26.アリアーシュ・セラトリア
わたくしはアリアーシュ・セラトリア。
由緒正しき公爵家に生まれ、幼い頃からその名に恥じぬよう教育されてきた。
こういう言い方をすれば厳しく育てられたと思われるけれど、両親はとても優しかった。
この国の宰相を務める父は忙しく、顔を合わせる事は多くなかったが、会えば必ず抱きしめて時間が許す限り話し相手になってくれた。いつだって笑いながら話を聞いてくれて、沢山褒めてくれた。
一方母は貴族には珍しく、普段から子供の相手をしてくれた。マナーや作法などを教えてくれたのも母だった。母も唯一苦手だった刺繍だけは講師が付いたくらいだった。
わたくしの一つ下に生まれたのが弟のアルバート。いつもわたくしの後ろを付いてきてわたくしの真似をする。いずれ公爵家を継ぐアルバートにおかしなことは教えられない、そう思い良き姉であろうと、アルバートの手本になるよう公爵家の人間として振舞った。
そしてわたくしが七歳の頃、その知らせは届いた。
第一王子ヴィクトル・ペルダナグの婚約者に選ばれた、と。
第一王子の婚約者。
公爵家の娘としてこれ以上の誉れはない。セラトリアの名に恥じぬよう立派に婚約者を務めよう。
顔合わせの日、わたくしは高鳴る鼓動を抑えながら登城した。
結論から言うと最悪だった。最悪以外なにものでもなかった。
わたくしとの婚約がご不満なようで殿下は挨拶すらして下さらなかった。
何とか殿下のご機嫌を取りたいと思っても勝手に口を開くことは許されなかった。
わたくしはただじっと黙って笑顔で時間が過ぎるのを待つしかなかった。
顔合わせの出来事で、殿下との婚約は破談になると思っていたけれど、何故か破談されることはなかった。
しかしそれからも殿下の態度は変わらず不機嫌を隠すことなく冷たかった。
殿下の冷たい態度はどんどん嫌がらせの様なものが含まれるようになった。
時には水を掛けられ、時には物を投げられ、目隠しをされたり、椅子に縛られたり、地べたに伏せる様命じられたり、他にも上げたらキリがない程色々された。
それでも婚約が継続されており、わたくしは殿下の婚約者なのだからと必死で笑顔を取り繕った。
だってわたくしは由緒正しき公爵家の娘。涙は見せない、怒りや嫌悪も見せない、わたくしは殿下の嫌がらせにも笑顔で耐えてきた。
でも本当は泣きたかった、嫌がらせを受ける前に帰りたかった。なにより殿下に会うのが嫌で嫌で仕方なかった。お城になんて行きたくなかった。
どんなに気丈に振舞っていてもわたくしの心は確実に擦り減っていった。
よく二年も耐えたわね、自分で自分を褒めて差し上げたいわ。
殿下の嫌がらせはわたくしが死ぬまで続いた。文字通り死ぬまで。
あのお茶会でわたくしが倒れる事もなく、何事もなく終わっていたら、きっと殿下の嫌がらせは今も続いていたでしょうね。
死んで良かった。そう思えるのがわたくしの短い人生。
どうしてわたくしはこんなに早く死ななきゃいけなかったのかしら?
答えは出ているわ。どれもこれも全部全部全部全部ヴィクトル・ペルダナグの所為よ。
ヴィクトル・ペルダナグの婚約者に選ばれなければ、ヴィクトル・ペルダナグと出会わなければ、わたくしは苦しむことも、死ぬこともなかった。
そう、全部全部全部全部全部全部全部全部ヴィクトル・ペルダナグが悪いのよ。
これは復讐よ。
ヴィクトル・ペルダナグに死を選びたくなるほどの苦痛を与えるの。
そう思えばあの魂は良くやってくれたわ。
ヴィクトルに好意を抱かれるなんて、気持ち悪くて怖気が走るけれどそれならそれを利用するだけ。
うふふ、ヴィクトル・ペルダナグ。あなたが大切にしている“アリアーシュ”をボロボロにしてあげますわ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ここに閉じ込められて一体どれだけ時間が経ったのだろう?
この何もない暗闇はアリアーシュの心だ。アリアーシュの王子を嫌う気持ちが、憎む感情がここに居れば伝わってくる。
王子を好きなわたしをここに閉じ込めて、自分と同じ気持ちにさせようとしているのだろうか?
しかし何故わたしは消えないんだろう?
