできなかった。その反応で、娘も言語の伝達に失敗したのを察したのだろう。困ったように眉根を寄せる。娘はしばし考えた末。


「私、アリスといいます。私の言葉、分かりますか?」


 と言った。幼い喋り方ではあったが、確かに日本語であった。

 京司郎は娘を不安にさせまいと大きく頷いてみせる。


「ああ、分かるよ。私は工藤京司郎というんだ。ここはどこなんだ」

「くどう、きよしろう」


 娘はカ行の発音が不得手らしく、首を傾げながら言った。


「言いにくいです。すみません」

「いや、いいんだ。私だってそう思う。ところで、ここはどこなんだい」


 京司郎は言い方が刺々しくならぬよう努めながら問う。


「ここはネイロの村、私の家です」

「ネイロ?」


 聞いたことのない地名であった。


「アリスさん。申し訳ないが、ここがどこなのか私には分からない。そもそも、どうして私は生きているんだろうか。あの馬のような化物に追いかけ回されていたように思うのだが」

「待って。落ち着いてください。早口、私、分からない」

「ああ、失敬。どうして、私はここに」

「昨夜、怪物(モンスター)に襲われていたところを私が偶然見付けました。ここまでは門番さんが運んでくれました。怪物は私が銃でやっつけました」

「怪物」

「そうです。(オーク)のはぐれだったように思います」


 娘は至極真面目に答えるが、怪物も鬼も分からぬ京司郎は黙る他なかった。

 その沈黙をどう受け取ったのかは分からないが。


「怪我の具合はどうですか?」


 と娘は聞いた。そこで京司郎は己が五体満足であることに、おそらく娘に介抱されたことを覚る。自身にかけられた薄汚い毛布を払い退ければ、包帯が至る箇所に巻かれている。


「ああ。とりあえずは生きているし平気だよ。君が手当をしてくれたのか」

「はい。手当といっても傷薬(ポーション)を飲ませて、包帯を巻いただけですが」

「傷薬」

「骨折しているようでしたので」

「それを飲めば骨折も治せるのか」

「ええ。でも家には下級の物しかありませんでした。上級を買えるだけのお金もありません。ですので、まだしばらくは安静にしていてくださいね。きっとすぐ歩けるようになりますよ」

「ああ、了解した」

「りょうかい?」

「分かった、という意味だよ」

「そうなんですか。了解しました」


 何が気に入ったのか、娘はそう言って笑った。人好きのする朗らかな笑顔であった。

 京司郎はひとまず頷く。不明な点は挙げればきりがなかった。ここネイロの村とは一体どこなのか。鬼という奇怪な化物は何だったのか。はぐれというからには群れているのか。傷薬にしても、瀕死の重傷であったはずの己を治す秘薬など知らなかった。有り難さを通り越して背筋に薄ら寒いものが走った。


 だが、それ以上に京司郎の気を引いたのは。


「アリスさん。君はどうしてそんなものを着けているんだ」


 尋ねながら、京司郎は自身の首を二三度で叩く。首輪と直接的に問わなかったのは犬か猫のように思えたがゆえの、京司郎なりの配慮であった。だが娘は答えなかった。言い淀み、目を伏せて何事かを呟いた。その反応で、京司郎は己が立ち入ってはならぬ領域(テリトリー)に土足で踏み入ってしまったことに気付く。あまりにも無作法であったことを詫びようとした時。


「さん、はいりません。アリスと呼び捨てで構いません」

「いや、しかし。命の恩人に向かってそれはあまりにも失礼なのでは」

「いいですから。アリスとお呼びください」


 娘は言い張った。先刻までの笑顔はなりを潜め、気まずい空気が流れる。

 娘は、用件は済んだと言わんばかりに立ち上がると、部屋を去ろうとする。


「待ってくれ。どうして君はここまでしてくれたんだ。生憎、私には何も返せるものがない。必要なものは全て車に――そうだ、車だ。エンジンもライトも点けっぱなしじゃないか」

「どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもあるか。アリスさん。私があの怪物にやられた森はここから近いのか。取りに行きたい物がある。良ければ案内してくれないか」

「駄目ですよ。まだ怪我が治っておりません。あとアリスです」

「しかし悠長にしていられる余裕はないんだ。それに怪我ならこの通り治っている」


 京司郎は痛む脚と浮遊感を伴った眩暈(めまい)をこらえて寝台から立ち上がる。予想通り、砕かれた右足が自重に耐えきれずに崩れ落ちそうになるが、気合いでどうにか体勢を維持する。

 アリスはそんな京司郎を怪訝そうに見詰めていた。


「なぜですか。森にはあの鬼も出ます。危険ですよ」

「それはそうかもしれないが、車を置いてきてしまったんだ」

「車、ですか?」

「そうなんだ。車には食料も工具も必要な物は全て積んでいるんだ。第一、あの車がなければ私は帰れない。仕事だって山のように残したままだ。欠勤なんてできるものか」


 娘はすぐには答えなかった。


「……キヨシロウさんは、帰ることができると思っているのですね」


 とだけ言った。その諦めを多分に含んだ言葉の意図を正しく汲み取れなかった京司郎は、もちろんだとも、と同意する。


「車を見つけ出すのは当たり前として、財布と携帯、鞄も回収しないとな。いやはや、今日が休みで本当に良かった。遭難した結果、無断欠勤じゃ流石(さすが)に笑えない。いや、クリスマスに遭難している時点で笑えないのだが――まあ、いい。アリスさんには森までの案内を頼みたい」

「どうしても、ですか」

「ああ。心配してくれているのは分かるが、こちらにも仕事があるのだ」

「それは命令でしょうか?」


 アリスは一言尋ねた。その言動に今度は京司郎が(いぶか)しむ。


「いや、まさか。業務や仕事でもあるまいし、恩人に向かって命令などとは言えないよ」

「それなら、嫌です。お断りします」

「む?」

「酷い怪我をしていたんです。休んでいてください。食事の仕度がありますので私はこれで」


 そう言うなり、またもアリスは部屋を去ろうとする。慌てたのは京司郎の方である。


「待ってくれ。急にどうしたんだ。私は、何か君に失礼を働いてしまったのか」

「いいえ、違います。命令ではないのなら無理をしない方が良いと思っただけです」

「ということはなんだい。私が命令だと言えば、君は従ってくれるとでもいうのか」


 京司郎が聞けば、もちろんです、とアリスは首肯する。アリスにとって命令という単語が何らかの大きな意味を持つのだと京司郎は察するが、それがなぜかまでは分からなかった。


 だが京司郎も譲れない。男鰥夫(おとこやもめ)とはいえども帰る家がある。職場では主任(チーフ)として様々な業務を担ってきた。年末年始の多忙な予定(スケジュール)は待ってくれない。同僚に迷惑を掛けたくもなかった。


「分かった。命の恩人にこんなことは言いたくなかったが命令だ。昨日私が怪物に襲われたところまで道案内を頼みたい。そしてできれば護衛もしてもらいたい」


 京司郎が言えば、分かりました準備が必要ですので少々お待ちください、と言ったアリスは、丁寧過ぎるほど丁寧にお辞儀をした後、退室していった。

※あ、ハッピーエンドには期待しないでください。

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