【練習番号I】ストーカー1
<前回までのあらすじ>
母親の影響で、小学生からトランペットを吹いていた高城沙織は、進学した高校でも吹奏楽部に入部した。
実力を認められ、吹奏楽部の新入生勧誘演奏に一年生の新入部員ながら参加した沙織。
勧誘演奏が終了し、F女吹奏楽部と沙織は、ギャラリーから大絶賛を受ける。
しかし、そのことが、思わぬ副産物を産み・・・。
――プロローグ
「おはようございます」
そう挨拶しながら、新聞部の二年生・柏木聡美が新聞部の部室に入ってきた。
とはいえ、今は朝ではない。
朝に限らず、昼でも夜でも、その日、部室に始めて来た時は「おはようございます」と挨拶するのがなんとなく習わしになっていた。
部室にいたのは、編集長であり部長の三年生・橘孝子と二年生の副編集長・伊藤琴音、そして三年生の校閲係・鳴海こばとだった。
その他のメンバーは、今日で解禁されて三日目の、部活への新入生勧誘活動に出かけていた。
F女学院高校の新聞部が作っている校内新聞は、隔週発行。要するに、二週間に一度のペースで配布される。そのペースを保つため、2班に分かれて取材と編集をし、それぞれ月一回制作するノルマになっている。
しかし、新年度最初の新聞は合併号とし、編集部総出で4月末、ゴールデン・ウィーク直前の発行を目指している。
現在、その制作が佳境に達している。
だから、部員全員が新入生の勧誘活動に出張って行くことは出来ず、役職持ちを中心に、こうして居残り組が発生するわけだ。
それに、部活見学の一年生がやって来たら対応をしなければならない。
とはいえ、新聞部は、その活動結果がほぼ月二回、学校新聞という形で生徒全員の目に触れる。
そこで、常に部員募集のスペースを割いているので、新入生の勧誘活動をこの時期だけに特別頑張らなくても良いのだ。
そういう安心感から、新聞部は勧誘活動にあまり積極的ではなかった。
部室の出入り口から入ってきた柏木は、そのまま部長が座っているデスクに直行し、リラックスした雰囲気でその前で立ち止まった。
「ねえ、部長。さっきちょっと同じクラスの吹奏楽部員の話しを小耳に挟んだんですけど、この前部長がインタビューした石神井恵美って一年生。インタビューで吹奏楽部に入るようなこと言ってましたけど、今日の新入生勧誘演奏に出るみたいですよ」
橘はその話を聞き、「何だって!?」と言って突然立ち上がった。
デスクを挟んで、顔を突き合わせる橘と柏木。
「それは確かな情報なの? 柏木」
柏木は、眼の前にある端正な顔立ちの橘の眼を直視した後、「はい」と頷く。
彼女が再び顔を上げて橘と眼を合わせると、
「吹奏楽部が演奏の準備してるところ通って来ましたけど、いました。確かに、先輩が撮った写真の子でした」
と伝えると、その時外から吹奏楽部の演奏する《星条旗よ永遠なれ》が聴こえてきた。
「あ、もう演奏始まっちゃったじゃない!」
橘は、両手で頭を抱えてそう叫ぶと、備品置き場の棚からボイスレコーダーと、中望遠ズームレンズが予め装着されたデジタルカメラを急いで手に取り、デジカメの充電を確認した。
その後、「備品の持ち出し申請書は戻ってから書くから、後はよろしく」とだけ言い残し、慌てて部室を飛び出していった。
「まるで嵐だな」
「そうですね。いつもながら部長のフットワークの軽さには驚かされます」
隣同士のデスクに座っている鳴海と琴音が、橘について笑いながら話す。
「それにしても、何で部長はそんなに石神井恵美のことが気になるんでしょうか?」
柏木聡美が素朴な疑問をぶつける。
「それは私たちにも分からないよ。インタビューの時、記事にしてない“何か”があったんじゃない? ほら、琴音が言ってたじゃん。橘がある情報をもみ消したって」
鳴海が推測する。
鳴海はバスケ部員か陸上部員のようなショートヘアで、スラッとした長身だ。喋り方もその容姿とマッチして男勝りな口調である。
「その、部長がもみ消した情報が、石神井絡みだということですか?」
柏木が自分の席に付きながら鳴海に尋ねる。
