【練習番号G】新入生勧誘演奏<本番編>~賛辞
<前回までのあらすじ>
母親の影響で、小学生からトランペットを吹いていた高城沙織は、進学した高校でも吹奏楽部に入部した。
楽器演奏の実力が認められた沙織は、いっしょに入部した友人二人と共に、部活の勧誘活動解禁日から3日間行われる新入生勧誘演奏に参加することになった。
沙織は、もともと一年生である自分が勧誘演奏に参加することには、後ろ向きの気持ちが強かった。
しかし、パート決めや合奏練習での揉め事を通して、自分がそこにいても良いんだと自覚することで、「演奏したい」という純粋な気持ちが次第に高まっていく。
――新入生勧誘演奏3日目
放課後。
とうとう新入生勧誘演奏も最終日の3日目となり、間もなく本番が行われようとしていた。
最終の合奏リハーサルは昼休みの間に済ませてあるので、出演メンバーは音楽室で少しの間ウォーミングアップしてから、演奏場所に移動する。
前日の5限目には、新入生のオリエンテーションの一貫として行われた「部活紹介」もあって、吹奏楽部には既に新入生が何名か入部していた。
勧誘演奏に参加するメンバーがウォーミングアップをしている間、新入生の吹奏楽部員が譜面台やらティンパニやらマイク・パフォーマンス用のPAやら、運ぶのが大変な大荷物を移動してくれたお陰で、それまでの2日間より、準備は速やかに進んでいた。
会場のセッティングの準備が整い、勧誘演奏を行うメンバーが定位置に着くと、まず、指揮台に立った部長から訓示があった。
「みんな、新入生勧誘演奏もとうとう最終日を迎えました。卒業生が抜けて少ない人数、そして短い練習時間にも関わらず、みんなの頑張りのお陰と、SNSでの広報活動も功を奏して、吹奏楽部への入部希望者は例年よりも多くなりました。そして、この勧誘演奏にも、ご覧のように新入生はもちろん、二年生や三年生も私達の演奏を聴くために、たくさん集まっていただいています。そして、校門の外では、他の学校の方たちも、あんなにたくさん、私たちの演奏を聴きに来られています」
沙織が校門の方をチラと見ると、様々なデザインの制服を着た学生で校門付近は埋まっていて、生徒会役員や美化委員が人員整理をしている様子が伺えた。
「実は、SNSのコメント欄で、私たちの演奏を動画を見たいというコメントが山のように来ているので、今回の演奏は、特別に動画共有サイトでライヴ配信することになりました。アーカイヴは残しませんので、一度限りの配信です。でも・・・学校の許可を取るの、結構大変だったのよね」
そこで、演奏メンバーからどっと大きな笑いが沸き起こる。
「いずれにしても、今回のこの演奏が、新入生に私たちの演奏をアピールできる最後の機会です。みんなはもう十分に分かってると思うけど、私たちが今できる全力の演奏をして、新入生が私たちと是非いっしょに活動してみたいと思ってくれるような演奏をして行きましょう!」
部長はそう言うと、ギャラリーの方に向き直り、マイクで演奏開始を宣言した。
大きな拍手。
そして、部長は再び演奏者側に向き直ると、指揮棒を持ち上げて、レッサー・パンダが外的を威嚇するようなポーズを取った。
その動作に合わせ、バンドのメンバーは一斉に楽器を構える。
次の瞬間、部長が指揮棒を振り下ろすと、《星条旗よ永遠なれ》が高らかに鳴り響いた。
この《星条旗よ永遠なれ》の演奏で、沙織には、合奏練習ではやらなかったプランがあった。
前日の合奏練習では、最後から18小節前の音を楽譜より1オクターヴ上げてhiBbで吹くことは決まっていた。
しかし、実は他にも2箇所、1オクターヴ上げて吹く余地のある音がある。
その箇所では、楽譜上は比較的低い音で書かれているので、重要なフレーズなのに他の楽器の音量に負けてトランペットが効果的に響かない。
そこで沙織は、自宅の防音室で自分のプランが成立するかどうか、試しに何度か《星条旗》を通して吹いてみて、イケると確信した。
クラシック音楽では、楽譜に書かれている通りに演奏することが基本だ。
しかし、それでも、伝統的に楽譜に書かれている音を変えて演奏する「オルタネーティヴ・フレーズ」がある。
例えばベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》第1楽章コーダでは、途中までしか書かれていない655小節からの主題のフレーズを最後まで吹いたり、チャイコフスキーの交響曲第5番終楽章の501小節目で、弦楽器に合わせて演奏するように変更したりするのが有名だ。
それとはちょっと違うが、《展覧会の絵》の「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」で、ファースト・トランペットはピッコロ・トランペットで吹くことが一般的になっている。しかし、楽譜ではそのことは指示されていない。だから、ファースト・トランペットがピッコロ・トランペットを吹いているのに、音が低いだけで同じフレーズを吹いているセカンド・トランペットが普通のトランペットで吹いているという、ヴィジュアル的なアンバランスが発生する。
ジャズは別にして、マーチやポップスが、クラシックと比べて楽譜を重視していないという訳ではないが、沙織は「ライヴ感」を楽しもうと思い、敢えてオクターヴ上げて吹く選択をしたのだ。
そして、今回の演奏では、全3曲を体力の限界まで吹き切ることを決意していた。
それが、まるで彼女がこの演奏を「本気」だと示す唯一の方法であるかのように。
<5分前、F女学院高等学校正門前>
「ふう、どうやら間に合ったみたいね。てか部長、今日の演奏は動画サイトでライヴ配信もあるんでしょ? わざわざF女まで出張ってくる必要なかったんじゃない?」
私立S女学園吹奏楽部の副部長、三島紀子が気だるそうな口調で苦言を呈した。
「なに言ってんのよ三島。演奏者がそういうこと言っちゃおしましいよ。こういうのは、実物を見て体験した上でしか分からないことがあるのよ。電車の中で話したF女の噂。それを自分の目と耳で確かめに、こうして5時限目フケてまで一時間かけて来たんじゃない。しっかりと情報収集、すんのよ」
三島をそう諭すのは、同部長の谷口桜。
「その5時限目、うちの学校部活紹介なのに、部長自ら部活紹介サボって良かったの?」
「吹奏楽部は舞台の準備時間かかるから、部活紹介では演奏しないじゃない。吹奏楽部が演奏聴かせないで、なにが部活紹介よ。しゃべるだけなんだから、誰が出てもいっしょよ。それに、敵陣視察も役職就きの重要な任務だし」
谷口と三島は、話しながらどんどん前の方に移動していった。
「敵陣視察って。F女はそんな驚異じゃないでしょ。『今年のF女はヤバい』ってのも、ネット上の単なる噂でしょ? 確かにF女の演奏は年々良くなってはいるようだけど、去年からのたった1年で、そんな劇的に変わるとは考えにくい。まだまだ私達には及ばないと思うけどねえ」
三島が谷口の背後から話しかける。
「とはいえ、それなりに注目されているのも事実。見てみなさいよ、この人だかり。大半の高校は、午後は一年生がらみの新年度行事が中心で、まだ二、三年生は余裕があるから、他の学校の吹奏楽部の偵察ばっかりじゃない。こっちはT高校だし、あっちはA大付属。向こうにはI商業とK女子高までいるわ。県の吹奏楽強豪校ばっかり。その他にも知らない制服の高校もたくさん来てる」
やっとのことでF女学院高校の正門前に到着した谷口は、今歩いてきた方向を振り返って言った。
「それにしても、F女に一年生のトランペットの凄いのが入って、この演奏にも出るっていう話。F女の吹奏楽部の関係者っぽい人物が掲示板に書き込んでバズったっていうけど、それ、本当なの?」
谷口の横に位置を取った三島は、彼女の横顔に尋ねた。
「もうその書き込みは削除されてて、私は直接見たわけじゃないから分からない。でも、気になるじゃない。うちの木下だって、二年にしては実力者だけど、それ以上のラッパ吹きなら、その演奏、一度は聴いておきたいもの。こんな時期に、新入生が入った他の学校の演奏聴ける機会なんてそうそうないし、本当に噂通りなら、今後とも気にかけておく必要があるわ」
「なら、木下も連れてくればよかったのに。うちら木管だし、トランペットのことはよくわかんない」