アリアーシュが表に出て、わたしは消えるものだとばかり思っていたけど何故かいまだに存在している。
わたしが消えない事も謎だけど、どうしてアリアーシュは表に出る事ができたのだろう?
彼女は毒菓子事件で死んでいる。どういう仕組みかは分からないけれど、どんな奇跡なのかは分からないけれど異世界人のわたしの魂がこの体に転生できたのはアリアーシュの魂が消えたから…。
しかしアリアーシュの魂は消えなかった。確かに彼女はわたしの中にいた、だから生前のアリアーシュの記憶を継ぐことが出来た。
彼女はこれは復讐と言っていた。
アリアーシュはわたしの中でずっとこの機会を待っていたの?
わたしが転生してからの四年間、わたしが王子と過ごした三年間、わたしの中でずっと復讐の炎を燃やし続けていたの?
この暗い闇の中でずっとずっと…。
ねえ、アリアーシュ。王子に復讐すればあなたの気が晴れるの?
王子との婚約が破談になってもあなたは教会で飼い殺されるのよ。そんな未来と天秤にかけても王子に復讐したいの?
わたしは…。
それでもわたしはアリアーシュを止めたい。
たとえ復讐することでしか満たされないとしても、その先に待つのが地獄だと分かっていて止めないわけにはいかない。
もうわたしは用済みで消えてしまうかもしれない。でも消えるなら、せめて消える前に、アリアーシュを止めたい。
わたしだって四年間アリアーシュだったのだ、彼女の幸せを願って何が悪い。
だったらいつまでもこんなところで俯いている場合じゃない。
わたしは顔を上げ立ち上がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「そこの馬車よ!!止まれ!!」
馬車と馬ではどう走ったって馬の方が速い。
それとも俺が追いかけないとでも思ったのか、俺達はアリアーシュの乗る教会の馬車に領境の林の中で追いついた。
「これはこれはヴィクトル様。何か御用でございましょうか?」
顔を出したのはあの小太りな男だった。
「俺の婚約者を返してもらおうか」
「はて?何の事でしょう?我々がお連れしているのは聖女様であってヴィクトル様の婚約者様ではございませんが?」
「言葉遊びはいい、アリアーシュを返せ」
「困りましたねえ、アリアーシュ様は聖女になる事を選ばれたのですよ。我々聖教教会は聖女様を保護する義務があります」
小太りの男の雰囲気がニタニタした笑いから不穏な雰囲気に変わった。
ザワザワザワと草木が揺れ、わらわらと黒い覆面の男たちが現れた。その数ざっと二十人。
「例え殿下が相手でもねえ!!」
小太りの男がそう叫ぶと覆面の男たちが一斉に襲い掛かってきた。
ふん、馬鹿どもが。
相手がガキと爺で楽勝とでも思ったか。
「雑魚なんざ俺一人で十分だ」
俺は右手に魔力を集中させると襲い掛かってきた男どもに向かって放った。
何もない空間から稲妻が走り覆面の男たちの上に落ちた。いや、落とした。
風魔法の上位互換、雷魔法。風魔法を習得しても一握りの人間しか習得できないと言われている上位魔法だ。
雷魔法を食らった覆面の男たちはその場に崩れ落ち、残りは小太りの男だけになった。
「ひいいいいいいいいいいいいいいっ!!ひっひっ人殺しいいいいいいい!!」
小太りの男は腰を抜かし、なんとか逃げようと進んでいないが一生懸命後退っている。
「全員殺してやりたいが殺していない、気絶させただけだ。色々聞きたい事ができたからな」
覆面の男たちが握りしめている剣は隣国ツぺべギリア帝国の騎士紋が刻まれていた。騎士紋入りの剣を持っていると言う事は上位部隊の騎士団なのではないだろうか。その辺りの事も含め色々聞かなければならない。
「お前も大人しく投降しろ、そうすれば命までは取らない」
「わ、我々には聖女様が必要なのだ!!我ら聖教教会の造る清浄なる世界の為に!!」
小太りの男がそう叫ぶと怪しげな液体の入った小瓶を取り出し、それを一気に呷った。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
男は苦悶の表情を浮かべ苦痛の叫び声が轟いた。
「ボン!一旦下がれ!!」
事の異常に一早く反応したアドルフ爺さんの指示で小太りの男から距離を取る。
俺は小太りの男の形状が人から化け物に変わる様をじっと見る事しかできなかった。
「これは…」
「おそらく教会の人体実験の結果じゃろう。体のどこかに魔石を植え付けられているはずじゃ」
「ぐるるるるるるううううぅぅぅぅ」
小太りの男の姿は見る影もなく、そこにいるのは涎を垂らしながら喉を鳴らす化け物だった。
「セ…セイジョ…セイ…セイジョ…セイジョ…セイジョセイジョセイジョセイジョ」
理性も知性もない化け物になっても、まるでそれが使命かの様にひたすら聖女と連呼し、アリアーシュの乗る馬車に向かって行った。
「させるか!!」
俺は体に身体強化を掛け、風魔法を使い、化け物に詰め寄り、背中を切りつけた。
「ぐっ…硬い」
化け物の皮膚は硬く、掠り傷ほどの傷しか付けれなかった。
化け物は攻撃されたことで俺を敵と認識し、アリアーシュではなく俺の方を向いた。
「手を貸そうか?ちゃま」
ランドルフ爺さんが余裕そうに話しかけてきたと言う事は俺でも倒せると言う事か…。
「いや、手を出すのは俺が死にかけてからにしてくれ」
「ふぉっふぉっふぉっ、了解じゃ」
ガキン!ガキン!ガキン!