「それは知らんけどね。橘が、他人に興味津々なやつってこと以外は。そもそも石神井程の人材に、橘が興味を持たないことのほうがおかしい訳だし。それに石神井は勉強だけでなく、昨日だか一昨日入った吹奏楽部で、普通は一年生が参加するようなことはない新入生の勧誘活動に駆り出されるほどろ?」
鳴海は、椅子の背もたれに身体を預けながら飄々とした口調で答える。
「そうですね。女子学園中出身で入試トップ成績者ってだけでも、超人感半端ないですからね。その上、楽器も吹けて、一年生ながら新入生の勧誘演奏のメンバーに選ばれるなんて、神は彼女に何物を与えたんでしょうか」
伊藤が口を挟む。
すると、部室に備えてある電話が鳴った。
電話にはどの席からでも出られるが、その電話に出たのは柏木だった。
「あの、今の電話部長からで、吹奏楽部のこの演奏、動画サイトでライヴ配信しているので、録画しておくように、だそうです」
柏木が受話器を置き、橘からの要件を伝える。
「何だって? この忙しい時にあいつは何を。――ちょっと待ってろ、吹奏楽部のサイトにリンクがあるかも」
鳴海はパソコンを操作して、学校のポータルサイトから吹奏楽部のサイトを開く。
「うーん、多分、このリンクかな」
鳴海がそう言って、吹奏楽部のサイトに掲載されていたリンクをクリックすると、見慣れた背景の中、演奏している吹奏楽部の姿がモニターに映し出された。
「開いたよ。じゃ、フル画面にするね。あと、音が干渉するから、窓閉めて」
鳴海が音量設定のミュートを解除すると、パソコンのスピーカーから、《展覧会の絵》の演奏が流れ出した。
一つのモニターを、3人で寄ってたかって眺める新聞部員たち。
鳴海のデスクの周りの人口密度が一気に高まる。
「やっぱり、配信映像は、カメラ据え置きで吹奏楽部の全体ショットですね」
「そりゃそうだ。さすがに一人ひとりの“抜き撮り”は、個人情報的にまずいでしょ。学校名分かっちゃってるんだから」
「でも、そうなるとどれが石神井だか・・・」
「うーん、待ってろ」
鳴海は、吹奏楽部のメンバー一人ひとりを確認しながら、石神井の顔を探した。文章の校閲を担当している彼女にはもってこいの作業だ。
「これじゃね? えーと、指揮者の左側から二番目。縦笛みたいな楽器の。制服のタイの色も一年のだし」
鳴海はモニターに腕を伸ばし、石神井と思われる人物を指差す。
瞬間、モニターの液晶が滲む。
「あ、そうですね。石神井ですね。へー、クラリネットなんだ、彼女」
柏木が感心したような口調で言った。
「クラリネット?」
鳴海が素っ頓狂な口調で柏木に尋ねる。
「ええ、石神井が吹いてる楽器のことです。吹奏楽では、クラリネットはオーケストラでいえばヴァイオリンに相当する、メロディーを主に担当する楽器です」
「それじゃ、石神井個人の音は聴こえんな」
残念そうに言う鳴海。
「ソロになれば別ですけど。まあ、究極的に言えば吹奏楽もオーケストラも、個人個人の技量がどうこうより、『皆で一つ』の響きを奏でることが大切なので。目立つ楽器と言ったら、トランペットと打楽器くらいでしょうか」
「柏木、詳しいな。お前がそんなに音楽に造詣が深かったなんて知らなかったよ」
鳴海が感心して柏木に話しかける。
「私の2つ下の妹が、吹奏楽部で結構有名な中学でホルンを吹いているので。妹と話し合わせるのに、自分で調べたりもしてますけど、殆どは受け売りですね」
あっけらかんとした口調でネタバレをする柏木。
「そうなんだ。それじゃ、吹奏楽部の取材担当は柏木っていうことで。部長が石神井にご執心だから、これから吹奏楽部との絡みも多くなっていくと思うし」
「そんな! 私、別にそんなに詳しくはないですよ。楽器名と、有名な曲名が少し分かるくらいで」
柏木は、謙遜するように首を左右に振りながら言う。
その動きに合わせ、髪留めを付けていない、彼女のボブヘアの毛先がゆるやかに左右に揺れる。