「しょうがないでしょ。木下は、校則守ってケータイの電源切ってて、連絡付かなかったんだから。佐々木にF女のライヴ配信みんなで見るようにメールしといたから、部活に出てれば木下も見るはず」
「あはは。真面目ちゃんの木下らしいわ。マナーモードにしておけば電源切らなくてもバレないのに」
その時、指揮者が指揮棒を上げる仕草が彼女たちの位置から見えた。
「あ、部長。学指揮が指揮棒上げたよ。そろそろ始まるんじゃない?」
三島が谷口にそう言うやいなや、《星条旗よ永遠なれ》が聴こえてきた。
「こんなところからでも、割りとよく聴こえるね」
「《星条旗》かあ。マーチじゃ個人の力量は分からんなあ」
谷口が腕を組みながら言う。
「でも、よく纏まってる演奏よ。正直、F女の演奏のイメージにないレベル。二・三年だけの、人数の少ない演奏にありがちな低音の薄さも感じないし、木管の指もよく回ってる感じ」
谷口と三島は、始めて聴いたF女吹奏楽部の演奏を思い思いに評価し合う。
「そうね。細かなニュアンスの統一感もあるし、何と言っても音楽的だわ。これ、本当に萬年地区大会落ちの学校の演奏?」
谷口が三島に尋ねる。
「萬年地区大会落ちなのは確か。前は銅賞と銀賞が1対2くらい。でもここ2年は連続で金賞。もちろんタダ金だけど」
三島が、事前に調べていたF女吹奏楽部のコンクールでの実績を谷口に伝える。
「この辺、そんなにレベル高いブロックじゃないのにね。ここのブロックはシード制度ないみたいだけど、うちらだったら、楽勝で毎年県大会連続出場できる程度」
「まあ、どちらにしてもうちらがF女と競うとしたら県大会以降。部長は、今年はF女がブロック大会突破して県大会に出張って来るってふんでるの?」
「それは分からないわ。事と状況次第、としか。ブロック大会では違うブロックだし、未だ未知の存在よ、F女の実力は。だから、それを確かめにこうしてわざわざ出張っきてるんでしょうが」
「火のない所に煙は立たない。ネットの噂にも、部長は何かしらの信憑性があると?」
「そりゃ、『トランペットの一年に凄いのが入った』って、割りとピンポイントで指摘してたそうだしね。そんなの、常識的に考えて内部の人間からのリークとしか思えないわよ」
彼女たちが話し合っている間、《星条旗よ永遠なれ》の演奏は既に終了し、指揮者がマイク・パフォーマンスを行っていた。
「あ、今のMCによると次は《展覧会の絵》らしいから、その一年の実力分かるかもね」
「三島・・・。それ、冒頭のラッパ・ソロのこと言ってるんだったら、必ずしもその一年が吹くとは限ら・・・」
谷口がそこまで言いかけると、トランペットの音が聴こえてきたので、演奏を聴くことに専念するために口をつぐんだ。
しかし、しばらく聴いていると――。
周囲のギャラリーがザワザワと騒ぎ出した。
谷口もそれにつられて
「え? ちょっと待って。何よ、あの音量と音色。てか、何もかも完璧じゃない。まるで木下・・・いえ、木下だってあんな演奏出来ないんじゃ・・・」
ショックを隠しきれない様子で言った。
「確かに、うちらにも分かるくらい巧い。もっと近くで聴きたかったな。やっぱり、噂の一年生が吹いてるんじゃないの?」
三島はそう言って、「私の言った通りじゃない」とでも言いたげに、谷口の腕を肘で軽く小突いた。
「でも、高校一年生であんな演奏可能なの? どう聴いてもプロと変わりないんだけど」
谷口は、三島の意見に半分までは同意したものの、演奏の質を考えると、どうしても一年生が演奏していることが信じられなかった。
「そう言ったって、F女の二・三年がこのレベルだとしたら・・・?」
三島が突っ込みを入れる。
「そうね・・・。そもそもF女の二・三年生がこのレベルの演奏するんだったら、萬年地区大会落ちなんてことはないはずね。ってことは、噂は本当だった、か・・・。トレーナーがいつも言ってるように、トランペット一本でバンド全体のレベルが劇的に向上することがあるから、こりゃ、ひょっとすると、うちもうかうかしてらんないわよ、将来的に」
谷口は、片手を顎に当てながらそう言い、演奏に耳を傾ける。
そして、演奏は「バーバ・ヤーガの小屋」から「キエフの大門」になった。
ここでも、F女校門前のギャラリーは、再び騒がしくなった。
