ep.9 神楽の睦月
敷地に入ってから車で五分ほど。
見えてきた家屋は、まるで旅館のような佇まいをしている。
「家に誰かいますか?」
「今は陽向様だけですが──」
「姉さん!」
渡守の声をかき消すように、聞き覚えのある声が響いた。
家の方から、こちらに向かって駆けて来る青年の姿が見える。
私を見るなり破顔した青年──陽向は、私の手を包むように握ってきた。
「お帰り! 会うのは正月ぶりだよね。姉さん、また綺麗になった?」
「久しぶり。陽向は少し背が伸びたね」
「あー、うん。そうなんだ。そろそろ止まってもいいはずなんだけど……」
どうやら陽向の身長は、高校を卒業した後も伸び続けているらしい。
昔はあんなに小さかったのに。
人間の成長はあっという間だ。
嬉しそうに話していた陽向だが、不意に視線が私の手元へと移っていく。
「あ、もしかして……!」
「私と同じ部屋で過ごすつもりだから、よろしくね」
私の言葉に、ここが外だと思い出したのだろう。
陽向は慌てた様子で手を握り直すと、中に入ろうと引いてきた。
手から伝わる温度は、人間ならば誰しもが持っている体温だ。
けれど何故か、私はいま──それに酷く違和感を覚えている。
湯たんぽのような温度に包まれながら、私の脳裏にはずっと、あの冷んやりとした手が浮かんでいた。
◆ ◆ ◇ ◇
「へえ、霜月って言うんだ」
膝の上で丸まる霜月を、陽向は興味津々な顔で見つめている。
「それで、話って?」
「ごめんごめん。そうだったよね」
話があると言う割に、なかなか肝心の話が始まらない。
促すために問いかけると、繕うように笑った陽向は、迷うように視線を彷徨わせている。
「……あのさ、今回のお墓参りなんだけど……僕も一緒に行きたいなと、思ってて」
「いきなりどうしたの? 陽向なら、行こうと思えばいつでもいけるはずだよね」
「それはそうなんだけど……」
言い淀む陽向の姿を黙って見ていると、大きな音を立てて、入り口の襖が勢いよく開かれた。
「ちょっと陽向! どうして今日は迎えに来てくれないの!?」
鋭い声と寄せられた眉が、女性の不機嫌さを大いに表している。
着物に身を包んだ女性は、こちらを見るなり気の強そうな顔つきをさらに歪めた。
「なんであんたがここに……! この時期は居ないはずでしょ」
「依子、姉さんに失礼な態度を取らないよう言っておいたはずだよ」
キーキー騒ぐ依子を見て、そういえば西宮にこんな人もいたな……なんてことを考えていたのだが、何やら癇に障ってしまったらしい。
「相変わらず能面みたいな顔ね。感情がないのかしら?」
「依子!」
おお、能面みたいは初めて言われた。
何だか新鮮だ。
「どうしてそいつを庇うのよ! 当主は陽向の方でしょ!? 私が妻になったら、この女はお払い箱にしてやるわ。所詮……、神楽から追い出された人間のくせに!」
「良い加減にしろ!」
陽向の怒気をはらんだ声に、依子は唇を噛み締め黙り込んでいる。
憎々しげにこちらを睨んだ目が、ふと私の膝元へと移っていった。
突然ビクリと震えた依子は、怯えたように顔を背けると、そのまま小刻みに震え始めた。
異様な静寂が部屋に漂う。
依子の変わりように、陽向も戸惑っているようだ。
霜月の頭を撫でると、私はソファーから立ち上がった。
「そろそろ部屋に戻ります」
「姉さん! ごめん、あの……」
「分かってる」
西宮が来たのは想定外だったのだろう。
神楽の当主が亡き後、度々問題を起こしている一族だ。
随分と陽向にご執心のようだが、一族の人間として、相手は選んでおくべきだった。
「貴女が妻になるのと、私が貴女を潰すの。どっちが早いと思う?」
去り際に耳元で囁くと、そのまま自室へと進んでいく。
まあ、本当に潰すつもりはないのだが。
今のところキーキー喚いてるだけだし、何か実害を受けたわけでもない。
分家同士とはいえ、神楽を馬鹿にしかねない発言を、そのままにしておくわけにもいかなかっただけだ。
神楽と神楽は、元を辿れば同じ血族、兄弟なのだから。
陽向が私を姉さんと呼ぶのも、幼い頃から交流が深い以上に、そんな理由があるからなのだろう。
「神楽から追い出された、ね」
心配そうに見つめる霜月の頭をもう一度撫で、私は自室へと足を進めた。
◆ ◆ ◆ ◇
神楽の家にある一室。
使用人たちが掃除をしているため、部屋は清潔な状態で保たれている。
部屋の中で睦月は、机の上に置かれた写真をじっと眺めていた。
写真には優しそうな夫婦と子供が写っている。
神楽の当主と妻の間に挟まれた子供は、一人だけ感情の浮かばない顔をしていた。
神楽の可愛い一人娘。
夫婦が亡くなる日まで大切に育てられた子供の名は、── 神楽 睦月といった。
当時、神楽の唯一の後継者だった子供は、両親のどちらとも似つかない。
異質とも言える美しさは、写真の中で一際目立つ存在だった。