「それでも、全く知らないよりはマシだろ? 少しでも分かってて相手に訊くのと、全く分からずに相手に訊くのとでは、相手の反応も違ってくるよ」
鳴海にそう言われて複雑な気持ちの柏木。
柏木は、どちらかというと、インタビューなどの取材活動よりも、インタビューを録音した音源の文字起こしやDTP、あるいは会計処理などのデスクワークの方が得意であり、好きだった。
そこに、伊藤の驚きの声が突然被る。
「ねえ、今の聞きました? この演奏、石神井だけでなく、一年生が3人も参加してるんですって」
動画は、《展覧会の絵》が終わり、吹奏楽部の部長がマイク・パフォーマンスの中で、今回の演奏には一年生が3人参加していることを伝えていた。
「聞こえたよ。やっぱり名前は言わなかったけど、クラリネットは石神井だな。あと、トランペットに2人でしょ」
鳴海は伊藤の驚きに対しそう答えつつ、
「これは、吹奏楽部への取材、冗談じゃなく、本当に考えなきゃいけないかもなあ。特にその一年生3人」
と誰にともなく言うと、
「え、うちが吹奏楽部の宣伝するんですか?」
伊藤が鳴海の言葉に過剰に反応した。
その口調は、控えめながらはっきりした声だった。
「宣伝て・・・。伊藤さあ、伊藤が吹奏楽部嫌いなのは分かるけど、部活の活躍、つまり頑張っている人達が結果を出したとき、それを知らしめるのも私たち新聞部の仕事だよ。そういう人たちの活躍を見て、他の人たちが、自分も頑張ってみよって思えるようにね。入部して間もない一年生が、本番メンバーに抜擢されるなんて、最高のネタじゃない」
鳴海は、決して伊藤を咎めている訳ではなかった。
先輩ということや普段の口調もあり、彼女の発言はどうしても説教臭く聞こえてしまう。
そういうところは、部長の橘の方が立ち回りが上だった。
伊藤は、そのことをよく分かっていたので、特に反論もせず、俯いて鳴海の言うことを黙って聞いていた。
「それにしてもこのトランペットの一年、半端ない巧さでしたよ。コメントにもあるように、本当にプロみたい」
柏木が真剣な表情で呟く。
「私には楽器演奏の上手い下手はよくわからないけど、確かにコメントは大絶賛の嵐だな。てか、なんだよこのアクセス数。視聴者数6千後半て。コメントも速すぎて読み切れん。うちの吹奏楽部って、こんな知名度あったっけ?」
ライヴ配信動画の視聴者数の多さに鳴海が驚く。
「口コミで拡散されているみたいですね。それに、女子校の吹奏楽部のライヴ配信だなんて、珍しいですし」
柏木が鳴海の問いかけに答える。
「お、トランペットが3人、前に出てきたな。しかも2人は一年生だ」
F女の制服は、白のブラウスの襟に付ける紐帯の色が学年別の学年色になっているので、ひと目で何年生か分かる。
「《トランペット吹きの休日》です」
伊藤が発言した。
「え?」
鳴海が伊藤に聞き返す。
「これから演奏される曲の曲名です」
なんでお前がそんな事知ってるんだ? というような表情の鳴海に対し、
「前、部長が言ってました」
空気を読んでそう答える伊藤。
そこに、柏木が声を被せる。
「《トランペット吹きの休日》って、ちょっとやそっとじゃ吹ける曲じゃないハズですよ。他のパートは別にして、特に1番は。メンバーのこの並びだと、三年生を差し置いて1番パートはさっきの曲でも目立っていた一年生が吹くようです。さっきの《展覧会》のこともありますし、この子、吹奏楽部的に相当ヤバいかもしれません」
柏木が持っている知識を総動員して一生懸命に解説する。
「確かに、コメントも物凄い盛り上がってんな。視聴者数ももう7千超えたし。柏木、吹奏楽部への取材、中でもこのトランペットの一年。本格的に考えておいてくれよな。インタビューが不安なら、部長引っ張って行ってもいいからさ。私たちの代が卒業したら、柏木だってインタビュー苦手とか言ってらんないだろ? 修行のつもりでさ」
「そうですね。新聞部員になったからには、もっとコミュニケーション力を上げて、取材も積極的に出られるようにしないといけないと思ってました。今年は、もう最下級生ではないですし・・・」
