【練習番号O】ファンクラブ
実力テストが終わり、勉強のための休部命令の解かれた高城沙織は、久々に部活に顔を出した。
すると、すぐに吹奏楽部部長に呼び出され、ある事実を伝えられる。
一難去ってまた一難。
そして、そんなことお構いなしに始まるバラ・フェスティバルのための合奏練習。
さらに、新しく首席指揮者兼トレーナーとして就任した伊勢杏奈からおかしな話しを聞かされて・・・。
再び訪れる波乱の予感。
「なんじゃこりゃ!?」
今年、吹奏楽の強豪校として知られる私立D女子高等学校の吹奏楽部に入部した一年生・冴島亜里彩は自分の目を疑った。
吹奏楽部に入部し、中学の吹奏楽部でも吹いていたトランペット・パートへ正式に配属されたその日。
配属式が終わって最初のパート練習で、亜里彩は一つの動画を見せられた。
それは、吹奏楽コンクールでD女と同じブロック(地区)の県立F女学院高等学校の吹奏楽部が一週間前に、学校内で行った野外演奏の動画だった。
「今日、正式にうちのトランペット・パートに配属されたあなたたちのライバルは、このトランペットよ」
そう言われて流されたその演奏は、まるで高校生の演奏だとは思えないクオリティーで、驚かされた。
もちろん亜里彩は、自分の住んでいる家の学区内の県立高校であるF女の学校名は知っていた。
しかしF女は、少なくとも支部大会以上の吹奏楽のコンクールでは全く聞いたことのない学校で、高校になったら強豪校に行くと決めていた亜里彩にとって、最初から志望校の候補にすらならなかった。
D女は、県内でも有数の進学校だったから、この学校に入るために亜里彩は猛勉強をした。
強豪校だから、当然、コンクールの舞台に上がるには、オーディションを勝ち抜かなければならない。
自分がそのオーディションを勝ち抜けられるかどうかはともかく、亜里彩はどうしても強豪校に行きたかったのだ。
確かに、吹奏楽の強豪校の中にも、自分の偏差値に見合った学校はある。でも、亜里彩は親から高校は私立高にしてくれと言われていて、近隣の私立高はほどんどが中高一貫校で高校からの募集は行っていなかったり、自宅から遠かったりと、そこに吹奏楽の強豪校という条件を入れると、D女くらいしか選択肢がなかった。
だから、もし、F女が強豪校だったとしても、亜里彩の志望校にはなりえなかった。
そんなF女のトランペットが自分たちのライバル?
だとすれば、このトランペットがライバルになることは、自分に宿命付けられていたということか?
この動画の演奏を実際に聴きに行った吹奏楽部部長・根岸摩耶が現地で仕入れてきた情報によると、彼女は自分と同じ一年生だという。
そう考えると、亜里彩は、この名も知らぬトランペット奏者に断然興味が湧いてきた。
摩耶に訊いても、名前は分からないという。
亜里彩は、一度、部活をズル休みしてF女の校門前まで行ったことがある。
部活があるから、放課後になってすぐのその時間に“彼女”に会えるとは思わなかったが、どうしても亜里彩はそうせざるを得なかった。
F女の校門に付くと、自分と同じ考えらしい他の高校の生徒何人かが集まっていた。
すると、すぐに生徒会長(風紀委員だったっけ?)と名乗る生徒がやって来て、人払いさせられた。
大阪弁だか京都弁だか分からなかったけれど、彼女の特徴ある関西弁は迫力があって、一瞬のうちに校門まえから誰もいなくなってしまった。
F女は家に近かったので、校門は正門の他に裏門があることを知っていたので、そっちに回ると、やはり数人の他校正が待ち構えていた。
すると、すぐになんだか上から目線で高圧的で高ビーな生徒が表れて他の高校の生徒と揉めたり、新聞部に写真を撮られたりして散々な思いをしたが、亜里彩には分かった。
その、無駄に美人で高ビーな生徒が校庭を歩いている時に一緒にいた女子生徒。
彼女たちは、自分たちを見るとすぐに死角に入ってしまったが(その後高ビーが飛び出してきた)、一瞬だけ見えたその女子生徒こそ、自分のライバルのトランペットだと。
先輩に言ってダビング(コピー?)してもらい、何度何度も見た彼女の動画。
あの時目にした女生徒は、その動画の彼女とそっくりだったのだ。
遠目にしか見えなかったが、まさか、実物を見ることが出来るなんて。
それからというもの、亜里彩の脳裏からその姿が離れることはなかった。
その後、ネットで色々調べたが、結局その彼女の素性はわからないままだった。
吹奏楽部員がよく見ている、ネット掲示板の吹奏楽情報板でも、その彼女の詳細を求める書き込みが、あれから一ヶ月近く経った今でも耐えない。
なぜだかは分からなかったが、幾つもの動画共有サイトに上がっていた例の動画の違法アップも、最近ではいくら検索しても一つも出てこない。
試しに、実力テスト対策で一日だけ部活がテスト休みになった日、一日中ネットに張り付いてみたが、ヒットした!と思った数時間後には、あっさりと削除されてしまう。
情報統制?