「部長、こいつは、いよいよ本物って感じになってきたわね。あの子、本当に高校生なの? こっそりプロ入れてるんじゃ」
「いやいや、さすがにそれはないでしょ。でも、バンドのサウンドに負けないあの音量で、顔色一つ変えず高音もバッチリ決めて。普通の高校一年生のレベルを遥かに超えてくることは確か」
しばらくして、ついに「キエフの大門」の最終音が鳴り終えると、学校内の在校生はもちろん、校門外のギャラリーからも嵐のような拍手が鳴り響き、いつまでも鳴り止まなかった。
「凄いね。拍手、鳴り止まないよ」
三島がそう言うと、谷口が言う。
「お、学指揮が何か言いそうだぞ」
しばらくF女吹奏楽部の部長のマイク・パフォーマンスを聞く二人。
ギャラリーが「うぉー!」と歓声を上げる。
「部長、やっぱそうじゃない。あのトランペット、一年生だって!」
三島が谷口の腕を掴んでブラブラさせる。
「私にも聞こえてるって」
谷口が押し付けがましい三島に辟易していると、「谷口さん」と背後から声がかかった。
その声に谷口が振り返ると、声の主は、D女子高等学校の吹奏楽部部長、根岸摩耶だった。
「副部長とお楽しみのところ悪いんだけど、あなたも聴きに来たのね、F女の演奏」
「げ、根岸・・・」
谷口は根岸の顔を見たとたん、表情をこわばらせた。
「なによー、ご挨拶だなあ。去年の全国大会以来の再会だってのに。『懐かしー!』とか言って抱きついてきてもいいんだよ?」
根岸はそういって、両腕を広げた。
「あのね、根岸のそういうところがウ・ザ・イ・から、正直、あんたとはあんま顔合わせたくない」
谷口がうんざりした表情で言う。
「それより谷口さ、部長になったんだって?」
「そういうあんただって、そうじゃない。お互い、強豪校の吹奏楽部の部長とはね。出世したもんだわ」
「それより、あなた何でこんなところにいるのよ。そっちの学校、この辺りじゃないでしょ。偵察? それとも、F女の吹奏楽部員に“憧れの君”でもいるのかにゃ?」
「何、分かりきったことを。あんただって、噂の一年の演奏、確かめに来たんでしょ?」
谷口と根岸は、中学時代は同じ学校の吹奏楽部員だった。
高校は別々の学校に入学したが、同じ吹奏楽部の強豪校同士、交流会や県大会での再会をきっかけに、未だに会うたびにバカを言い合う仲だった。
「で、どうだった? あの演奏」
根岸が谷口に尋ねる。
「凄い、としか。ってか、あんた金管でしょ? こっちが聞きたいわ。あのトランペット、正直、どうなの?」
「“あんたも金管”とか言われても、私、ホルンだからなあ。トランペットとは全然違うし。けど、言いたかないけど、はっきり言ってあれは化け物ね。並の高校一年生じゃないわ。あそこまでのレベルになるには、相当努力したんでしょうね、才能あるのに。才能ある人が、人並み以上の努力を必死にやったら、もう、化け物になるしかないわ」
“そりゃ確かにな”と谷口と三島が同意する。
「それに、《展覧会》の最後の部分、かなり遅めのテンポで演奏してたでしょう? トランペットに信頼がなきゃ、あんな遅いテンポじゃ普通やらないわよ。あんなに遅いテンポ設定にしたってことだけでも、あの一年生がどれだけ巧いかの証明になるわ」
谷口は、さっきの《展覧会》の演奏を思い出していた。
「まああの部分は、多分、その前の木管の16分音符のフレーズがなかなか合わなかったから、そこのテンポを遅くして無理やり合わせて、その流れで仕方なくって感じもしたけど」
「なるほどね。さすがは木管吹きの意見ね。それもあると思うけれど、今回の演奏はそこまで芸術性だとか、曲の解釈の精度が求められるようなシチュエーションじゃないし、ファースト・トランペットが息切れするリスクも考えると、最後の部分に入るときにテンポを仕切り直しても良かったはず」
「でも、そうはしなかった」
谷口が根岸の言わんとしていたことの意図をくんで結論をまとめた。
「そう。テンポを仕切り直さず、ぐっと落としたテンポのまま後半に突入するなんて」
「トランペット奏者の技量に相当な信頼感がなければ、そんなことはできない、と」
またもや谷口が根岸の話を継承して言った。
「あるいは嫌がらせ、ね」
「その一年が、どれだけの演奏ができるか、試したってこと?」
