ep.58 花の毒
中心部の空間のさらに中心に位置する死局。
その深部には、支配者たちの有する空間があった。
玉座には王が悠々と腰掛けており、呼び出された霜月を席に着くよう促している。
「そんなに警戒しなくとも、何かするつもりはないよ」
銀灰色の長髪とスノーブルーの瞳が美しい男だ。
王としての貫禄を纏っており、まるで彫刻のように整った容姿をしている。
「霜月、だったね。実は君に提案があって呼んだんだ」
「……」
無言の霜月を不敬と捉えたのだろう。
控えていたロベリアが剣に手をかけるも、王が制したことで力を緩めている。
「とても優秀だと聞いているよ。今は常闇の部下として働いているようだが、どうかな。今後は私の元で──」
「断る」
先ほどよりも大きく、剣を握った音が響く。
変わらぬ様子で微笑む王は、霜月に対して「理由を聞かせてくれるかな」と問いかけた。
「仕える相手は自分で決める。それだけだ」
「無礼にも程があるな。王からの命を断れるとでも?」
一端の死神などではない。
ここに居るのは、死界の頂点である王なのだ。
ロベリアの声には、そういった圧が込められていた。
「俺に話を持ちかけてきたのは、上司の許可が得られなかったからだ。もし断る権利がないなら、その時点でとっくに引き抜かれてる」
「気持ちは固いようだね」
席を立った霜月を見ても、王は引き留めなかった。
ただ、背中に向けて優しく声をかけている。
「私が、君の探しものに協力すると言ってもかい?」
霜月の足が止まる。
「もし私の手を借りたくなったら、いつでもここを訪れるといい。歓迎するよ」
返事はない。
再び歩き出した霜月は、振り返ることなく玉座の空間から去っていった。
霜月の気配が消えたのを確認し、ロベリアは剣から手を離した。
窺うように王を見るロベリアの肩を優しく叩くと、王もまた別の空間へと消えていく。
──珍しく、赤花殿がいなかったな。
彼岸花の中で最も王の傍にいることが多い無花果だが、今回は姿が見えなかった。
不思議に思ったロベリアは、無花果が管理する空間の方へ自然と足を向けていた。
◆ ◆ ◆ ◇
死界から現世に移ったロベリアは、先に現世で待っていたヘデラを見て足早に近寄った。
王の護衛兼付き添いのため、ヘデラとは後ほど合流することになっていたのだ。
ロベリアを見たヘデラは、「そんなに待ってはおらぬよ」と笑みを溢している。
「赤花とは会えたかえ?」
「ああ。だが、随分と感情的になっていた」
「よもやあの赤花がのう。常闇の前でさえ、我らを諌めるのは赤花の方じゃと言うのに」
宝月が相手であっても冷静さを失わない無花果が、睦月の前でだけは何故か感情をセーブできない。
ヘデラにとってその事実は、まだ会ったことのない睦月を嫌悪するのに充分な理由だった。
「赤花殿が我を失うほど憎む相手は限られている。……それほどまでに、例の死神は似ているのかもしれないな」
「ハッ。ますます会うのが楽しみになってきたのう。贄の可能性がなければ、今すぐにでも会いに行ってやりたいくらいじゃよ」
言外に消してやりたいと話すヘデラに、ロベリアは沈黙という肯定を返している。
「まったく不愉快なものじゃ。居なくなってなお、赤花はおろか、我らが王まで煩わせ続けておるとは」
「だが、元は元でしかない」
「そうさな。なれどもし、件の死神が鍵ではなく贄だと決まれば、我らはあの死神を永遠に閉じ込めておかねばならぬ。皮肉にも、あやつらから命を救う側になるというわけじゃ」
鼻で笑うヘデラをちらりと見るも、ロベリアは返す言葉に迷っているようだった。
口下手で、あまり会話が得意ではない。
気の利いた言葉や慰めの一つも言えないロベリアだったが、それでもヘデラは頻繁にロベリアの元へと話しかけにきてくれた。
「……どれだけ多くのものを犠牲にしようと、復活だけは阻止しなければならない。そして、今の我々にできるのは、一刻も早く宝月を見つけ出し、王の元へ連れていくこと。それだけだ」
「分かっておるとも。万が一にでも主が戻れば、宝月は必ず反旗を翻してくるはずじゃ。再び戦うことになれば、我らが王の悲願を叶えることも難しくなろう」
ロベリアの気遣いを感じ取ったヘデラは、普段の穏やかさを取り戻している。
次に向かう場所を扇子で示すと、ヘデラは頷くロベリアと共に現世の街並みを見下ろした。
微笑みながら扇子を開くヘデラだったが、一瞬、開いた扇子が顔を隠してしまう。
「古い神には眠っててもらうべきじゃ。……永遠にな」
影の落ちた扇子の内側で、ヘデラの目は獲物を狙う獣のように爛々と光っていた。