まさかまさか。
一高校の演奏動画ごときでそんな組織的な情報統制が行われるものか。
そもそも、そんな情報統制が出来るのかどうかも亜里彩には分からなかった。
組織ぐるみとしか思えない情報統制が行われているかどうかは別にして、彼女に関する情報がネット上にも皆無なのだけは確かだった。
掲示板でも、そのことは話題になっていた。
しかし――。
その掲示板に「これ、あのトランペットの人の公式サイトじゃね? 詳細よろ」という書き込みがなされた。
亜里彩が、そこでリンクされたサイトを開くと、顔にモザイクは掛けられていたが、そのサイトには「公式動画」としてあの演奏動画が埋め込まれていた。
何度違法アップロードされてもすぐに削除されてしまうあの動画だ。
しかも、このサイトは動画共有サイトの中の配信チャンネルではなく、ちゃんとしたウェブ・サイトで、かなり凝った作りだった。
「なんじゃこりゃ!? 誰がこんなの・・・。少なくとも高校生レベル、それも吹奏楽部員の生徒に作れるサイトじゃないよね・・・。情報科目の先生に作ってもらったのかな」
このサイトの冒頭には、次のような設立趣意が掲げられていた。
“現在、彼女の通う学校の正門前に、複数の他校正が無断で集合する案件が多数発生しております。学校の敷地内は、全て関係者以外立ち入り禁止です。校門付近は公共の場ではありますが『公共マナーの遵守』という観点からも、そのようなことのないよう、どうかご配慮願います。今後、もしそのようなことがあれば、不審人物として例外なく警察・当局への通報を行います。また、事件・事故が発生した場合、学校側は責任を負いかねます”
「うわぁ、結構大事になってるんだなあ。私も、魔が差したとは言え、あんなことしなきゃよかった・・・。っていうか、やっぱりこのサイト、学校側も一枚噛んでるのかしら?」
亜里彩はそう反省しつつも、その続きを読み進めた。
“ついては、そういった状況を鑑み、有志によってこのサイトは立ち上げられました。”
「え、有志? 学校とか吹奏楽部とか関係ない人たちが作ったの?」
続いて、
“現在、高校一年生である彼女は、来る吹奏楽コンクールに向け、勢威練習中です。本サイトは、そんな彼女の活動を見守るべく、彼女の活動を応援するため、ファンクラブを設立することに致しました。個人情報保護法に抵触しないのは当然ですが、彼女の活動の妨げにならない限り、情報を発信していきますので、ご感心とご興味のある方は、参加して下さるよう、お願い申し上げます。詳細は、MENU欄より御覧ください”
とあった。
亜里彩が「MENU」を開くと“「SHAORINファンクラブにようこそ」”という文言が彼女の目に飛び込んできた。
「シャ、シャオリン? シャオリン・ファンクラブ・・・? 本当に作っちゃってるし・・・」
“我々はシャオリストです。設立されてまだ間もないので、コンテンツは少ないですが、シャオリンに関する情報を発信していきます。部則を熟読の上、こぞって参加していただけるようお願い致します。いずれは、オフ会も行う予定あり”
部則には、
1.学校には行かない(学校への出待ち・入待ち、学校の最寄り駅での待ち伏せも禁止)。
(*筆者注:高城沙織は徒歩通学だが、これは彼女が電車通学であることを印象づけるためのブラフ)
2.抜け駆けしない。
3.演奏会やそのオフ・ショットを含め、隠し撮りした違法写真・違法動画は撮らない、ネットに上げない、持たない、撮らせない(ネット上で違法写真・違法動画を発見した場合、すぐに削除依頼をいたします)。
4.ご両親などSHAORINの直接の関係者の他、学校関係者を含め、個人的・組織的な接触禁止。
5.サインや握手は求めない(一般の高校生ですので、サインはありません)。
6.SHAORINに関する情報は、当サイトのものが全てです。掲示板等への書き込みは、いかなるものに関しても信じないで下さい。
7.SHAORINに関する情報を見聞きされた方は、よろしければご報告願います。事実関係を確認の上、正しければ、一般常識の許す範囲内・個人情報に抵触しない限り、当サイト内に掲載したします。
8.SHAORINへの誹謗・中傷の禁止。
9.SHAORINへの誹謗・中傷を見かけた際は、このサイトにご報告願います。
10.シャオリン同士の交流は自由。*ただし、トラブルの内容配慮して下さい。部員同士のトラブルに関し、当サイトは責任を負いかねます(出会い系・なりすましに注意)。
以上が、当SHAORINファンクラブに於ける十則です。
なお、全ての書き込みは、不適切と判断された場合、それらは管理者の権限で予告なく削除いたします。
そう書かれていた。