そう決意表明する柏木を、伊藤は横から黙って凝視していた。
「お、始まったぞ」
スピーカから、《トランペット吹きの休日》が軽やかに鳴り響いてきた。
「うーん、こりゃ思ってたより、トランペット無双だな。トランペットって吹くの大変なんだろ? こんなの最後に持ってくるなんて、アリなのか?」
「まあ、概ね金管楽器は吹くの大変ですけれどね。ホルンとか、すぐに隣の音が出ちゃったりして、目当ての音を当てるだけでも大変だって妹はよく言ってましたけど」
ホルンは、音域的には中音楽器に当たるが、管の長さはトロンボーンよりも長い。
つまりホルンは、管の長さ的には低音楽器と同等なのだが、管自体が全体的に細身なのと、トランペットと同じくらい小さなマウスピースを使うことで、より高い音域を吹くことができる。
その代わり、高い音域は隣り合う倍音の幅が小さく、同じ運指でも1音違いの音が出ることもあり、音を外しやすい。
また、高い音域の倍音は物理的に音程が不正確なので、口元や舌の位置、ベルに挿入した右手の操作、運指の工夫(同じ音でも複数の運指がある)などで音程の微妙な調性を行わなくてはならない。
そのため、ホルンは「最も難しい金管楽器」としてギネス・ブックにも登録されている。
「でも、この一年の演奏、凄いですよ。私も何度か妹の部活の演奏聴いたことありますけど、6人くらいいてもトランペットの音なんてそんなに聴こえませんでした。でもこの演奏、コメントにもありますが、トランペットの音はさっきからずっと彼女の音しか聴こえないです」
「そりゃ、マイクの位置も関係してるんじゃない? 動画撮影用のカメラとマイクは別みたいだけど、どっちも指揮者の後ろ側にあって、この一年生がマイクに一番近い位置にいる」
「ライヴ配信やるんだったら、映画研究部とか放送部から人材や機材借りればよかったのに」
伊藤琴音が独りごちる。
「このライヴ配信は、急遽決まったんじゃない? 一年生3人が吹奏楽部に入るかどうかも分からない時点では、ライヴ配信することは決まってなかったんじゃないかな。一年生3人が参加することで、急遽ライヴ配信することにしたとしか思えん。部長も知らなかったみたいだし。それに、吹奏楽部の新入生勧誘活動に協力する文化部はない。でしょ?」
鳴海のこの言い方は、明らかに伊藤からの発言を誘い出すものだった。
「はい。ただでさえ、生徒会執行部と結託して優遇されている吹奏楽部ですから。毎年、文化部は連名で抗議書出してるのに、一度だって検討された形跡がありません。そういう吹奏楽部を、さらに有利にするようなことはしないですし、したくもありません。自分たちだって、新入生の勧誘しなきゃならないのに」
最後の意見は、完全に伊藤の個人的な感情からくるものだったが、概ねF女の文化部の総意を代弁するものだった。
「あ、終わりましたね。わっ、凄いコメント量だ。それに、会場の拍手も」
スピーカーからは、盛大な会場の拍手が鳴り響いていた。
「鳴海先輩、部長から写真が送られてきてます。部長が自分のスマホで撮った写真のようですが――わ、凄い。何だこれ」
橘からのメールをチェックしていた柏木が、驚きの声を上げる。
「どうした柏木」
「これ見てください。校門の外の様子です」
柏木から見せられた写真に、鳴海も驚く。
「何だこれ。校門の外に、なんでこんな他校の生徒がいるんだ。毎年、近所に住んでる人とか多少のギャラリーはいたけど、こんなに多いのは始めてだ」
「こんなに部外者のギャラリー集めて、吹奏楽部は、何をやろうとしてるの・・・」
伊藤が神妙な面持ちで言った。
「こりゃ、事前に根回ししてたに違いないね。柏木の妹さんは、何か言ってた?」
鳴海が尋ねる。
「いいえ、特には。ただ、うちの吹奏楽部の新入生勧誘演奏は、この辺の中学の吹奏楽部には有名みたいです。わざわざ聴きに来る程じゃないとも言ってましたけど」
柏木は、そう言って微笑する。