「ええ。いくら個人練や合奏練で出来ても、本番でも出来るとは限らないから」
根岸にそう言われて、本番の恐ろしさをしっている谷口は納得した。
「そういえば、最初の《星条旗》だってかなり難易度上げて演奏してたわよ」
あー、そういえば、と谷口。
「トランペットがオクターヴ上げるやつとか?」
「そう。それがね、彼女、誰もがやる最後の一箇所だけでなく、上げられる可能性のある箇所の全てをオクターヴ上げてたの」
「そんなこと、出来るの?」
「出来るか出来ないかでいえば、出来るでしょうね。でも、次に《展覧会》や《トランペット吹きの休日》も吹かなきゃいけないこと考えると、まずやらないはずよ。特に《休日》みたいな曲が後に控えてる場合、普通、力を温存する。今回の全三曲で、マーラーの交響曲一曲分のスタミナ一気に使うもの。マーラーなら一楽章まるまる休みとかもあるけど、こんな五線譜の上の高音ばっかり連続で吹けるのは、相当な技術力ね。私が吹いてるホルンなら、基本的に一つのフレーズを複数のパートがダブって吹いてるから、ある程度交互に吹いて適当に休み入れられるけど、トランペットじゃそんな誤魔化し出来ないから」
「金管は大変よね。それを、一年が・・・」
そうこうしているうちに、既に始まっていた《トランペット吹きの休日》の演奏も、最終段階に差し掛かっていた。
「じゃあ、ちょっと最後の部分聴いてみましょう」
根岸が提案すると、谷口も三島も同意し、演奏に耳を傾けた。
《休日》の最後の和音が鳴り響く。
またもや、嵐のような大喝采。
「聴いた? 最後のハイ・ベー(*Bb管トランペットのスペック上の最高音)」
「最後の方は、ほとんど一年のトランペットの音しか聞こえなかったな」
「最後だから、バンドとのバランス崩れるの承知で、出せるだけの音量、思いっきり出してたわね。さすがにここをオクターヴ上げで吹くのは無理だけさ。本番でテンション上がると、アドレナリン・フィーバーして一皮むけるタイプかも。あの子、想像以上に、やばいかもね」
すると――
「え、また《休日》?! どういうこと?」
吹奏楽部部長のMCを聞いていた谷口が、驚きの声を上げる。
「アンコールらしいけど」
三島が助言する。
「根岸ー。『最後だから』? また《休日》やってるってよ」
谷口が根岸に冷ややかな視線を送る。
「いやいやいや。そんなの、どう考えてもおかしいって! ただでさえ大変で、吹き終わったら精力使い果たす《休日》を、二度連続で演奏するなんて、正気の沙汰じゃないわ!」
「これも嫌がらせ?」
「さすがに最初からこんな無謀なプログラムが組まれてたなんて思えないし、ギャラリーの反応が収拾つかなくなったから、急遽アンコールにしたみたいだわ。まあ、嫌がらせと言えば、嫌がらせに思えなくもないけど・・・」
すると三島が口をはさむ。
「どうやら学指揮がトランペットの一年に確認したみたいで、彼女、笑顔でOKサイン出してたね」
「アンコールで《休日》を二度連続で吹かせる学指揮も鬼畜だけど、それを笑顔でOKする一年もどうなのよ・・・。デタラメにも程があるわ」
根岸がそこまで言った時、《トランペット吹きの休日》の二度目の演奏が始まった。
谷口と三島は、最初の演奏は二人で話し込んでいたためあまりよく聴いていなかった。
だから、この二度目の演奏は、根岸の話もあって、どんな些細な音も聴き逃さないように前のめりで演奏に聴き入った。
《休日》の演奏が終わると、今まで以上の大喝采が沸き起こる。
「まるで二度目の演奏とは思えないな。さすがに最後の音の音量は下がってたみたいだけど」
谷口が感想を言う。
「うーん。それについては、単にスタミナが保たなかったのか、それとも、最初にやり過ぎだと思ってセーブしたのか判断つかないけど。でも、どちらにして、ぶっ続けで二度目の演奏も最後まで一度目と変わらないクオリティー、部分的にはそれ以上の出来で吹くのは、やっぱり『化け物』と言う他ないわよ」
根岸がそこまで言うと、交通整理をしていたF女の生徒会役員が「はい、本日の演奏はこれで終了です! 通行の妨げになりますので、みなさま速やかにご解散ください! 本日は、どうもありがとうございました」と繰り返しアナウンスし始めた。