「規則は結構厳しいな。まあ、相手は普通の高校生だしな。私だって『あなたの大ファンです。サイン下さい』とか言われたら引いてしまう。でも、このサイトさえ見れば、彼女に関する正しい情報が手に入る、か・・・。この前の情報Ⅰの授業でも言われたように、このサイト自体が、フィッシング目的ってことも考えられるし・・・」
実際、掲示板にもそのような懸念を表明する書き込みがあった。
多くは「個人情報は送らないみたいだし、大丈夫だろ」というような楽観的な反応だったし、ファンクラブに登録してからスパム・メールが増えたとか、実際に被害にあったというような報告もなかった。
全ては自己責任。
亜里彩は、慎重に検討した結果、ファンクラブに登録することにした。
登録すると、最初に入れたフリーメールに仮IDと仮パスワードが送られてきた。
メールに添付されたURLをクリックし、再度公式サイトが表示された後、それらを入力してログインする。
すると「あなたは147番目のシャオリストです」と表示された。
「私で147人目? もう既に146人も登録してるんだ・・・。コンクール・メンバー3団体分じゃん」
仮IDと仮パスワードはそのままでも良いらしいが、ニックネームが仮IDのままじゃやる気がないと思われそうだったので、ついでにパスワードも変えてみた。
冴子。
それが、亜里彩がいつも使っているニックネームだった。亜里彩では知り合いに特定されそうだったし、ここのサイトの場合、女性だとすぐに分かる方がいいように思ったからだ。もっとも、ニックネームが女性らしいからといって、中身も本当に女性だとは限らないけど。
「へへへ。これで私も正式なシャオリスト。なんか、嬉しい」
亜里彩は、その嬉しさを胸に、身支度を整えて眠りに入った。
しかし、亜里彩はその時、すっかりと忘れていたことがあった。
ゴールデン・ウィークの最終日、バラ・フェスティバルのあり、そのバラ・フェスティバルにF女も出演することを。
バラ・フェスティバル当日、亜里彩の身に「ファンクラブ10則」が重くのしかかることになろうとは、この時には想像もしていなかった。
4月最後の土曜日。ゴールデン・ウィーク初日。
高城沙織が部活に出ると、すぐに部長・仲里久美に呼び出された。
「あ、石神井さん。部長が呼んでるから、私、行ってくるね」
「あ、うん。それじゃ、また後で」
石神井はそう言って沙織に手を降った。
あの新入生勧誘演奏の動画が世に出回って以来、学校の校門まえで沙織の入待ちや出待ちをする他校正があとを絶たなかった。その監視も含め、石神井は沙織より早めに学校に来て、校門前で沙織と待ち合わせをし、いっしょに音楽室へ来る。部活に出て、練習が始まると、木管楽器と金管楽器を担当している二人は、お昼ごはんは別にして、部活が終わるまで接触する機会がほとんど全くないからだ。
「チッ。せっかく部活前の沙織とのいちゃいちゃタイムが・・・。西条でもイジるか? あー、ないない。素直にすぐ、練習に入りますか」
石神井が、昨日の合奏形態のままセッティングされているクラリネット・パートの位置に行くと、同じ一年生で経験者の早見友希が既に音出しをしていた。
友希が、自分のことを陰では“石神井様”と呼んでいることを石神井は知っていた。
小学生の時から周囲から「優等生」として認識されていた石神井は、そんな風に呼ばれるのは慣れていた。
実際、中学の時にも“石神井様”と自分のことを呼ぶ後輩は何人もいた。
入試上位成績者が集められた同じクラスの生徒以外、入試でトップの成績を収め、新入生代表として挨拶した自分のことを、遠目に見る生徒が多い中、友希は積極的に話しかけてくる。友希が最初に部活見学に来た時もそうだった。
だが、この早見友希に関して、石神井には気になっていることがあった。
「あ、石神井さん、おはよう! 今日も早いね! 今日の登校は一人? いつものアレとはいっしょじゃないの?」
「おはよう。沙織は入り口のところで部長に呼び出されたのよ。っていうか、沙織のこと“アレ”って呼ぶの、止めてくれない?」
友希は、最初から沙織のことを“アレ”と呼んで、どこか敵対視しているようだった。
何度か注意しようとしたことはあったが、沙織との実力テスト勉強のためにしばらく休部していたので、その機会を逸していた。
石神井は、今日がそのいい機会だと思った。
「うーん・・・。石神井さんが嫌だって言うなら、これからは高城って言うけどさ。私、ア・・・高城のこと好きじゃない。っていうか、この際だからハッキリと言うけど、嫌いだよ」
友希は、伸ばした両足の先をパタパタ付けたり離したりするのを見ながらボソッと言った。
石神井は友希のその言葉を聞いて一瞬「ムッ」としたが、他人の好き嫌いはどうしようもない。
「何でよ! まあ、早見さんが沙織のことをどう思うかは自由だからいいけど。私の前では、もう二度とそういうこと言うの辞めてよね」