「それじゃ、それなりに認知はされてるのか。なら、近隣の高校の吹奏楽部が知っててもおかしくはない、か。それにしても、今年は何でこんなに大盛況なんだろ?」
鳴海が再度疑問を呈する。
「やはり、このトランペットの一年生絡みでしょうか。どの高校も推薦出してて、取り合ってた有名な生徒だったとか」
「うちの高校は部活推薦ないよな? それじゃ、その全ての推薦を蹴って、うちに来たってこと?」
柏木の推測を鳴海が疑問視する。
「まあ、石神井みたいに選んだ高校が学力が見合わなくて受験失敗して、滑り止めのうちに来たってことも考えられますけど・・・」
「そこまで考えると、結局は“たら・れば”の話になって、本人に訊かない限り答えはでないんだよなあ」
「――ってことは、つまり・・・」
嫌な予感に、柏木の表情がやや曇る。
「柏木、いよいよ本格的にお前が直接訊きに行くしかなくなったようだね」
鳴海の言葉を柏木は肯定も否定もせず、柏木の視線は、ただパソコンのモニターを見つめているだけだった。
――翌日の放課後
「部長!」
吹奏楽部の部室で、一年生のパート分けのプランを練っていた部長を、部室と音楽室の間にあるドアを開け、新入生の勧誘活動で帰宅する一年生に声をかけるため校門に待機していた二年生が、ただならぬ雰囲気で彼女を呼んだ。
「どうしたの?」
吹奏楽部の部長、仲里久美が心配そうに二年生に尋ねる。
「それが・・・ちょっと・・・」
仲里の問いかけに対し、口ごもる二年生。
「あのね、何があったのかちゃんと言ってくれないとわからないわ。どんな些細なことでも良いから、言ってみなさい」
仲里は、部長としても最上級生としても、特に下級生から恐れられている存在ではなかった。
確かに、彼女による合奏練習は部員の間で「仲里レッスン」と言われ、厳しいものだったが、その反面、普段は極力親しみやすく接するように努めていた。
「あの、お忙しいところ申し訳ないんですけど、ちょっと校門のところまでお願いできますか?」
「それは構わないけれど、せめてどんな事があったのかだけでも言ってくれない?」
「今、校門のすぐ外側で、他校の生徒が何人か集まっていて、いくら言ってもなかなか解散してくれないんです」
「他校の生徒? 何でまた、他校の生徒がうちの高校の校門のすぐ外で集会してるのよ?」
「実は昨日も、勧誘演奏が終わった後私たちが校門で勧誘活動をしていたら、最後まで帰らない集団がいまして・・・。私たちが帰るように言うと、その時は素直に帰っていったのですが、今日は昨日とは違うメンバーが集まってます。私たちもおかしいと思って訊いてみたんですけど、みんな、どうやら吹奏楽部員らしいんです」
「吹奏楽部員? 他校の? まったく、他校の吹奏楽部は暇なのかしらね。こっちは、新入生の勧誘活動であたふたしてるっていうのに・・・」
仲里は、そう恨み節を言うと、立ち上がって部室を出ていった。
部室を出た仲里は、パーカッションの三年生、武藤美菜子に声をかけた。
「武藤さん、一年生の相手してもらってるところ悪いんだけど、これから私と一緒に校門まで行ってくれる?」
武藤は仲里にそう言われると、「分かった」とだけ返事をし、彼女の後を付いてきた。
「急に悪いわね、武藤さん。これから校門で他校の生徒と話しするけど、あなたは立っているだけで良いわ。必要な時は、声かけるから」
仲里にそう言われた武藤は、「なるほど。つまり、用心棒って訳ね」と自分の立場をすぐさま理解した。
武藤は、中学時代は柔道部に所属し、大会でかなり良い成績を収めていたが、練習のし過ぎで腰を痛めて柔道からは事実上引退し、吹奏楽部にやってきた。
彼女の放つクラッシュ・シンバルの一撃は、バンド全体のフォルテッシモさえ凌駕するほどだった。
もちろん、喧嘩で柔道の技を使うことはない。けれど、女性としては体格がそれなりにガッチリしていたので、そこにいるだけでも抑止力になると仲里は考えたのだ。
校舎の昇降口を出て、校門に向かうと、確かに校門の外側に数名の他校生がたむろしているのが見えた。
