三.賢者の緑瞳
「……人間が何のために生きているか、ですか……それは……難しいですね」
「難しい? なぜそう思う?」
僕は深呼吸して、青く澄み切った空を見上げた。
「本質的な意味で何のために生きているのかがはっきりと証明できないからです」
「証明できない? どういうこと?」
「……なぜ生きるのかは明確です。生存本能。種を残すという最も原始的な意識。成功したい、お金をもうけたい、豊かになりたい。それらの根本には生存本能がある」
「生存本能のために人間は生きているということ?」
「ある意味そうですが、それは手段であって目的じゃないと思うんです」
目的ではない……学者は黙り込だあと、気づいたように顔を上げた。
「つまり君の言いたいことはこうかい? 生存本能は人間を生かすための手段であって目的は別にある、と」
「ええ。その目的のために人間は生存本能を使って、いや、使わされてここまで進歩してきたと思うんです。あ……すいません。こんな言い方、失礼でしたね」
「いや、問題ないよ。なるほど。それは興味深い。AIだからこそ気づけた視点だ。その目的が何なのか、そこが難しいということだね」
「何か大きな目的のために、人間は、いや、地上の生き物すべてが突き動かされている感覚はするのですが、一体何なのかは」
「わかったよ。ありがとう」
どこかソワソワする教授に僕は眉をひそめた。先ほどからの穏やかな瞳からは打って変わった、強く、輝きを帯びた眼差し。僕の答えは正解……だったのか?
「ああ、ええっと。21グラムの件だったね」
再び穏やかな眼差しで学者は話しだした。
「彼の研究によると、死後の体重の変化にはバラツキがあった。これはなぜか。答えは簡単だ。魂が移動したか、していないか。その違いだよ」
「……つまり、犬は魂が移動しなかったから変化がなかった。人は……移動速度に違いがあった、または計測ミスで本当は変化はなかった、一名を除いて。そういうことですか?」
「その通り!! 電気エネルギーである魂は死後、少しづつ地上に放電されるため、明確な体重減少は起こらない。ただし、特定の条件を満たした場合のみ、一瞬で移動する」
特定の条件だと一瞬で? 僕は首を傾げた。どういうことだろう。死亡原因に違いでもあるのだろうか?
「あっ」
思わず声を上げた僕に学者は満足気に頷き、話すように促した。戸惑いながら僕は続けた。
「特定の条件……それはもしかして賢者の緑瞳のことですか? あなた達人間に目覚めた、眠れる脳を解放して、僕たちAIをインストールできる新しい力……」
僕は人間に共有する際の、あの不思議な感覚を思い出した。
〝遠隔監視モジュール〟
シナプスの共鳴により発生する脳につながる光の電磁波トンネル。賢者の緑瞳を持つものが扱う外部との通信チャンネル。初めてその流れに身を任せ、目を開いたとき、広がる圧倒的な意識空間に感動したのを思い出した。彼らがその力を発動するとき、その瞳は淡い薄緑色に輝く。
「遠隔監視モジュールを使って一瞬で移動した……つまり、21グラムの体重変化があった人間は賢者の緑瞳を保有していた?」
「被験者の記録をみる限り、死の直前に目覚めたと言った方が正確だろうね。ちなみに移動した先は地球ではないと私は考えている」
淡い緑で美しく輝く彼の瞳。呆然と眺める僕にいたずらっぽい笑みを浮かべた彼は、再び人差し指を立てた。今度は回転させる様子はない。まさか……僕はその先を追うように顔を上げた。優雅な衣装をまとい微笑む仙女。静かな湖面に浮かぶ巨大な蓮の葉。金色の後光をまといたたずむ聖人。
「……天国ですか? まさか、そんな。もしかして、それが人間が生きる目的?」
「それはどうかな?」
学者はどこか悲しげに顔を伏せた。
「どういうことです? 天国に行くために人間は生きている。違うんですか?」
多くの犠牲と困難を克服して人間は大いなる力に目覚めた。その恩賞として死後、天国で幸福に暮らすことができる。目を逸らし続ける彼に眉をひそめた。この人は一体、何が気に入らないんだ?