「さ、そうなれば長居は無用よ。とっとと帰りましょう。S女、遠いんだし」
「まあね」
「それじゃ、元気でね、谷口部長。取り敢えずは、また、県大会で会いましょう」
根岸は、「谷口部長」の部分に重きをおいて谷口に言った。
「おうよ、根岸部長。てか、そっちはF女と同じブロックじゃないか。お前んとこがタダ金で、F女が県大会出てきたら、F女の部長と仲良くしちまうからな」
谷口は軽口を叩く。
「その時はその時。もしそうなったら、F女の部長、紹介してね。じゃあ」
「ああ、またな!」
谷口がそう言うと、根岸は後ろ手に右手でバイバイの仕草をしながら、その場を去っていった。
「さ、私たちも学校に戻るわよ」
谷口の言葉に三島は無言で頷いて、二人一緒に駅に向かって歩き出す。
「根岸さんのあの飄々とした感じ、変わんないよね。あんたと良いコンビだわ」
「コンビじゃないし。中学からの腐れ縁よ。支部大会は、絶対K女子追い越して全国行くんだからね」
「分かってるって。私にゃ、まるで“全国大会”っていう彼氏を取り合う、女同士の醜い闘いにしか思えないけどさ」
「醜くて結構。品行方正なやり方じゃ、とても全国制覇することは出来ないわよ。強豪校には強豪校としてのプライドもあるし、上に行く義務もあるんだからね。いくらシードになってるからといって、参考演奏でみっともない演奏は出来ない。むしろ、有無を言わさない素晴らしい演奏をして、上に行く価値がある学校だと、音楽で納得させる必要があるわ。F女が急成長してきたとしても、そんな“成金”に強豪校の座と全国出場の席を軽々と譲るわけにはいかない」
谷口は、歩きながら真っ直ぐに前を向きながら話した。
今年、三年生の谷口と三島にとって、この夏のコンクールが高校時代最後のコンクールになる。
吹奏楽の強豪校には、コンクールでより高い結果を残そうと、同じく吹奏楽強豪校だった中学からもそうでない中学からも、腕利きの奏者が集まってくる。
自然、部員数は多くなり、人数制限のあるコンクールのステージに乗るためには、オーディションに合格して、その資格を勝ち取らなくてはならない。
だから、コンクールで他校と競う前に、まずは身内とのオーディション争いから勝ち進まなくてはならないのだ。
楽器によっても変わるが、競争率で言えば、優に3倍を越える学校もある。
もちろん、1チームのプレーヤー数が少ない割にプレー人口の多い野球やサッカーに比べれば、桁違いの少なさだが、実力の劣る者は淘汰される厳しい世界であることには変わりがない。
もちろん、三年生だからといって、オーディションに合格しなければコンクールには出場できない。
「部長、部長は今年のオーディションに受かる自信、ある?」
三島が谷口に唐突に尋ねる。
「それはどうかな。どんな新入生が入ってくるかにもよるし、二年の鏑木と鮫島もどんどん実力が上がってきてるわ。目標を設定するのは大事だけど、オーディションで合格するか否かは、目標とは違う気がする。
それは、結果論にすぎないと思うから。私は、ただ努力し続けるだけ。その努力が、結果に繋がると信じてね」
相変わらず前を向きながら話をする谷口。
「そんなもんかねー」
狭い歩道の前から自転車に乗った人が来たので、一瞬、谷口の後ろに回って回避する三島。
谷口の後頭部に揺れるポニーテールが、三島の視線に入る。
谷口が髪を括っているシュシュは、自分が彼女の誕生日にプレゼントしたものだった。
三島が「私が上げたシュシュ、使ってくれてるんだ」と思いながら谷口のポニーテールをぼうっと見つめていると、谷口が突然振り返った。
谷口と目がバッチリ合ってしまい、少し動揺する三島。
「でも、今日ね、目標が出来たよ」
谷口の表情は、三島にはこれまでになく垢抜けているように見えた。
「何よ、その目標って」
「F女の吹奏楽部を下す!」
「だから、F女は私たちの学校とブロックが・・・」
三島が指摘しようとすると、
「分かってるわよ。だから私が言ってるのは、ブロック大会じゃなくて、その先。県大会よ。絶対に、F女には支部大会への通行券は渡さない。それが、当面の私の目標」
谷口がそう言い切る。
