27.初恋
「エリック・ニコール?」
アリアーシュに体を奪われてからどうすることもできなかったが、アリアーシュの中にいるからかアリアーシュの見聞きしたことは感じることができた。
アリアーシュの記憶を共有しているわたしだけれどエリック・ニコールという人物を思い出そうとしても何も思い出せなかった。
しかしその名前を聞いて今まで何を言われても笑いながら躱し、余裕を見せていたアリアーシュから表情が消えた。
「やはりあの男か」
「なんの…事でしょうか…」
「お前はあの男によく懐いていたからな」
「うっ…」
わたしが目覚めた時と同様に記憶が流れ込んできた。
これは…。
公爵令嬢で王子の婚約者といってもまだ幼いアリアーシュは、連日続く王子の仕打ちに王子の前では泣くことはなかったが、部屋から一歩出ると静かに涙を流していた。
そんな時、アリアーシュを慰めてくれたのは王城でのアリアーシュの送り役だったエリック・ニコールという騎士で、行きは馬車から王子の部屋の前、帰りは王子の部屋の前から馬車までアリアーシュの護衛をしてくれていた。
時に中庭に寄り道をしては二人で花を眺めたり、「自分が案内できるのはこんなところぐらいで…」と言いながら騎士団の訓練所に寄り道をしたり、そして最後に「殿下には秘密ですよ」と、二人の秘密が増える事にドキドキもした。
王子と過ごす地獄で拷問を受ける様な時間もエリックに会うために耐えたし、行きたくなくてもエリックに会うために登城した。
次第にアリアーシュはエリックに恋心を抱くようになっていた。
アリアーシュは幼くても公爵令嬢。
自分が王子以外に思いを寄せる事は許されない事だってわかっていた。
だから誰にも気付かれない様、幼く淡い恋心を心に閉じ込め蓋をした。
そう、わたしにすら秘密にして。
「殿下は…お気付きだったのですか…」
「ずっとお前を見ていたからな」
「でしたらお分かりでしょう!殿下以外の者に思いを寄せたのはわたくしです!!裁かれるのは彼ではなくわたくしではありませんか!!どうして…どうして彼を罰したのですか!?」
ポロポロとアリアーシュの瞳から涙が零れた。
アリアーシュの涙も、剥き出しの感情もヴィクトルは初めて見るものだった。
「あいつは…お前を誘拐した賊の頭だったんだよ」
「う…嘘…。そんなの…そんなの嘘ですわ!!だってヴィクトル様はあの時仰られたではありませんか、彼はわたくしを守れなかったから裁かれたのだと、彼が賊と繋がっていたなど一言も仰られていなかったではないですか!!」
また記憶が…。
その日もアリアーシュは王子に心をボロボロに傷付けられていた。
部屋を出てエリックの顔を見るとホッとして、いつしか自然と涙が溢れるようになっていた。
「アリアーシュ様、先日蕾だった中庭の花が綺麗に咲いておりました。本日はそちらを通って帰りましょうか」
エリックはいつもと変わらず優しかった。
馬車までの道のりをエリックと歩く時間だけが救いだった。
王子に傷つけられた心が癒された。
彼と会える時間は王子との拷問にも似た時間を耐えたアリアーシュへのご褒美だった。
エリックと見た中庭の景色は特別だった。全てがキラキラと輝いて見えた。
エリックとの時間があれば頑張れる。
エリックはアリアーシュの心の支えだった。
しかし彼と過ごせる時間は一瞬だ。
さっきまで中庭にいたと思ったら目の前にはもうセラトリア家の馬車が見えている。
「エリック様、お見送りありがとうございました。それではまた」
アリアーシュはこの日もいつもと同じようにエリックに礼を言って馬車に乗り込んだ。
「なんだ貴様たちは!?」
城門を出たところだろうか?急に外が騒がしくなった。
どうしたのだろうと窓のカーテンを開ける為、扉に近付いた。
ガチャリ
馬車の扉が開き、見知らぬ男が入り込んできた。
「キ…」
アリアーシュの悲鳴は男の大きな手によって塞がれた。
男は手慣れた様子でアリアーシュの両手を縛り猿轡を食め、麻袋を頭からすっぽり被せ全身を包み込むと軽々と担ぎ上げた。
アリアーシュは恐怖で意識を失った。
目を覚ました時、視界は薄暗くまだ麻袋に入れられたままだった。
両手だけでなく足まで縛られて身動きが取れない。
馬車の襲撃からどれくらい時間が経ったのだろうか?
