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死神の猫  作者: 十三番目
第五唱 Fifth promise 愛よりも重いもの
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ep.9 生か死か


「ひとまず、そこにいる妖精をどうにかすることからかな」


「妖精……?」


 睦月の視線を辿り、椿の視線も横に逸れていく。


「何も……いませんが」


「人間には見えないからね。でも、あなたなら聞くことはできるはずだよ」


 睦月の言葉に、椿の瞳が揺れる。


 神楽(かぐら)は古くから、神の声を聞ける一族として血を繋いできた。

 今や血も薄れ、この特性を持つ者は稀だが、完全に居なくなった訳ではない。


 睦月の父親であり、先代の当主であった壱月(いつき)は、先祖返りと呼ばれるほど聞くことに優れていた。

 壱月ほどではないが、椿も一族の血を濃く受け継いでいる。


 そこに居ると認識さえできれば、声を聴くことは可能だろう。


「これは?」


「ウインターコスモスです。少し早いですが、もう咲いていたようで……」


「その花、誰に貰ったか覚えてる?」


 傍らに置いていた花について問われ、椿は一輪だけの彩りを手に取った。

 しかし、次いで問われた言葉に、花が手から滑り落ちていく。


 覚えていないのだ。

 何処で摘まれたのか、いつ渡されたのか。

 どうしてここに在るのかさえ、何も分からない。


「隣にいる妖精に、聞いてみたらどうかな」


 睦月には見えているのだろう。

 断言にも近い言葉に、椿は空気しかないはずの場所へと視線を向けた。


『つばき』


「……あ」


 微かに届いた声に、自然と息が漏れる。


 椿には友達がいた。

 箱入りだった椿の元を毎日のように訪れては、花を一輪贈ってくる──そんな可愛らしい友達が。


 断片的に浮かんだ映像は、椿が失っていた記憶の一部だ。

 ほんの数週間前のことさえ忘れかけていたという事実に、椿は呆然と硬まった。


『花だったら見えるでしょ?』


 そう言って、いつも懸命に運んできてくれていたのに。


「どうして……」


 両手で顔を覆う椿は、自らの病がいかに深刻なものか分かっていなかった。

 父親は黙って医師に従うよう指示し、医師からは処方した薬を飲んだか確認されるだけ。


 徐々に異変を感じてはいたものの、気づいた時には手遅れだったのだ。

 いつの間にか、大切な友達が居たことさえ忘れてしまっていた。

 

 声を殺して泣く椿を、睦月が慰めることはなく。

 けれど、椿の雨が降り終わるまで、静かに傍で見守っていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 涙を流す椿の頬に、そっと妖精が寄り添っている。


 病に罹患したことで、無気力になっていく椿をどうすることも出来ず、しかし諦めることも出来なかったのだろう。

 毎日のように花を贈り続け、再び気づいてくれる日を待っていたのかもしれない。


「すみません……取り乱してしまって」


「気にしなくていいよ」


 無理もないだろう。

 時間が無いとは言え、突然やって来た怪しい存在に、深刻な現状をずけずけと話されるのだから。


 腕に頭を寄せてくる霜月を撫で、椿と目線を合わせる。


「あなたが助かる方法について話してもいい?」


「お願いします」


 こくりと頷いた椿が、こちらを真剣な表情で見返してくる。


「まず、ロストメモリーシンドロームは不治の病と言われてるけど、治療する方法は幾つか存在してる。ただし、どれも人間の手で治療するのは不可能だから、これは例外だと思っていて」


 休息所にあった記録書の中に、似たような症例が載っていた。

 同じやり方であれば、治すのはそれほど難しくないだろう。


「今のあなたが取れる選択肢は二つ。一つは、妖精と出会った以降の記憶を全て消し、繋がった縁を断ち切ること。もう一つは、記憶はそのままに、妖精の存在自体を消してしまうこと」


 部分的に消しても意味がない。

 一度発症してしまえば、病の影響は他の記憶にまで及ぶことになる。


「その妖精と少しでも関わりがある限り、あなたの病が完治することはないよ。だから選んで。数年分の記憶を放棄して、金輪際関わることなく生きていくか。それとも、記憶を残すために、原因そのものを無かったことにするか」


「原因、そのもの……」

 

 ずっと疑問だった。

 どうして上司は、幼い私から自身の……いや、人ならざるものたちの記憶を消したのか。


 でももし、ロストメモリーシンドロームが“人外と関わったことにより発症する病”なのだとしたら──。


「その妖精を消せば、過去に起きた全ての事柄が、()()()()()()()()()()()ことになる」


 病に罹ったことも、今この瞬間の出来事も根こそぎ消えて、他の記憶(じじつ)へと差し替わっていく。


「もし……そうなったとして、その時の私は……果たして私だと言えるのでしょうか」


「根幹が同じである限り、あなたがあなたであることに変わりはないと思うよ。ただ、歩んできた道が変われば未来も変わるように、今のあなたと同じ思考を持っているとは言い切れないかな」


 満月と出会わなかった世界。

 霜月や上司が、私の元を訪れなかった世界。

 分岐した未来では、そんな世界に生きる私もいたのかもしれない。


「どちらにせよ、記憶を消せば数年前のあなたは戻ってきても、今のあなたが戻ってくることはないからね。命を取るなら、犠牲も必要だと割り切るしかないよ」


 椿の傍に浮かぶ妖精は、黙って椿に寄り添っている。

 選択肢に自らの消滅が挙がっているにも関わらず、妖精は心配そうな眼差しで、椿をじっと見つめるばかりだ。


「明日また会いにくるから、その時に答えを聞かせて」


 生きるということは、犠牲を払い続けるということでもある。

 もし私が、椿の立場だったら──。


 存在するかも分からない並行世界の自分を想像し、薄く笑みを溢す。

 月の如き輝きが、(答え)を映しているような気がして。

 結局、どんなに未来が変わろうと“私”は“私”なのだ。


 そんな確信が、頭を過ぎっていった。


 

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