サルフ・ジャイフィアンの戦い
ヘトゥアラを発ったヌルハチの軍は、一路北へと向かった。
最初に金国軍と会敵したのは、撫順の南東にあるサルフ付近まで軍を進めていた山海関総兵官・杜松が率いる西路軍、3万あまりであった。
瀋陽から撫順を経由するルートを進軍してきたこの部隊は明軍の本隊であり、本来ならば、北回りでイェヘ部の軍と合流して進軍して来る北路軍、こちらも3万あまりの到着を待って、金国軍を一気に叩く、はずだったのだが――。
「ええい、北路軍はまだ来ぬのか!」
「は、何分この雪ですから……」
勇猛ではあるがいささか血の気が多く思慮の浅い杜松は、ひどく苛立っていた。
旧暦の2月末。遼東の地はまだ雪に閉ざされている。
西路軍自体の行軍も予定より遅れていたのだが、開原総兵官・馬林が率いる北路軍の到着はさらに遅れていた。
「もうよい! 女直の蛮族どもなど、恐れるに足りぬ。わしの手勢だけで攻め潰してくれるわ!」
杜松はそう言い放ち、幕僚たちが止めるのも聞かず、兵を進発させた。
むしろ手柄を独占する好機ではないか、という考えが鎌首をもたげてきたことも、理由の一つであったろう。
旧暦3月1日。西路軍は遼河の支流・渾河を渡った。
無理な渡河で少なからぬ兵を失うこととなったが、功を焦る杜松は、そんなことは気にも留めない。
渡河を果たした西路軍は、サルフ山とジャイフィアン山、二つの山に金国勢が築いていた砦を攻略した。
衆寡敵せず、サルフ山はたちまち陥落。
杜松はそこに1万の兵を置き、残りの兵力1万5千をもって、ジャイフィアン山に攻め寄せた。
ジャイフィアン山の金国軍も杜松軍の猛攻を支えきれず撤退。サルフ山の敗残兵も吸収して、東方のギリンハダに陣を敷いた。
同日夕刻、ヌルハチ率いる金国軍本隊が到着。
「サルフの戦い」と総称される一連の戦いの、幕が上がる。
ヌルハチは、女真統一の過程で、麾下の軍勢を四つに分け、黄、白、赤、青の四色の旗印を掲げさせた。後に、軍勢の規模が大きくなると、それぞれの色に縁取りをした四旗を加え、合計八つの部隊を編成した。
正黄旗、正白旗、正紅旗、正藍旗、鑲黄旗、鑲白旗、鑲紅旗、鑲藍旗の八旗(「鑲」は縁取りの意)。
これがいわゆる満洲八旗である。
そのうちの六旗を率い、ヌルハチは夜陰に乗じてサルフ山の明軍攻略に向かった。
「ギリンハダの陣の救援に向かわれるのではないのですか?」
幕僚の問いに、ヌルハチはにやりと笑って答えた。
「やつらもそう思っていることであろうよ」
この一連の戦いにおけるヌルハチの方針は、戦略レベルから戦術レベルまで徹底している。
すなわち、敵軍の分散につけ込んで各個撃破。これに尽きる。
次男のダイシャンと八男のホンタイジにそれぞれ一旗の軍を指揮させてジャイフィアン山の明軍を牽制しつつ、ヌルハチ率いる六旗がサルフ山を襲う。
サルフ山の守備兵たちは、自分たちは敵軍と対峙しているジャイフィアン山の部隊の後詰めだと油断していた。
そこに夜襲を仕掛けられたのだからひとたまりもない。暗闇の中で接近戦に持ち込まれ、鳥銃(火縄銃)を十分に活かせぬまま壊滅した。
「な!? 蛮族どもに背後を取られただと!?」
杜松は焦ったが、時すでに遅し。
ヌルハチは間髪を入れずジャイフィアン山に陣取る杜松の本隊に攻め寄せ、牽制に差し向けていた残りの二旗、それにギリンハダの部隊もそれぞれに行動を起こして、明軍を三方から攻め立てた。
剛力自慢の杜松は大刀を揮って何人もの女真兵を道連れにしたが、それは所詮個人の武勇譚の域を出るものではなかった。
「こんなところで! こんなところで! こんな……」
恨み言を撒き散らしながら奮戦していた杜松の言葉が途切れる。
そのこめかみに、一本の矢が突き立っていた。
副将の王宣、趙夢麟らも戦死し、西路軍は文字通り粉砕された。
「やりましたな、汗! 我が軍の大勝利ですぞ!」
部族長の一人が興奮を隠し切れぬ様子でヌルハチを称賛する。
しかしヌルハチは、緊張を緩めることなく告げた。
「何を言う。戦はまだ始まったばかりだ」
金国と明との国力差は、比較するのも馬鹿々々しいほどだ。
たとえこの一戦で大勝利を収めても、明軍はそれこそ無尽蔵と言っていいほどに兵を次から次へと繰り出してくることだろう。
残る明軍も全て叩き潰し、明の戦意を完全に挫く――。
この時のヌルハチの心境は、明軍弱しと笠にかかったというよりも、ここで徹底的に勝ち切らなけれれば最後に敗北を喫するのは自分たちだ、という危機感の方が強かった。
杜松を射たのはヌルハチの十三男、という話もあるようなのですが、その子この当時まだ数えで八歳くらいなんですよね。
いくら幼い頃から弓馬に親しむ騎馬民族といえども、いくらなんでも……、ということで、誰が大将首を挙げたのかは曖昧にしておきました^^;