ep.16 魂の在処
私を連れて別の部屋に移った上司と、向き合う形で腰掛ける。
「怪我はもういいんですか?」
「え?」
開口一番に怪我の心配をされ、戸惑った声が出てしまった。
「大丈夫です。気づいた時には治ってたくらいなので」
「そうですか」
聞いておいてさらりと返事をする上司に、この怪我が治った理由について、何か知ってるのではないかと思えてきた。
不意に、眩暈のような感覚に襲われる。
揺れる視界に、思わず手の甲で額を押さえた。
死界に来てから、私の身体にはおかしな変化が現れ始めている。
一つは視界の変化。
そして、もう一つは───。
「どうして治ったんですか?」
常闇の深い黒と視線を合わせながら、そう聞いた。
「既に治療系統の能力があったとか」
「さあ、どうでしょう。今の段階では何とも言えませんね」
はぐらかすような答えに、常闇の方をじっと見つめる。
「本当は知っているのに、教えられない理由でもあるの? それとも、もしかしてわたしには言えない……とか?」
ぶにょり、と顔を掴まれる感覚。
気づけば、上司の指に頬を挟まれ固定されていた。
突然の奇行に硬まる私をよそに、上司はぶにぶにと頬を押し潰してくる。
「全く、困ったものですね。いいですか睦月。物事にはすべからく順序ってものがあるんです」
なすがままの私に、上司はもう何度か頬を押すと、指を離していった。
「まずはよく視てみることです。睦月自身で掴んでこそ、その力は意味があるんですから」
「……何を、言ってるんですか?」
「ああ、念のため言っておきますが、くれぐれも主導権は渡さないようにしてくださいね」
よく視る──?
いったい何を見ればいいのだろうか。
分からないことばかりだが、少なくともこの視界と何か関係があることは確かだ。
主導権が何のことかはもっと分からないが、上司の呆れた表情を見る限り、そんなに心配することもないだろう。
……たぶん。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
緩んでいた意識を引き締め直す。
おそらくこれは、私にとっても重要な話になるはずだ。
「先日の件についてですが、イレギュラーな事態に死局側も対応に追われている最中です。そして、情報管理課からの連絡が貴女にだけ届いてなかった件ですが、これについては現在調査中となっています」
仕事の報告を淡々と口にする上司を見ていると、どうやら上司もそれなりに忙しかったのだろうと思えてくる。
「今回の不祥事を理由に、情報管理課にはサポーターを変更するよう伝えました。今後、貴女たちの仕事を担当する死神には、私の部下が当てられます」
上司は上司で、色々と動いてくれていたらしい。
後ろで結えた長い髪が、少しだけほつれているのが見える。
「今回の報酬については、慰謝料なども含め多めに出すよう言っておきました。入ったお金で気分転換にでも行くといいですよ」
「お金は死界にもあるんですね」
「あった方が便利ですからね」
確かに、死界のような世界にはあった方が便利だろう。
「ああそれと、もう一つ伝えておかなければならない事がありました」
上司の手のひらに、銀の籠が現れた。
「それってもしかして……」
「ええ。貴女が仕事で回収した魂ですよ」
声が震える。
守れなかったのだと、そう思っていた。
籠の中でふわふわと浮かんでいる魂の正体は、あの日出会ったクリスティーナのもので間違いない。
差し出されるまま、そっと籠を受け取る。
「譲ってもらったんです。契約も解除させたので、心配はいりませんよ」
「そっ……」
それはちょっと信じ難い話だ。
しかし、ここに魂がある以上、事実なのかもしれない。
あの悪魔が魂を譲るようには思えなかったが、いったいどんな交渉をしたのだろうか。
「今から送るには遅れもありますし、その魂は直接『選別所』へ持っていくことにしましょうか」
「選別所?」
「行ってみたら分かりますよ」
上司は私の手から魂の入った籠を持ち上げ、「いったん預かっておきます」と言いながら籠を消した。
「ありがとう、ございます」
魂を守ってくれたことも。
私が会えるまで、待っててくれたことも。
上手く言葉にならず、お礼を言うのが精一杯の私に、上司はゆるく微笑んだ。
「構いませんよ。今回の仕事、よく頑張りましたね」
ぐっと詰まった息が、言葉を発するのを難しくしている。
落ち着くため深い息を吐き出すと、上司に向けてもう一度、お礼の言葉を口にしようとした。
「まあそのせいで、悪魔に狙われることにもなったわけですがね」
悪魔に狙われる?
ちょっと待て、どういうことだ上司。
「悪魔に狙われるって、私がですか?」
上司の方ならばまだ理解もできよう。
しかし、何故か悪魔が狙っているのは私の方らしい。
理解に苦しむ展開だ。
「悪魔が粘着質なのはよくある事ですよ」
色々と省いたなこの上司。
面倒だからといって、説明を省くのは止めて欲しい。
切実に。
「それで、提案なのですが」
そう言って笑う上司の表情には、ひどく見覚えがあった。
嫌な予感がする。
「睦月。貴女しばらく、霜月と暮らしてみませんか?」