「あ、部長、あの人たちです。あー、まだ全員いるな。早く帰るようあれだけ言ったのに・・・」
いっしょに付いてきた二年生が苦言を呈した。
「ちょっとあなたたち、他校の校門の前で一体何をしているのかしら? 帰宅する生徒が怖がるし、うちの学校はここで何があっても責任取れないわ。何か事故が起こる前に、速やかに解散してもらえない?」
校門まで来ると、仲里が大きな声で、集まっている人たちに向けて言った。
そこに集まっていた他校の生徒たちは、我関せずという態度で彼女の言葉を無視していた。
皆、校門から一定の距離感を保ち、校門付近に設置されている監視カメラの画角から外れる位置にいるのが巧妙だった。
「しょうがないわね。取り敢えず、今、あなたたちの制服、そこから撮影させてもらってるので、後で学校名調べて生徒会執行部を通じて正式に抗議します。ハッキリ言って、うちの生徒会長は何物をも容赦しない鬼みたいな人間だから、どうなっても知らないわよ。もし、これ以上、こちら側からの忠告を・・・」
仲里がそこまで言うと、ロングの黒髪が目立つ一人の生徒が歩み寄って来た。
特徴のあるデザインをしたセーラー服の襟と、胸のリボンの形と色に、仲里は見覚えがあった。
確か、去年のコンクールのブロック大会で自分たちの一つ前に演奏した、私立K女学園高校だった。
「ごめんなさい。私たちは、学校は違いますが、みんな吹奏楽部員です。決して貴校に迷惑を掛けるつもりはないの。ただ、貴校の吹奏楽部員の一人とお話しがしたくて、それで・・・」
その言葉を聞いて、仲里はピンときた。
「そう・・・。他の学校の方たちも、目的はK女学園と同じでいいのね? 私は、この学校の吹奏楽部の部長です。ですから、あなたたちが誰に会いに来ているのか、察しはつきました。でも、本人の同意のない、部員個人との接触は控えて欲しいわね。セキュリティ上の問題あるし、知り合いでもない限り、ほいほいと誰にでも会わせる訳にはいきません。うちの校則にも、「校外では他校生とむやみに交流してはならない」とあります。それでも『どうしても』というのであれば、正式に部活同士の勉強会とか交流会を申し込んでちょうだい。こちらもタイトな学校のスケジュールの合間を縫って活動してますので、余程のことがなければ承諾することはないと思うけど。分かっていただけたかしら?」
K女学園の生徒が「分かりました。お手数かけてすみません、部長さん」と言って去っていくと、他の学校の生徒たちも彼女を追うように帰っていった。
「全く・・・。K女学園高校みたいなお嬢様学校の生徒まで、無理を承知で沙織に会いに来るなんてね。やっぱり、あのライヴ配信は失敗だったかしらね。向こうはこっちを知ってるのに、こっちは向こうのことを知らない。こんな不均衡じゃ、対処しようがないわ」
仲里が、一行と共に音楽室に向かいながらそう独りごちると、二年生が彼女の不安にさらに拍車をかけた。
「部長・・・。もしかしてですけど、明日はまた別の学校の人たちが来るような気がします。多分ですけど、高城さんだけでなく、石神井さん目当ての人も混じってるんじゃないかと思います」
それは、確かにそうなのだ。
石神井は、その容姿だけでかなり目立った存在だった。
新入生勧誘演奏のライヴ配信は、アーカイヴは残していないが、今後、違法アップロードは増えていくだろう。そうなった時、沙織よりもむしろ石神井目当てで学校までやって来る他校生の方が多くなっていくように思われた。
幸い、今は女子生徒だけなので、自分でもなんとか対処出来るが、石神井目当てとなると、当然、男子生徒も入ってくるだろう。そうなっては、自分だけで対処し切れるか分からなかった。
仲里が音楽室に戻ると、それを待っていたかのように副部長が近づいてきた。
「部長、みつけたよ」
副部長に突然そう言われ、「え、何が?」とキョトンとする仲里。
副部長は「まあ、いいからこっち来て」と仲里を部室に誘い、私物のノート・パソコンを開いた。