石神井はわざと“早見さん”と他人行儀な呼び方をして、自分が彼女に対して興味のないことを示した。伝わらないとは思うけど。
「分かったよ。石神井さんが高城のこと、そんなに気にかけてるとは思わなかった。私の個人的な意見だから、気にしないで」
友希は、そう言って半音階練習を始めた。
「んもう・・・。自分の言いたいことだけ言って。まあいいわ。今日からあの指揮者先生の本格的なレッスンが始まるんだから、集中集中」
石神井はそう言いながら、1stクラリネットの席に座り、楽器を取り出して組み立て始めた。
部長に呼ばれた沙織が部室に入ると、そこには部長だけでなく、副部長・大野節子もいた。
「高城さん、練習前にごめんね。あなたにどうしても伝えなければならないことがあって、貴重なウォーミング・アップの時間割いて来てもらったの」
「はい。それは大丈夫です。私、ほとんどウォーミング・アップしないので・・・」
「そうだったわね。それならそれで結構。それじゃ副部長、どうぞ」
吹奏楽部部長・仲里久美は、部活では大野のことを常に“副部長”と呼ぶ。
彼女たちは中学時代から同じ吹奏楽部に所属していた友人同士で、プライベートではそれぞれ渾名で呼び合う仲だったが、部活では最上級役員ということもあり、公私を分けるために極力役職名で呼び合うことを二人の間で決めていた。
副部長? 部長さんが話しするんじゃなかったんだ・・・。
てっきり、部長から話しがあると思っていた沙織は、ちょっと嫌な予感がした。
副部長からの話しとなると、部活の活動内容云々に関しての話しではなく、だいたいいつもネット関連の話題だったからだ。
部活に関するネット関連の話題というと、沙織の脳裏には、あの話ししか思い浮かばない。
そして、案の定。
「高城さん、時間がないので早速だけれど、これを見て欲しいの」
大野は私物のタブレットを沙織に差し出した。
吹奏楽部には、備品のデスクトップPCとノートPCがあるが、パート譜もこの中に入っていることもあり、大野はいつもこのタブレットPCを持ち歩いていた。
スマホも出している、結構有名なパソコン・メーカーの人気あるタブレットPC。
女子高生が個人的に持つには、かなり高価な製品だと聞いた。
沙織は、一度興味本位でこのメーカーの通販サイトで同じ様なタブレットの値段を調べたことがあったが、あまりにもの値段の高さに「楽器程じゃないけど、うん、私には必要ない代物ね」と即効でブラウザバックした。
「これは昨日の夜、公開されたばかりのサイトだけれど、見て分かるね?」
表示された画面を見ると「SHAORIN公式サイト」とタイトルが書いてあり、以前ちらっと見せてもらった新入生勧誘演奏の動画がはめ込まれていた。
全員の顔にモザイクは掛けられていたが、確かにあの動画だった。
「あの・・・これ・・・。ちゃんと動くんですか?」
我ながら素っ頓狂なリアクションだと沙織は後悔した。
「今それ訊く? まあいいわ。ちゃんと見られるわよ。でも安心して。今この動画を見られるのは、少なくともネットではこのサイトだけ。他の違法動画は全て削除削除削除! 削除済みよ。で、本題はここから」
大野はそう言って、沙織の目の前に置いたタブレットを操作した。
そうして新しく表示されたページを見て、沙織はすこし驚いた。
「え、これって・・・? この“SHAORIN”て、もしかして私のことですか?」
「そうよ。沙織、さおり、しゃおり、しゃおりん。全く関連性のないニックネームにしてもよかったんだけど、本名バレしたときに『何だよ』と思われないためにも、あなたの名前、少しだけもじらせてもらったわ。これなら、あなたの本名知ってる人でも言いやすいでしょ。間違って本名言っちゃってもごまかせるし」
そう自信満々に言われればそうかもしれないし、違うかもしれない。
表情を見るに、部長は懐疑的なようだった。
「ということは、これがこの前O女子大付属の人たちが言っていた私のファンクラブ・・・ですか。ずっと忘れてましたけど、ついに本当に出来てしまったんですね」
沙織は力なく呟く。
「そういうこと。高城ってこの前、小早川たちと会ったんだって? 別に秘密にしておくつもりなかったけど、話し通っててよかったよ。当事者から直接言われるよりも第三者から間接的に言われたほうが信憑性・信頼性が増すっていう“ウィンザー効果”ってのが心理学にはあるんだけど、こうのは、第三者を通して間接的に伝えられた方が、心理的負担が和らぐ」
副部長のこの解説は、沙織の耳にはほとんど入らなかったが、副部長はそんなことお構いなしに話しを続ける。