助けは来るのだろうか?
自分はこれからどうなるのだろうか?
お邸に帰りたい。ルリアにキレイにしてもらって柔らかいベッドで眠りたい。
お父様…お母様…アル…
「しっかしあんまり上手くいき過ぎて正直拍子抜けだぜ」
アリアーシュが不安と恐怖で震えていると賊の男達の声が聞こえてきた。
「王城の警備なんて大した事ねぇな」
「そりゃ、あの人のおかげだろ」
「それに真っ昼間の城門の所で襲われるなんて誰も思わねぇだろうしな」
男達は「ちげーねぇ」と言い、どっとその場が沸いた。
「公爵令嬢で王子の婚約者だ、高値で売れるぜ」
売ら…れる…?
わたくし、売られるの?
サーっと血の気が引く感覚に襲われた。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
「んん~ん~んん~んん~ん~」
猿轡をされているため声が出せない。
「おや、お嬢様がお目覚めのようだな」
アリアーシュに気付いた男がアリアーシュから麻袋を外した。
「ん~!ん~!んん~!」
「大丈夫、大丈夫、お嬢様は大事な売り物だから傷つけたりしないよ。あの人にも丁重に扱えって言われてるし」
あの人?
「お嬢様はそこで大人しく待ってな」
そう言うと男達は前祝のつもりか酒を飲み騒ぎ始めた。
夜も更け、酒も入り、騒ぎ疲れた男達が寝静まった頃、外が騒がしくなった。
その騒音は徐々にこちらに近付いて来る。酒が入った男達もその騒音で目覚め始めた。
そしてとうとうドアが蹴破られた。
「アリアーシュ!!無事かあああああ!!」
アリアーシュを助けに来てくれたのはお父様だった。お父様がセラトリアの私兵連れて自ら助けに来てくれた。
「んん~っ!!んん~っ!!」
アリアーシュは猿轡をされ声が出ないのにもかまわず叫んだ。
「おお、アリアーシュ、無事だったか?怪我はないか?痛いところはないか?」
「お父様ああああああああ」
お父様はすぐにアリアーシュの拘束を解いてくれて、安心して泣きじゃくるアリアーシュを優しく抱きしめてくれた。
賊達はセラトリアの私兵達を迎え撃つも、寝起きで酒が抜けてないのも相俟ってあっさり全員捕らえられた。
アリアーシュは誘拐事件の後、しばらく領地で療養することになった。
アリアーシュは邸から出なくなったし、どうしても外出が必要な時は過剰な程護衛が付いたし、四六時中ルリアが付いて回った。
そんな生活が一年程続き、アリアーシュは王都に戻る事となった。
王都に戻れば王妃教育も王子とのお茶会という名の地獄の拷問の様な時間も始まる。
正直に言えば王都には戻りたくなかった。だけどセラトリア公爵家の娘として、王子の婚約者である間はその責務を全うしなければならない事も分かっていた。
エリックに会いたい。
当然ながらこの一年、エリックに会うことはなかった。
彼は今何をしているのだろうか?
わたくしの護衛がなくなれば彼はわたくしを忘れてしまうだろうか…。
彼から見て、いいえ、彼から見なくてもわたくしはまだ子供。そんな子供の事なんて会えなくなればすぐに忘れるに違いない。
エリックに会いたい。
その思いでアリアーシュは王都に戻り、王妃教育と王子とのお茶会の為、王城へ再び通う事となった。
城門前で誘拐事件が起こった事もあり、アリアーシュには王命により常に囲むように護衛が付いた。それは城内だけでなくセラトリア邸から王城までの行き帰りの馬車も同様に厳重に警護された。
しかし城内での護衛にエリックの姿はなかった。
交代制になったのかと思ったがそうではないらしく、来る日も来る日も決まった人が護衛に付いてくれた。
「あの…今までエリックという方がわたくしの護衛に付いてくれていたのですがその方はどうしているのでしょうか?」
疑問が不安に変わり、アリアーシュは送り役の護衛の騎士に尋ねた。
「ああ…あいつは…」
何か言い辛い事があるのか、護衛の騎士は言いよどみ、なかなか答えを出そうとしなかった。
「あいつは今、牢獄にいる」
答えたのは護衛の騎士ではない。
後ろから声が聞こえ、振り返るとそこには王子がいた。
何故ここに?いつからいたの?王子以外の男の事を気にしていると知られてしまった?
