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尾道、坂の上神様斡旋所  作者: 柿元俊人
2/18

夏の夜のカレーは苦い

間宮の手術が難しい、と聞いたのは、もう蒸し暑くなった頃だった。



私、綿天佑燈と間宮遼は尾道市立萩岡第一高校に通う級友である。


序でに家はご近所さん。


家の後ろの壁を挟んで背中合わせに住んでいる。


私は帰宅部で、間宮は吹奏楽部に入っていて部活は違うものの、勉強も出来て運動も出来る間宮は優等生で、尚且つ面倒見もよく、高校入学と共に一人亡き叔父の家へと越してきた私を何かと気にかけては、ちょくちょく話し掛けてくれるようになった。


話してみると間宮は本当に賢くて、私が、もっと偏差値の高い高校にだって進学できただろうにと言うと、勉強は家でも出来るし、家から近いのが一番だからとあっけらかんと笑っていた。


間宮はさっぱりした性格で、裏表がなく、いつも女の子達に囲まれていた。


見た目もよかったし、何よりなんでもそつなくこなす所ががつがつしてないと言うことで女子にウケているらしい。

表だってキャーキャー言われることもあれば、ひっそりと告白される事もあったりした。


因みに、何で私がこんなことを知っているかと言うと、漫画なんかでご近所さんに良くあるご都合設定というかなんというか、私の部屋と間宮の部屋は隣り合っているのだ。



引っ越した年の春先。

私はたまたま夜中までゲームをしていた。

窓に凭れていた私がふと窓の外に目を遣ると、いつもぴっちりと閉まっているはずの間宮の部屋のカーテンが開いていた。


優等生もこんな時間まで起きてるんだなあ、明日も学校なのになんて暢気なことを思ってぼんやりと見つめていると、がらがらがらという音と共に窓が開いた。


ひょこっと顔を出した間宮は私に気が付いて、一瞬呆気にとられたような顔をして、それからちょいちょいと手を降った。

手招きされたと気が付いて、慌てて私も窓を開ける。

まだ少し冷たい風が吹いていて、私の鼻先へと焦げたような匂いを運んできた。

私は匂いから思い出した心当たりを呟いた。

煙草、と言うと、間宮はちょっと笑ってから、口元に咥えて煙草を指差して、内緒にしといて、と言った。

それから、ふぅっと灰色の煙りを吐き出した。


今度はもっと濃く匂った。


昼間の学校とは違う匂いだった。


私はちょっと面食らったけれど、気を取り直して間宮の咥えた煙草を指差して、それ、匂いつくよと言った。


いかにも優等生だと思っていた間宮から煙草の匂いがするのも面白いけれど、学校に見つかったりしたら停学だろう。

間宮はそういうことをしそうになかった。

そう言うと、間宮は、この匂い好きなんだよ、と言った。

そして、でも制服では吸わないよと続けた。

そうなの、とだけ私は返した。


私は、好きな匂いを次の日の朝には消して、学校へと向かう間宮を想像した。

そして、そうか、と思った。


私が言えることじゃあないけど、早く寝た方がいいよと言って、私は窓を閉めた。


部屋の電気を消してベッドに潜り込む前、窓の外では真っ暗な夜の世界で間宮がまだ煙草を吸っていた。

何だか眠れなくて、ごろんと寝返りをうってクッションを抱きしめると、私は天井を見上げて唸った。


次の日、いつもより早めに起きた私は、コンビニまで行くと、駄菓子コーナーでココアシガレットを買った。

それを持って家まで帰ると、朝練へと向かう間宮と出くわした。

おはよう、私が挨拶をすると、間宮はもういつもの間宮で、柔和な笑みを浮かべておはようと返してきた。


煙草の匂いも消えていた。


私はビニール袋からがさごそとココアシガレットを取り出すと、間宮に向かって投げた。


私が、あげる、と言うと、上手くキャッチした間宮は掌を開いてからきょとんとして、それから爆笑した。