「でね、このサイトは、どうしても今度のバラ・フェス前に仕上げたかったんだ。このサイトの目的の一つが、ファン同士の横の繋がりによる自浄作用だって小早川から聞いてると思うけど、その効果をバラ・フェスで確かめられる。このサイトが無かったら、きっとバラ・フェスは君のグルーピーで大変なことになるだろうね。そのとき盗撮された動画の違法アップロードもわんさか。本人の同意なしに撮影された写真や動画は全て盗撮になるの知らない情弱ちゃんたちのやりたい放題。ちなみに、現時点で300名以上がシャオリストだ。まあその全員がバラ・フェスを聴きに来るわけじゃないだろうけど。このサイトでは、盗撮写真や盗撮動画がネットに違法投稿されたら知らせてくれるように呼びかけてるし、ここからが大事なんだけど、ファンクラブに登録してくれたシャオリスト限定だけど、こちらから演奏動画を公式に提供する。もちろん、顔にはモザイク掛けてだけどね。そうすれば、わざわざ写真や動画を盗撮する必要もないし、それを違法投稿して自己顕示欲満たしたりマウントとる必要もない。ギブ・アンド・テイクだよ。趣旨は分かってくれたかな?」
沙織は、今副部長の言った言葉を頭の中で反芻させた。
「はい。分かりました。このまま対策を何もせずビクビクしてるより、こちらから積極的にアクションして相手の行動をコントロールするってやつですね。石神井さんもそう言ってましたし」
沙織は、覚悟を決めた。
「石神井か・・・。私の言葉より、石神井の言葉の方が君には刺さるようだね。まあいい。分かってくれれば。それで、君にやって欲しいことが2つある」
「はい」
「まずは、これは部員全員に確認もしなきゃいけないんだけど、演奏動画をネットに上げる許可をもらいたい。次に、バラ・フェス当日はシャオリスト10則と公共マナーを遵守して社会に迷惑をかけない行動を心がけて欲しい的な文言をサイトに載せて欲しいんだ。一応、君の直筆を写真に撮って載せるつもり。もちろん命令も強制もしないけど」
副部長のその言葉を聞いて、部長が口を開く。
「高城さん。雰囲気に流されないでよく考えてね。気が乗らなければ断っても良いのよ。何か問題が起きたら――起きないとは思うけど――、その時はこちらも全力で対処するけど。諸々、コンクールの練習に支障が出た場合、部にとってもマイナスなのだから。こちらとしても、そのリスクも考えて総合的に判断した結果、これが最適解だと結論を出したの。高城さん。私たちを信じてもらえるかしら?」
部長の言葉を聞いて、沙織は間を置かずに答えた。
「もちろん私は先輩方を信じています。副部長さんは半分面白がってる部分もあるかもしれませんけど、この件に関しては前向きに。つい、後ろ向きにばかり考えてしまうのが私の悪いクセで・・・。だから、自分を変えるための良い機会として今回のことを捉えていこうと思います」
沙織がそこまで言うと、部室の出入り口の方から、あのコントラルトの声が聞こえた。
「みんな、おはよう。あれ、どうしちゃったの? 部長と副部長、それにサーヤまで集まって。何か問題でも?」
伊勢杏奈。
二日前、F女吹奏楽部の外部トレーナー兼首席指揮者として正式に就任したプロの指揮者だ。
この部の顧問は、指揮者を兼任する場合を除き、基本的にはコンクールへの出場手続きだとか吹奏楽部の郊外活動の調性だとか、正規の教員にしか出来ない音楽以外の事務的な手続きを主に担当する。
だから、コンクール期間限定とはいえ、杏名が正式に指揮者になった今、出番はほとんどない。
杏名は、春らしい明るめの色をした上着を脱いで椅子の背もたれに掛け、ややルーズな白のリボンタイ・ブラウス姿になって腕まくりをする。この格好だと、彼女の胸もあまり目立たなかった。
「先生、おはようございます。本日はよろしくお願い致します。特に問題というわけではありません。もう話しは終わりましたので、私たちはすぐに音出しに入ります」
「そう。女の子ばかりだから、色々問題も起きるでしょうけど、そのほとんどは音楽とは関係ないことよ。でしょう? だから、何か起きたり起こりそうだったら、遠慮なく私に言ってね。問題は解決することより――もちろん解決出来ることはなるべく早く解決した方がいいけど――、その問題を共有することも大切。例え個人的な問題でも、自分ひとりで抱え込んで悩んでいても、悪い方向へ行くだけだからね。問題を共有することで、組織ってのは結束が強くなることもあるのよ。それと・・・」
杏名は一瞬口ごもったが、すぐに続けた。
「この部は、部内恋愛はまだ禁止されてるの?」
杏名のその言葉を聞いて、一同は固まった。
「ぶ、部内恋愛ですか? あの、先生。ここ、女子校ですよ」
部長の仲里が発言する。
「もちろんご存知ですことよ? でも、女の子同士だってそういう関係になること、あるでしょう?」
なぜか、杏名は沙織と目が合い、杏名が沙織に向かってウィンクした。
これはどういう意味なのか。
まさか、お母さんと杏名先生が・・・?
それとも、私と石神井さんのこと?