これ以上ここでエリックを話題に出すのはまずい。分かっている。そんなことは分かっている。
「牢獄にいる…とは?」
だけど止められなかった。聞き間違いかも知れない、そう思わずにはいられなかった。
「言葉通りの意味だが?」
どうやら王子はそれ以上説明する気はないらしく、アリアーシュの前を過ぎようとした。
しかしここまで聞かされてアリアーシュも引き下がる訳にはいかなかった。
「お待ちください殿下、どうして彼は牢獄に居るのでしょうか?」
「どうして…だと?お前が分からないと言うのか」
何も説明されていないのに何を分かれというのだろうか。
何も答えないアリアーシュに王子はやれやれといった様子で大きな溜息を付いた。
「あいつはお前の護衛でありながらお前を守れず、賊をみすみす逃した」
「そんなっ!!悪いのは賊であって彼ではありません!!」
「お前は自分の立場を分かっていてそれを言っているのか?」
王子に言われサッと血の気が引くのを感じた。
わたくしの立場。
わたくしはセラトリア公爵令嬢であり、この国の王子ヴィクトル・ペルダナグの婚約者だ。
だけど、わたくしを守れなかった事が牢に入れられる程の罪になるのだろうか?
「確かにわたくしは攫われましたがこうして無事戻ることが出来ました。それに彼は今まで職務を全うしわたくしを守ってくださいました。その事に感謝はすれど恨みは全くございません!!ヴィクトル様、どうかご慈悲を…」
「ただの護衛にずいぶんな入れ込み様だな」
「っ…い、いえ…そのような事は…」
「まあいい、お前が戻って来たところでお前が攫われた事に変わりない。そこにお前の気持ちなど関係ない」
王子はそう言い放つと、アリアーシュの前から去った。
「ああ、そうだ」
数歩進んだところで、何か言い忘れたことがあるようで王子は立ち止まった。
「エリック・ニコールの死刑が決まった」
王子はアリアーシュの方を向くことなく、それだけ言い、振り返ることなく歩いて行った。
ヴィクトル様は今、何と仰られたの?
唐突に、しかしあっさりと、何でもない様に告げられた死刑宣告にアリアーシュの思考は停止し呆然と立ち尽くした。
エリックが死刑?
わたくしが攫われたから?
わたくしを守れなかったから?
わたくしの所為?
わたくしの所為でエリックが死んでしまう。
わたくしには何の力もない、だけどお父様はこの国の宰相だ。いけない事だと分かっていてもお父様にお願いするしかない。きっとお父様ならわたくしの力になってくれるはず。
殿下の仰ったとおり、わたくしが攫われたことに変わりはない。だけどせめて死刑だけは取り止めてもらえないか、刑を軽くしてくださるようお願いするしかない。
だけどお父様と顔を合わせる事がなかった。
深夜まで起きていても帰ってきている気配はなく、もしかしたら本当に帰ってきていないのかもしれない。会わない事にはお願いも出来ない。
アリアーシュはお城に行く度、エリックへの面会を申し込んだがそれは一度も叶う事はなかった。
それだけではない。エリックの処刑はアリアーシュに知らされる事なく執行された。
アリアーシュがエリックの処刑を聞かされたのは執行後、数か月経ってからだった。
ただの一度も会う事も顔を見る事すら叶わなかった。
エリックにもう会えない。自分の所為でエリックは殺されてしまった。
深い悲しみと絶望、罪悪感で目の前が真っ暗になった。
そんな時こんな噂がアリアーシュの耳に入った。
「エリックの処刑はヴィクトル様が決めた」
そうか。
エリックを牢獄に入れたのはヴィクトル様。
エリックに面会できなかったのもヴィクトル様の所為。
エリックの処刑を知らせてくれなかったのもヴィクトル様の所為。
エリックを死刑にしたのはヴィクトル様。
全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部
ヴィクトルの所為。
エリックはヴィクトルに殺されたのだ。
「ふふっ…ふふふっ…」
ああ、エリック。わたくしがあなたの仇を取りますわ。
わたくしがヴィクトルを殺します。
こうしてアリアーシュは王子に復讐を誓った。
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