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死神の猫  作者: 十三番目
第三傷 Third Guilty 真なる神へ告ぐ
159/223

緩和休題 = ◆ 悪魔と契約者 ー 下(後)◇ =


 フラッシュバックしていく記憶。

 ──そうだ……。

 祖父はあの日、糸世を呼び出してこう言った。


「よく聞け糸世。俺がいなくなった後、母親の私物は全て処分しろ。一つも残してはならん。家は全て調べた。残りはお前の部屋だけだ」


「……母さんの私物なんてとっくに祖父ちゃんが捨てただろ。一つも残ってなんかいないよ」


 珍しく声をかけてきたかと思えば、母親に冷たいのは相変わらずだったらしい。

 鬱陶しそうに話す糸世だったが、祖父は糸世を見つめ、くしゃりと顔を歪めた。


「あの女は狂っとる。息子を奪われ、俺にはもうお前しか残っとらんのだ。これ以上、あの女に奪われてなるものか……! いいか糸世、必ず守れよ。俺からの最後の頼みだ」


 母親への態度ばかりが先行し、祖父が糸世に向けていた言動の数々を、真っ直ぐ受け止められずにいた。

 今更思い出した。

 祖父はずっと糸世を──。


 急速に引き戻される感覚。

 あまりの息苦しさに、糸世は必死で腕を振った。

 細い指で糸世の首を締め付ける母親は、女とは思えないほど強い力をしている。


 無我夢中で暴れ拘束が緩んだ隙を突き、糸世は母親と距離を取った。


「げほっ、げほ……っおえ」


 猛烈な吐き気に耐える。

 

「説得は失敗したようね、糸世」


 背後で聞こえたインヴィーの声に、糸世はハッとした様子で振り向いた。


「残念だけど時間よ。これ以上の延長は、さらに寿命が必要になるわ」


「それなら、強制的に帰らせてくださ──」


「無理よ」


 希望が見えたと喜ぶ糸世を、インヴィーは一言で絶望に引き戻した。


「私が契約したのは、生前と同じ状態の母親を糸世に引き合わせることよ。成仏してもらうにしろ、帰ってもらうにしろ、それは糸世がやるべき事だわ」


「そんな……」


 ぶつぶつと呟いたり、頭を掻きむしったり。

 狂ったように笑う母親の霊は、糸世を連れていくまで絶対に帰ったりしないだろう。


「時間切れね。契約内容の違反は、随時ペナルティーが加算されるわ。早くしないと、どんどん寿命が減っちゃうわよ?」


「同意なしに奪うことはないって……!」


「それは()()の話よ。これは既に結んだ契約の話。内容に違反すれば、その分の支払いが増すのは当たり前のことでしょう?」


「……あ」


 言葉を発する気力さえ奪われ、震える膝は今にも崩れ落ちそうだった。

 しかし、命の危険に晒されていることで、糸世は今にも切れそうな蜘蛛の糸を何とか掴んでいられた。


「◾️◾️せ……、ち◾️せ……」


 とっくに亡くなった父親の名前を呼びながら、ふらりふらりと母親の霊が近寄ってくる。


 今思えば、母親は糸世ではなく、糸世を通して父親を見ていたのだろう。

 大好きだと言ったのも、糸世を見て常に笑顔だったのも。

 糸世ではなく、全て父親に向けたものだったのだ。


 ──ごめん、祖父ちゃん。


 本当に自分を大切に思ってくれていたのは、母さんじゃなくて祖父ちゃんの方だったのに。


「ごめんなさい……」


 ぽつりと落ちた言葉は、涙のように湿っていた。


「……インヴィーさん。追加で叶えて欲しい願いがあります」


「どんな願いかしら?」


 まるでこうなる事が分かっていたかのように、インヴィーの声は甘く優しい。


「母さんを……あの怨霊を、消してください」


「叶えることは可能よ。でも、寿命で支払うのは無理ね。対価に魂をいただくけど、それでも良いかしら?」


 手を伸ばし近づいてくる怨霊は、ああしてずっと糸世を探し続けていたのだろう。

 正確には、糸世の向こうにいる父親を。


「お願いします」


「契約成立ね。急ぎのようだから、契約書はまとめておくわ」


 現れた契約書に、新たな項目が追記されていく。

 インヴィーは満足げに書面を見ると、母親の霊の方に歩き始めた。


「素敵な趣味をしてるわね。お守りの中に、髪を入れ込むなんて」


 いつのまにか、インヴィーの手には契約書ではなく、糸世が渡したお守りが乗せられていた。

 爪で袋を破いたインヴィーは、中から出てきた毛髪を摘み、にこりと笑いかけている。


「よほど執着しているようだけど、悪いわね。糸世はもう──私の物なのよ」


「ギャァアアア!」


 インヴィーの手によって燃えた髪は、消し炭のようにパラパラと消えていく。

 それと同時に、身体中を炎に包まれた母親が、断末魔の叫び声を上げた。


 跡形も残さず消えていく母親を、糸世は一瞥もしなかった。

 無言で立ち尽くす糸世に、インヴィーは優しく寄り添っている。


「糸世はね、母親という底なし沼の上で足を止めてしまったの。現状を維持するということは、容認するということでもあるわ。沼に沈んでから助けてくれと叫んだところで、誰もあなたを見つけられやしない。──それこそ、私たちのような存在でなければね」


 微動だにしない糸世の目からは、涙が溢れ続けていた。

 頬を流れる雫を指ですくったインヴィーは、ぺろりと舐めた涙の味にうっそりした表情を浮かべた。


「言ったでしょう? 悪魔は二兎を得るって」


 糸世が泣いている理由など、インヴィーには分からない。

 いや、分からなくていいのだ。

 悪魔にとって人間とは、貴重なご馳走であり、欲を満たしてくれる大切な玩具なのだから。


「ああ、そうそう。残りの寿命はあと五年よ。またすぐに会えるわね、いとせ」


 軽やかな笑い声を上げたインヴィーは、崩れ落ちる糸世をよそに、再び現世の中へと溶け込んでいった。


 

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