それとも、それとも・・・。
沙織には心当たりがありすぎた。
「まあ、確かにそれがないとは言い切れません・・・」
そう言った部長が、一瞬副部長を見たのを沙織は見逃さなかった。
そ、それって、もしかして・・・。
「私の時は禁止だったわ、部内恋愛。まあ、そういう時代だったからってのもあるけど、実際、その部則がないとき、それでモメて大変なことになったことがあるらしいの。私よりずっと前の代の話しだけどね。規則が出来てからも、隠れて付き合っていた部員はいたし、表向きには禁止されているから、部内恋愛が拗れても誰にも相談できず、両方とも部活辞めたりね。だから、部内恋愛禁止なんて部則があっても、そんなの看板掲げてるだけで、実質的には無駄無駄。人の気持ちはね、そんなんじゃ規定できないのよ。別にカミングアウトしろって言ってるわけじゃなく、その規則が足かせになって問題が良い方向に進まないのなら、むしろそんなの無い方がよっぽど良いわ。部活以外の、例えば同じクラスの子と付き合ってるとかだと、どうしようもないけど」
「分かりました。後で調べてみます。でも、私がその部則を把握していないので、多分いつかの時点で廃止されたと思います」
「そう。それなら結構。部活に青春を捧げるのも良いけど、それだけじゃねえ。もう片一方を我慢しながらなんて、息が詰まるわ。女の子同士なら、もし間違いが起きたとしても――それを間違いっていうのもどうかと思うけど――、大事にはなりにくいし・・・。あ、顧問の先生には、私がそんなこと言ってたなんて内緒よ」
海外生活の長い人は、さすがに違うなと沙織は思った。
もし私も、万が一音大を卒業して海外留学したら、こういう性格になるのだろうか?
F女吹奏楽部がバラ・フェスティバルで演奏する曲は2曲。
地域の中学と高校の吹奏楽部のほとんど全てが集まるため、フェス会場の敷地の両端に十分に分かれて同時に演奏するが、一校辺りの持ち時間は少ない。
曲数の規定はなく、演奏時間約10分という決まりがあるだけだ。1曲を時間いっぱい使って演奏する学校、2曲、3曲演奏する学校とパターンは様々だが、約5分の曲を2曲演奏する学校が殆ど。
4月に入学したばかりの新一年生のうち、初心者も混ざるから、初心者も演奏できるような技術的に簡単な曲と、コンクールの前哨戦として2・3年生が全力で演奏する曲と、性質の異なる二曲を合わせる学校が多い。
F女の1曲目は、イタリアの近代作曲家レスピーギの交響詩《ローマの松》第4曲目『アッピア街道の松』。そして2曲目は、新入生勧誘演奏でも好評だったモデスト・ムソルグスキーの組曲《展覧会の絵》の最終曲『キエフ(キーウ)の大門』。
2曲とも、少し早めに演奏してやっと10分に収まる選曲だが、1分未満なら超過してもOKというのが不文律になっていたため、問題はないだろう。両曲とも木管楽器には細かい音符が少なく、その意味では初心者にも優しい。
しかしトランペットにとっては、いずれも音量と高音の二つが同時に求められるため、やはり沙織頼みの選曲ということになっている。別に彼女のファンたちへの忖度ではなく、使えるものは効果的に使うという趣旨の元での選曲だった。
『アッピア街道の松』は、ラヴェルの《ボレロ》のように、打楽器が一定のテンポで同じリズムを最後までずっと繰り返しながら、少しずつ楽器の数が増えていって徐々に音量が上がっていく曲だ。その盛り上がりの頂点の最後の方で、本来はオーケストラとは別のトランペットを中心としたファンファーレ部隊や、パイプ・オルガンが壮大に鳴り響くが、今回は野外コンサートなのでそれはなし。
一通り音出しの時間をとった後、杏名が指揮台に立った。
「みんさん、おはようございます。2日ぶりの再会ね。みんなと会えて嬉しいわ。ゴールデン・ウィークを返上して集まってもらい、感謝します。え、私? 私はプロの音楽家なので、盆も正月もありません。年末年始はジルベスター・コンサートやらニューイヤー・コンサートなんかでリハーサル・本番・リハーサル・本番の繰り返し。そもそもヨーロッパにゴールデン・ウィークはありませんし、この時期は復活祭のお祭りの演奏があってかきいれどきだから休んでなんかいられないわ。夏になったら、すぐにサマー・コンサートがあるし。私、ヨーロッパでコンペティの仕事してたって言ったけど、オペラの準備は何ヶ月もかかるし、新曲の予定が入った日にゃ、土日もないくらい。指揮者の仕事は、オーケストラ団員とは違い、お客さんが入ったコンサートだけでなく、オーケストラとの初日のリハーサルからもう本番だからね」
杏名はそう言うと、何かを思い出したように「ふぅ」とため息を付きながら、ブラウスのリボンタイの垂れ下がった部分を、指揮棒を持っていない左手で撫で下ろした。
「それじゃあ、この前のように、コンミスの音に合わせてチューニングを始めて。今日は何分で終わるかな? じゃあ、どうぞ」
その合図とともに、クラリネットのBb音が鳴り始めた。
次々に入っていく残りのクラリネット。
2日前、始めてチューニングした時より入りはスムーズだった。
そりゃそうだ。
昨日のトゥッティ練は、たっぷり時間を掛けてこの練習をしたのだから。
その様子を見て、満足そうな表情の杏奈。
ごくたまに「まだ合ってない」とか「合ったらすぐ入って」と指摘される部員もいたが、その殆どは一年生。杏奈はもう部員の方は見ず、もっぱらスコアを睨んでいる。
『アッピア街道の松』は、以前のこの部活の十八番の一つで、ことあるごとに演奏していた曲だ。
しばらくしてチューニングが終わる。