何がそんなに面白かったのか、ひとしきり笑うと、おもむろにココアシガレットの箱を開けて一本口に咥えた。

ありがとう、これ旨いよね。

と、ミントの匂いをさせた間宮が笑った。

良かったね、と私も笑った。


それから私と間宮は、通学中や学校でちょくちょく話すようになった。


部屋の窓を開けている時に出くわせばどちらかが呼び掛けるようになり、一年生の夏には、一緒に夜ご飯を食べてから、一緒に勉強するようになった。


間宮は、本当に勉強でもスポーツでもゲームでも、とにかく教えるのが上手くて、二人で話しているとあっという間に朝がきた。


二人揃って下らない理由で睡眠不足のまま学校へと急ぎ、学校でまた顔をあわせてゾンビみたいな姿を指差してお互いに笑った。


そんな調子で、私と間宮はいつも一緒だった。


別に少女漫画みたいな事は何も起きなかったけれど、私は間宮の事を特別だと思っていたし、多分間宮も同じことを思っていた。

特別仲良しの、特別親友。

訳あって家族と暮らしていない私にとって、間宮は初めて出来た心許せる人だった。

間宮になら何でも話せるし、間宮となら何をしなくても楽しかった。

間宮も学校で見せる優等生の間宮ではなくて、ちょっと面倒くさがりだったり、ずぼらだったり、子供みたいなところもあった。

私も皆の前ではにこにこ笑ったり明るく振る舞ったりしていたけれど、間宮の前ではそんなことを意識しなくても良かった。


喋らなくても成り立つ空間は居心地が良くて、クラスでの悩みや始めたアルバイトの事、どうしても折り合いがつかない家族との事も、間宮にだったらぽつぽつと話せた。


そうして一年が経ち、私達は高校二年生になった。


喧嘩したり、仲直りしたり、まるで小学生みたいなつきあい方で、私達は今日と言う日までいつも引っ付きもっつきしてきたから、私は、自分が、間宮の事は誰よりも知っていると思っていた。



だから、本当に、それは本当に寝耳に水だった。



「手術することになった。でもちょっと難しいらしい。」


丁度カレーライスを頬張ったところだった。


私は大きく口を開けたまま、間宮の言ったことが理解できずに硬直した。

手術、って、言った?


「・・・え、・・・・誰が?」

「俺。この夏。」


まるで何でもないことのように告げるその声とは対照的に、私の声は喉の奥に張り付いたように出てこなかった。


何で、どうして。


スプーンがカシャリと鳴って、食卓に落ちた。


言葉が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。それでも喉元まで競り上がった言葉達は、どれも、何も適切じゃない。


ただずっと、馬鹿みたいに間宮の顔を見つめ続けて、私は漸く言葉を絞り出した。



「何の、病気?」


「さあ、良く解らない。煙草の吸いすぎかな。最近、足が痺れて歩けない事がある。痛みも出てきた。放っとくと手足が壊死するかもしれないらしい。」


ちらりともこっちを見ない間宮の顔を、私はただ凝視していた。


なんでそんな、なんでもないことみたいに言うのだろう。


どうして、私に教えたのだろう。


だって、私の知る間宮はそんなことを言いたくない人間だ。



人前で同情を引くような事を言いたくない、人に心配をかけるような事を言いたくない、人に迷惑をかけたくない、そんな馬鹿で意固地ではた迷惑な奴なのだ。


だって、一年の夏休み中、部活でマーチングの練習中に気分が悪くなっても誰にも言わず、家に帰ってきてから脱水症状を起こして倒れて病院に運ばれた男だ。


誰かの手を煩わせたり場の空気を悪くするなら自分で何とかした方がまし、という、極端に甘え下手なあの間宮が、自分から自分の体の事を私に話し出した。それが余計に私の不安を煽った。