「これ見て。高城沙織さんのファン・サイトよ。いくつか分散しているみたいだけど、現状、4サイトね。他に、掲示板やSNSの個別の発言も含めれば、その数は把握しきれない。もっとも、まだ彼女の名前は割れてないから、質問と憶測の嵐で、どれも尋ね人の情報募集みたいになってるけど」
副部長のノート・パソコンの画面には、ウェブ・ページのスクリーン・ショットが4つ並べられていた。
そのウェブ・ページのタイトルには、「F女吹奏楽部の凄いトランペット」「F女吹奏楽部の神トランペット」「謎の一年! F女吹奏楽部のトランペットがエグい」「F女吹奏楽部にいたえげつないトランペットの一年生」と書かれていた。
「こんなにあるなんて、困ったわね。いずれにしても、名前バレするのは時間の問題、か――」
仲里は腕組みをし、困った表情をして言った。
「そうね。彼女には、当面SNSでの情報発信は控えるようにしてもらうしかないわね。個人情報、どこからでも特定される時代よ。とはいえ、本当に厄介なのは、ネットよりやっぱり現実世界よ。ネットなら、こちらから迂闊に情報発信しなきゃいいだけの話だけど、現実世界ではそうはいかないからね。毎日の通学もしなきゃならないし、自宅を物理的に隠すことも不可能。学校の出待ちや入り待ち、通学経路上での待ち伏せや尾行、あらゆる可能性を考えて、意識的に対処していかないといけないわ」
思ったよりややこしいことになっているので、仲里はうんざりしたが、さらに面倒なことを思い出し、首を左右に振った。
「あと、ライブ配信の違法アップロードに対しては?」
「それは見つけ次第削除依頼出すけれど、正直言って、ほとぼり醒めるまではイタチごっこね。ある程度拡散されるのは防ぎきれないわ。ネットに一度流れたものは、もう完全にないことにはできないもの。究極、私たちに出来るのは、高城さんのファンと称する人たちの中から、過激な行動をする人が出てこないことを祈るだけね。ぶっちゃけ、リアルで心配なのは高城さんより石神井さんの方。今のところ彼女にアプローチしようという動きはないようだけど」
「現状は分かったわ。ありがとうね、副部長」
仲里は、副部長の肩の上に自分の手をぽんと置いてそう言った。
「でもさ、部長。彼女たちと接触を図るんだったら、バラ・フェスも狙い目よ。野外だし。バラ・フェスは、トランペットがあんまり目立たない曲、選ぼうよ」
「そうした方が良さそうね。バラ・フェスの本番では、トレーナーが戻って来て指揮する予定だから、私がファースト吹くとか」
「まあ、それはそれでサオリストが黙ってない気がするけどね」
「ちょっと待った。その“サオリスト”って、何?」
「あ、部長殿は“サユリスト”をご存知でない?」
「“サユリスト”なら知ってるわよ。自分の母親よりずっと歳上の女優なのに、英語の山田がいつも授業で例文に出すじゃない。吉永小百合の熱狂的なファンのことでしょう?」
「そうよ。吉永小百合のファンが“サユリスト”なら、高城沙織のファンは“サオリスト”」
あまりにもくだらない話に、仲里は頭をかかえた。
「サユリストでもサオリストでもどっちでもいいけど、取り敢えずバラ・フェスに関しての対策は、今目の前にある問題をクリアしてからね。そこまでいっしょに抱えていられないわ」
「了解。で、当面の対策は?」
副部長は頭をやや左に傾げて、仲里の顔を心配そうに覗き込んで言った。
「しばらくは正門からじゃなく、裏口から登下校してもらうつもり。幸い、今月いっぱいは登校時に校門で風紀委員と先生方のあいさつ運動があるから、入り待ち対策は不要として、問題は下校時の出待ちね」
「もっと言うと、校門から遠い所で待機していて、高城さんが校門から出てきた所を尾行するパターンもあるわ」
正直言って、それは考えたくないケースだったが、現実問題として、ありえないことではなかった。
仲里は「ふぅ」とため息をつき、目を閉じて天を仰いだ。
「部長?」
副部長が不安になって仲里に声をかけると、仲里は副部長を直視して言った。
「高城さん、ここに呼んで頂戴」
つづく。