「はい。合計で32分。まだ目標には達していないけれど、最初に比べれば上出来だわ。何、こんな短期間にこんな上達しているの、あなたたちは。それじゃあ、次。音階。Bbドゥアから半音ずつドゥアで上がって下がる。これに慣れたら、モル(短調)、つまり旋律的短音階でも近々同じやってもらいますから、予習しておいて。この分じゃあ、長音階も覚えただろうから、この前みたいな2拍の休みは入れず、連続して音階やってね。それでは行きます。はい、構えて。ワン、ツー」
杏奈の指揮に合わせて、みな一斉に楽器を吹き出した。アインザッツも揃っている。
これも昨日練習した通りだ。
「では、次。トラスケ。あ、ちなみに。係りの子がサウンド・ディレクター用意してくれているけれど、私の練習ではこれは使いません。事前に言っておけばよかったわね。えーと、それは、こんな機械の音に合わせたって意味ないからです。アコースティック楽器と電子楽器の音では、音の性質が全然違うの。加えて、私の合奏練習では、多くの学校でやっているみたいだけれど、サウンド・ディレクターから音を拾って、メトロノームの音をスピーカーで大音量で流し、それに合わせて吹くこともしません。個人的な意見としては、これは最悪な練習方法。そんなことしてたんじゃ、周りの音を聞くどころか、自分の音を聞くことだって難しくなるし。あ、個人練習やパート練習では、必ずメトロノーム使って練習し欲しいけど、少なくとも全体合奏では使いません。だから、ここにリズム隊、打楽器はいないでしょう? 多くの学校では、合奏の基礎練習に打楽器の子たちを無意味に付き合わせててドンシャンやらせているみたいだけど、意味ありません。彼女たちには、打楽器に則した基礎練習をしてもらっています。また、特にピッチに関しては、最初の時にも言ったように、機械的に合わせても意味ないわ。純正律がどうとか平均律がどうとかいったような話しを聞いたことがある人もいると思うけど、音楽ってそんな風にバキッと綺麗にAかBかで二分できるようなものではないから。2・3年生は知ってると思うけど、統計のベン図のように、必ず、複数の要素が重なってグラデーションになった部分が存在します。今や、性別だって男と女、明確には2つに分けられない時代よ。この社会は、真実に近づけば近づくほど、グラデーションになっていくものなのよ。そのグラデーションになった部分を、どうやってバンド全体として収束させていくか。そこが肝心ね。例えば、このピアノ。ピアノは平均律で調律されているからどうのこうの言う人がいます。でも、ピアノの調律師さんたちだって、その道のプロ。そんなことは重々承知よ。もしピアノが単純な平均律で調律されているなら、調律師さんは要りません。チューナーに合わせて、演奏者が調性すればいいだけの話し。そうなっていないのは、それぞれの調律師さん独自の調律論理があって、単純な平均律にはなっていないからです。また話しすぎてしまったようね。それじゃ、トラスケの、そうね、Ebドュアの19番。音階になっているのは、どのパートかな? 音階になっているパート、手を挙げて。指揮者用のコンデンス・スコアじゃ、具体的にどの楽器がどのパート吹いてるか分からないのよ」
杏奈がそう指示をすると、パラパラと手が上がる。
「そうね。19番は、低音パートが音階になっていますので、音階じゃない他のパートは、このベースとなるルート音の上に和音を乗せる感じで吹いていって。そして、これはどの番号にも言えることだけれど、音楽を吹く楽器は、その音がその和音のベースになるので、他の動きをしているパートと響きが合わないと思っても、ピッチを変えないように。では、まずは楽譜通りの全音符をソステヌートで。取り敢えず一度通して、その次に1小節ずつ響きを合わせていきます。それじゃ構えて・・・ワン、ツー」
演奏が進んでいく中、やはり杏奈の指示が飛びまくる。
そして、演奏が終わった。
「はい、ご苦労さん。それじゃあね・・・。みんなには、今からちょっと動いてもらいます。トラスケは、基本的に4つの動きから出来ています。ですので、これからその動きごとに演奏場所をまとまってもらいます。ベースのEbドゥアを吹いているパートから、皆から見て左側から順に座っていってもらいます」
そして、杏奈は音の動きを歌いながら、この動きのパートはここ、次の動きのパートはそこと、場所を指示していった。
「みんなちゃんと割り振られたかな? たまに変な動きするパートがあるから、まだ自分のパートの動きを言われていない人、手を挙げて下さい・・・。OK、いないようね。では、もう一度楽譜通りソステヌートで通します。まずは、同じ動きのパート同士、お互いに音をよく聴き合ってね。同じ動きのパートで音が揃っていなければ話にならないので。それから、途中、四分音符で動くパート。そのパートは、コード進行上重要な動きだから、少し強調して大事に動いていくように。さすがにトラスケは途中で転調はしないけれど、転調がある曲では、その音が聞こえないと、ちゃんと転調して聞こえないこともあるからね」
午前中は、ずっとそんな練習の繰り返し。
一度休憩を挟み、お昼までは1小節ずつ丁寧に、和声を効果的に響かせる練習が続いた。
この練習を通じて、ピッチが絶対的なものではなく、その音が和音構成のどの位置にあるかで異なってくるものであることを、部員全員が理解し、身にしみていった。
そしてお昼休み。
沙織は、昼休みはてっきり1時間だと思っていたが、1時間半だという。
ヨーロッパ的な?