「えっと、あの、それは、治るんだよね?」


自分で言って、馬鹿なことを聞いたと思った。

間宮の使うカレースプーンの音だけがカチャカチャ響く。

どうしてなにも言ってくれないの。

不安で押し潰されそうな胸をどうにかちゃんと機能させることしか出来ない。

吸う空気すらも重い。

そんな沈黙は間宮本人が割った。


「さあ?どうだろうな。元々薬で治してたんだけどそれがあんまり上手くいかないみたいだから。まあでも、死ぬ訳じゃないから。」

「そりゃ、そうだけど・・・・・!」


淡々と喋る間宮の事が解らない。



「どうして、こんな時にまで、私の前でまでそんな顔してんの!」


遂に怒鳴ってしまった。

こんな事よりも、もっと、慰めになるような言葉をかけてあげたいのに、私はこんな事しか言えない。


「間宮さあ、そういうところ良くないよ!」



気がついたらぼたぼたと涙が零れていた。


悔しくて、何が悔しいのか解らないけど兎に角悔しくて腹が立って、涙を止めたいのに、瞼が決壊したみたいに涙が次から次に溢れてくる。


間宮は、怖いのだ。

本当にらしくなくても、そんな病気になったら誰だって不安だ。

間宮だってきっと不安だ。

だから私には教えてくれたんだと思う。

それなのに私はなにも出来ない。

治してあげることは勿論、上手く慰める事も、優しい言葉をかけてあげることも、病気を代わってあげることも出来ない。


なんにも出来ない。


自分が腹立だしい。

間宮も腹立だしい。

こんなになってもまだ、泣くことも素直になることも出来ない間宮も、なにも出来ない私も、なんなんだ。

悔しい。腹立つ。涙は次から次に零れた。


私は嗚咽をあげないことに必死だった。

唇を噛みしめて口をへの時に曲げた。


間宮はそんな私をじっと見てから、


「なんでお前が泣くんだよ。」


と言った。


「うるさいよ!私の水分なんだから涙だろうが涎

だろうがどこから垂れ流しても放っといてよ!」


食って掛かった私に、間宮がちょっと面食らってから、笑い出した。


「なに笑ってんの!あんた!」

「いや、だって、お前。何で怒ってんの。俺、病気打ち明けて怒鳴られた奴なんて聞いたことねーよ。可哀想だろ、俺。」


どんな神経してんだ、お前、と間宮が笑う。


「笑うなあ!」

「いや、だってさ!お前、おかしいんだもん!」


私は怒鳴って、間宮は笑って、一頻りぎゃーぎゃーやり合った後、間宮はいつものふざけた間宮に戻っていた。



「もうドラムが叩けないかと思うとちょっと不安だったんだ。」


ふっと吐き出した言葉はとても自然で、すうっと私と間宮の間に浮かんで消えた。


うん、そんなの、知ってるよ。


間宮がどんなに吹奏楽部で頑張ってきたかを、打楽器が好きかを、ドラムをずっと続けていこうと思っているかを、私が一番知っている。


ゲームセンターで、ちょこっとだけゲームのドラムを叩いてくれた得意気な横顔を、間宮の部屋でせがんでドラムセットを叩いて貰った時の真剣な顔を、世界で一番好きだったのは絶対に私だから。



「治るよ、絶対。」


間宮の目を見て言いきった。


間宮はちょっときょとんとして、それから、


「ありがとう。」


と言った。


私はまた泣きそうになったけど、今度は泣かなかった。


それからまた二人でぽつぽつと話し始めて、いつものように、クイズ番組に二人で答えたり、どっちが似ているかCMの物真似をしたり、今度のテストの点数について予想したり、話題の漫画の展開について語り合ったりした。


冷めたカレーはもう美味しくなかったけど、間宮は全部食べていた。




そして私は、一つある決意をしていた。





時間が経って、脂が浮いてべたっとなったカレーってくそ不味いよねという主人公の思い出のワンシーンでございました。

くそ不味くても全部食べるのは間宮なりの愛。なりのね。

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