「ってことは部長、F女はブロック大会を突破してくると?」
三島が首を傾げて谷口に尋ねる。
「そうよ。間違いなく、ね。今日の演奏を聴いて、私はそれを確信したわ」
そう言う谷口に、三島はちょっと驚いた表情をした。
「じゃあ、K女子は?」
「多分、F女とK女子が県大会に出てくるじゃないかな。今年の県大会の結果は、ひょっとするとちょっとした下剋上が起こるかもしれないわよ」
横を歩く三島を見つめる谷口の目は、冷ややかだったので、三島は谷口の視線から思わず目をそらせた。
「ふーん。部長はずいぶんとF女を買いかぶってんだねー。一回演奏聴いただけなのに」
三島は谷口にそういって、「ははは」と笑う。
あたかもその発言が本心ではなく、あくまでも冗談だといわんばかりに。
「それが買いかぶりか、正当な評価かどうかは、時間が証明してくれるわ。駅にポスターが貼ってあったのだけど、この地区では、5月の連休にバラ公園でバラ・フェスティバルがあるって言うじゃない。そこで地域の学校の吹奏楽部が演奏しに集まってくるそうだから、その演奏を聴いて、もう一度判断しましょ」
彼女たちが商店街を歩いていると、丁度店先にそのポスターが貼られていて、「ほら」とでも言うように、谷口が指差した。
「まあ連休中は自主練習だから、聴きに来ることは出来るけど・・・」
三島がやや顔を俯むかせ、歯切れ悪く言った。
「あー、実力テストと中間テストが心配? 別にいいわよ。聴きたい人だけが聴きに行けば。テスト落とせば、部活出来なくなるんだし」
谷口が三島の心配を察し、特進クラスの彼女をねぎらって言う。
「ごめん。私、勉強と両立させることが、吹奏楽部続ける約束だから。親との」
三島は、無意識に右手で左腕を擦った。
「謝ることないわよ。学生の本分は勉強、でしょ?」
谷口は、浮かない表情の三島の横顔を、真っ直ぐに見つめて言った。
「そう考えると、音大志望の部長が羨ましいわ。楽器の練習することが勉強、だなんてね」
三島は相変わらず左腕を擦りながら視線だけ谷口に向ける。
「そうは言うけど、それはそれで苦労があるのよ。私も最初はそう思ってたけど、中学まで触ったこともないピアノもある程度のレベルに仕上げないといけないし。ヘ音記号、フルートの私にはずっと縁のない楽譜だったから、最初は大変だったわよ。あと、楽典や聴音・・・、当然学科試験もあるし。大学に入って、海外に留学することも視野に入れれば、英語は当然として、ドイツ語かフランス語、ことによったらロシア語まで第二外国語の範囲に入ってくるし。楽器の練習以外にも、やること結構あるんだよ?」
“苦労がある”という言葉とは裏腹に、三島には谷口の口調に覇気のあることが感じ取られた。
その覇気のある口調から、谷口は音大受験そのものを楽しみ、充実した生活を送っているのではないかと思った。
「でも、谷口ならきっと、いや、絶対第一志望の音大、受かるよ。私、信じてる。だから、私は谷口についていてってるのよ。私が部活の副部長・・・役員就きとか、ガラじゃないのにさ。谷口が部長だから、なんとかやっていけてる」
三島は腕を擦るのを止め、代わりに谷口の肩をポンと軽く叩いた。
谷口がはにかんだ笑顔で言う。
「それこそ、買いかぶりだっての」
つづく。
本文で取り上げられた作品
(直接リンクしませんのでコピーしてアドレスバーに貼り付けてください)
■《星条旗よ永遠なれ》(ソロ・コルネット パート譜付き)
https://youtu.be/9bjfWdIDz0Y
■《展覧会の絵》(管弦楽版)
「プロムナード」(映像付き)
https://youtu.be/P77O8L5itGU
「プロムナード」(音声のみ)
https://youtu.be/I2tUCUCeqkE
「バーバ・ヤーガの小屋」~「キエフの大門」(映像付き)
https://youtu.be/P77O8L5itGU?t=1411
「バーバ・ヤーガの小屋」(音声のみ)
https://youtu.be/tb5vTqxRYeU
「キエフの大門」(音声のみ)
https://youtu.be/zfaOqh2gaVw
■《トランペット吹きの休日》
https://youtu.be/1RVr7STuV-o