ep.12 再会
黒いリボンが歪んでいる。
必死になって探してくれていたのだろう。
ぎゅうっとしがみついてくる少女の背へ、私もそっと手を回した。
「心配かけてごめんね、美火」
「……ほんとうに、心配したんです」
「うん。ごめんなさい」
死神に体温はないのに、何故か美火の体はほんのりと温かく感じる。
ほっとする温度に癒されていると、男の怒声と暴れ回る音が聞こえ、辺りが騒がしくなってきた。
美火がピクリと反応を示すと、私から離れ、守るように傍に立つ。
視線の先には、警備課の死神が放った鎖で拘束され、地面に転がりながらも喚き続ける男の姿。
鎖はギチギチとした音を立て、暴れる男の身体を強く締め付けている。
「クソがっ……、これを解きやがれ! 威吹ぃ! テメェ卑怯な真似しやがって、ただじゃおかねぇからな!」
「大人しくしろ!」
警備課の死神から注意されているにも関わらず、男はさらに強く暴れるばかりだ。
拘束している死神は頭が痛いと言わんばかりの様子で、眉間に手を当てている。
警備課の一人と話していた威吹は話を止め、男の方を冷めた目つきで見下ろした。
「カウダ、いくら何でもやりすぎだ。街中の戦闘が違反にならないからって、限度ってもんがある事くらい分かんだろ」
「うるせぇ! オレに説教すんなゴミ野郎が!」
「ゴミはどっちだか。頭冷やしてくるんだな」
そう言うと、威吹はカウダと呼んだ男の方を一瞥もせず距離をとっていく。
「では、私たちはこれで」
警備課の死神たちは、未だ喚き続けるカウダを連れて去っていった。
辺りに静寂が訪れるも、死神たちはすぐさま元の生活へと戻っていく。
中心部の空間の死神は、こういった日常に慣れているのだと言っていたが、全くその通りの光景だ。
そして、その事を教えてくれた死神は、もう何処にも見当たらない。
急に辺りを見回しだした私に、美火が不思議そうな顔をする。
「睦月さん、どうかしましたか?」
「あ、ううん、ちょっと──」
「お姉さんごめん! 遅れた!」
勢いよく駆け込んできた威吹は、心底申し訳なさそうな顔で手を合わせた。
「ほんっとにごめん! こんなに待たせちまうなんて。さっきの攻撃も、俺のせいであたりそうになってたし……」
元を辿れば、どちらも威吹が悪いわけではないと思うのだが、律儀な死神なのだろう。
「威吹くんが悪いとは思ってないから、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。それに、さっきの攻撃からは美火が守ってくれたし」
そう言って美火の方を向くと、照れくさそうな顔で視線を逸らしている。
「気づいてたんですね」
「何となくそうかなって。ありがとう。美火が居てくれて良かった」
美火の顔が茹蛸みたいに赤く染まっていく。
どうやら、照れると真っ赤になるタイプのようだ。
霜月はよく青ざめてたから、美火とは正反対のタイプなのかもしれない。
「そっちの死神は美火さんって言うんだね。俺は威吹って言うんだけど、お姉さんはもう知ってるよな。あ、お姉さんの名前も聞いて良い?」
「私は睦月だよ」
「睦月さんね」
威吹は一つ頷くと、こちらに手を差し出してきた。
「あのさ、連絡先交換してくれない? 後日改めてお詫びとかもしたいし」
こちらに差し出された手を見つめる。
連絡先の交換で、なぜ手を差し出されているのだろうか。
「もしかして、ナンパしてます?」
少し揶揄ってはみたものの、もちろん威吹がそんな考えだとは思っていない。
今も少しだけヒリヒリするおでこに、ちょっとした意趣返しを頼まれただけだ。
「いやいやいや! そんな意味じゃ……! 睦月さんの事は綺麗だと思うけど! あっ、いや! 違くて! いや違わないけど! でもほんと、そういう意味じゃ……っ」
どうしよう。
とんでもなく慌てさせてしまった。
そういえば昔、「あんたの冗談は冗談に聞こえないから、せめて顔の筋肉を動かせ」って言われた事もあったな。
なんて、今更ながらに思い出す。
霜月があまりにも読み取ってくれるから、失念してしまっていたようだ。
気をつけなければ。
「あの、じょうだ──」
「睦月さんをナンパ……?」
辺りの気温が急上昇していく。
美火の橙色の目が発火したように光りだし、何かが燃えるような音が鳴り始める。
「無礼にも程があります。睦月さんは、あなたごときがナンパしていいような方ではありません」
ちょーっと待って欲しい。
色々おかしい部分はあるとして、そもそも美火は私を何だと思っているのだろうか。
そして好感度……高すぎない?
今すごくデジャブを感じているところだ。
「いや、ほんとそんなつもりじゃねぇって! 美火さん、落ち着いて話し合おう? な?」
「言い訳しても無駄です。睦月さんをデートに誘うための口実だってこと、私が気づかないとでも思ってるんですか?」
すんごい曲解してる。
威吹くんごめん。
まさかこんな事になるとは流石に思わなかったんだ。
「確かに会おうとは思ってたけど、それは怪我のこともあったからで──」
「怪我?」
あ、これ地雷だ。
前髪で見えにくい場所のため、気づいてなかったのだろう。
せめてもの足掻きとして、美火の方からそっと顔を背けるように動かしていく。
「怪我って、どういう事ですか? 私は怪我なんてさせていません」
「あっ、いや……その、おでこに……」
「睦月さん、おでこを見せてください」
ぐるりと向いた美火の迫力に、内心びくっとしている。
「おでこはちょっと恥ずかしいな、なんて」
「見せてください。はやく」
「はい」
ごめん、威吹くん。無理でした。
美火の方を向くと、前髪を上げるようにジェスチャーされたので、指示通り持ち上げる。
おでこを見た美火の顔に、じわじわと怒りの色が浮かんできた。
「……傷が。睦月さんの綺麗な顔に……、傷がついて……」
「美火、これすぐ治るやつだからね」
訴えてはみたものの、美火の怒りは収まらなかったようだ。
いきなり周囲に炎が上がった。
巨大な炎は、威吹を取り囲むようにうねうねと動いている。
「マジかよ……」
威吹の声から漂う哀愁が切ない。
私はもう、死局に辿り着けないのではなかろうか。
そんな思考が頭をよぎった時、いきなり目の前で炎が全て消え失せた。
「へ?」
威吹の呆然とした声が聞こえる。
それもそうだろう。
美火が消したにしては、あまりにも唐突すぎる状況だ。
そして何より、この現状に三人ともが驚いている。
「時間がかかり過ぎているとは思いましたが、まさかこんな所で油を売っていたとは」
コツコツと靴の音が響き、威吹の後ろから見知った姿が現れた。
「美火。これはいったい、どういう事です?」
何かを堪えるような表情をした美火へと、上司がゆっくり近づいていく。
横を通られた威吹の顔色は、今にも倒れそうなほど悪い。
「あの」
このままではいけない。
咄嗟に話しかけようとした時、目の前の場所に誰かが降ってきた。
ローブで身を包み、フードを目深にかぶったその誰かは、危なげなく地面に降り立つと、私の方を見て動きを止めている。
「霜月……?」
名前を呼ばれた霜月がフードを脱ぎ去り、こっちを真っ直ぐに見つめてくる。
「睦月」
透けるような金が覗く。
私の名を読んで微笑む霜月の目には、私以外なにも、映っていないかのようだった。