化け物の鋭い爪の攻撃を剣で弾きながら反撃の機会を伺うが、両腕から繰り出される攻撃を躱す事が精一杯だった。
「ぐっ…!!」
剣が弾き飛ばされ丸腰になってしまった。
化け物は大きく腕を振りかぶり、止めの一撃を繰り出そうとした。
しかしその攻撃は俺に届くことはなかった。
肉を突き刺す鈍い音が聞こえ、眼前に刃が現れた。
ズルリとその体が倒れ、その陰から現れたのは…。
「アリアーシュ…」
俺の剣を構えたアリアーシュだった。
「まったく、お遣いも出来ないなんてなんて無能な男なのかしら」
事の経緯を知ってか知らずか、この化け物があの小太りの男だと分かっているようだった。
「殿下も、しつこい男は嫌われますわよ。いい加減諦めていただけませんか?」
血の滴る剣を握りしめながら、何事もなかったように話すアリアーシュ。
「どうしてもわたくしを連れ帰ると言うのでしたらわたくしと勝負して殿下が勝てば戻りますわ。そうですわね、何なら彼女をお返し致しますわ」
「勝負、だと」
「ええ、殿下がわたくしを殺せば殿下の勝ち。わたくしが殿下を殺せばわたくしの勝ち。シンプルで分かりやすいでしょ」
余裕の表情でアリアーシュは笑う。俺がアリアーシュを傷つけられない事を分かっていて持ち掛けられた賭けだった。
「お前を教会に連れて行く奴はもういない、そんなことをしなくても俺はお前を連れ帰る」
アリアーシュに伸ばした手を遮る様に、アリアーシュは持っていた剣を自分の喉元に刃を添えた。
「わたくし、殿下と共に戻るくらいでしたら簡単に死を選びますわ。もちろんその時は彼女と共に」
「俺にお前を殺せというのか」
「いいえ、わたくしに殺されてください。そしてどうか二度とわたくしの前に現れないで下さい」
「二度目だな。お前が俺を殺そうとするのは」
「あら?何の事かしら?わたくし、殿下を殺したいほど恨んでいても殺そうとしたことはありませんわ」
「五年前の茶会で菓子に毒を盛ったのはおまえだろ?」
「まあ!!バレていましたの?」
毒菓子事件の犯人は自分だと、アリアーシュはあっさりと認めた。
「まんまとやられたよ、アリアーシュ・セラトリア。誰も俺の婚約者で毒入りの菓子を食べた本人が犯人だとは思わなかったからな。だけどあの日俺に毒を盛ることが出来たのはお前だけなんだよ」
「うふふ、正解ですわ。あの日殿下のお皿のお菓子に毒を盛ったのはわたくし。自分が食べさせられてまさか自分が死ぬとは思ってもみませんでしたが。それで殿下はわたくしを捕まえて裁きますか?うふふ、わたくし死刑ですわね」
「状況証拠だけじゃ不十分なんだよ。それに俺はお前を訴える気はない」
「婚約者に命を狙われるなんて王家の醜聞ですものね、それは世間に公表できませんものね」
クスクスとアリアーシュは可笑しそうに笑った。
「エリック・ニコール」
俺が一人の男の名を口にすると、アリアーシュの笑いが止まった。
「当時、城勤めの騎士でお前の送り役だった男で、俺が牢獄に入れた後、死刑を言い渡した男の名だ」
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