昼休みになった瞬間、石神井がネクタイをブラブラさせながら沙織のところに飛んできた。
「沙織~」
まるで生き別れになった親子の何十年ぶりかの再会シーンみたいだった。
西条は、眉間に眉を寄せ「またか。やれやれ」とでも言いそうな表情だったが。
「私ね、あの先生のこと、侮りすぎてたわ。あの先生、結構やるじゃない。私、絶対音感あるから、ピッチ変えるの最初は気持ち悪いって思ったけど、だんだんハーモニーの美しさが分かるようになってきたわ。ねえ、プロの人って、みんなあんなに繊細な感覚とか耳もってるの?」
沙織は「また答えづらい質問をする人だな」と思った。
「まあ、全員じゃないとは思うけれど、プロの人達はちゃんと研鑽を積んでるし、経験だって、私たち高校生とは比べ物にならないし。それこそ、あの先生はヨーローパで何年も・・・」
沙織が言いかけると、部長がやって来た。
「高城さん。あ、石神井さんもいるのね。丁度よかった。伊勢先生がね、私と副部長、それから高城さんと石神井さんで、いっしょにお昼ごはん食べないかって。先生が車出してくれてね、駅前のファミレスで。しかも、先生の奢りだって。どうかしら?」
沙織と石神井の表情を伺う部長。
「私は構いませんけれど、石神井さんは、どう? 私と二人でご飯、食べたい?」
返事を振られた石神井は、考える暇なく即答した。
「先生の奢りなら、断る理由はないわ。行きます行きます。是非!」
お金持ちなのに、石神井はなんて現金な人なんだと沙織は思ったが、もちろん本人には言わない。
「それなら決まりね! じゃあ、職員駐車場で待ってて? 私たちもすぐ行くから」
部長が部室に戻っていくと「早く、早く」と沙織を急かす石神井。
子供か。
「外、寒くないかな? 石神井さん、制服の上着どうする? 着ていく? セーターくらい着ていった方がいいかな?」
「着なくて大丈夫じゃない? ブラウスのままで。どうせ移動は車だし」
「じゃあ靴持って、昇降口から出ようっか。私、非常階段暗くて嫌い。いつになったら蛍光灯替えてくれるのかな?」
昇降口に向かって、廊下を歩きながら、沙織が愚痴る。
「ああ、あれね。あれは蛍光灯替えただけじゃダメらしいわよ。なんでも、電線が壁の中でショートしてるらしくって、それ直すには結構な大工事になるみたい。そんな工事するとしたら、夏休み中じゃない?」
「なんで石神井さんがそんなこと知ってるの?」
「だって、私、生徒会長に直談判したもの。まだ吹奏楽部に嫌がらせする気なのか?って。そしたら、京都弁で結構な勢いで捲し立てられて怒られたわよ。嫌がらせするにしても、そんな人の安全に関わるようなことはしないって」
「嫌がらせすること自体は否定しないんだ・・・」
「そりゃ、あの人はどうしても私に生徒会に入ってもらいたいんだもの。まあ、生半可な嫌がらせ程度じゃ、私の決意は変わらないけど。もし私が生徒会に入ることで、吹奏楽部が優遇されることになってもね。そういう依怙贔屓、私好きじゃない」
石神井が手に持った自分のローファーをぶん回しながら力説する。
やがて昇降口に付き、二人は靴を履いて表に出る。
そして、職員駐車場に向かった石神井は、両目を見開いて突然驚愕の表情をし、固まった。
「ウソ! あの車って、もしかして、あの先生の?」
「うん、そうじゃないかな。車、一台しか停まってないし」
「あの大きなグリルとあの細目は、間違いなくBMWのi7よ! 去年の7月に発売されて、まだ1年経ってないから、新車も中古車もほとんど価格変わらないので、恐らく新車・・・」
「へーえ。石神井さんて、車にも詳しいんだね。BMWとか言われても、私にはさっぱり・・・」
「いや、私も詳しくはないけど、うちのお父さんが欲しいって言ってたから、あれ。うちは去年、ベンツの新車買っちゃったから、お母さんにダメだしされて、ずっとカタログ見てたのよ」
「ふーん。で、お値段は?」
「モデルにもよるけど、1600万~2000万円くらいまでだったはず」
それを聞いて、沙織は空いた口が塞がらなかった。
「指揮者って儲かるのね。私も指揮者になろうかしら・・・」
車の値段はさておき。
やっぱり石神井は現金な人だ、と沙織は思った。
つづく。




