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死神の猫  作者: 十三番目
第三傷 Third Guilty 真なる神へ告ぐ
158/223

緩和休題 = ◆ 悪魔と契約者 ー 下(前)◇ =


 悪魔を頼るのは、本当に正しい選択だったのだろうか。

 不意に浮かんだ考えを振り払うように、糸世は拳を握りしめた。


 散々後がないことを分かった上で呼んだのだ。

 相手こそ違ったものの、悪魔であることに変わりはない。

 今の糸世にとって、インヴィーは蜘蛛の糸だった。

 掴まなくても地獄なら、誰だってがむしゃらに掴むだろう。


「さ、余分な話はここまでにしましょう。契約に従い、糸世の願いを叶えてあげるわ」


 インヴィーの言葉に顔を上げる。


「呼び出すにあたって、何か私物が欲しいところね。持ってきてくれる?」


「私物……」


 その言葉で、糸世はふと手作りのお守りがあったことを思い出した。


 この家に母親の私物はほぼ無いと言ってもいい。

 父親が亡くなり、祖父の家へ移ってから少し経つと、祖父はだんだんと母親の私物を捨て始めるようになった。


 糸世には父親が暮らしていた部屋を与え、祖父が買ってきた物を使わせる。

 反対に、母親には一切物を与えず、最低限の家具しかない部屋で過ごさせていた。


 糸世と母親が一緒にいるのを見るのも嫌なようで、常に不機嫌な顔の祖父は、母親を罵倒こそしないものの、憎しみの込もった目を向けてばかりだった。


 父親が死んでおかしくなったのだ。

 母親を慰めながら、糸世は祖父への嫌悪が強まっていくのを感じた。


 同じ家なのに、なかなか顔を合わせない日々。

 会う度に糸世が大好きだと話す母は、いつも笑顔で糸世と接してくれていた。


 こっそりと渡されたお守りは、糸世の宝物として戸棚の奥深くにしまってある。

 見つかれば、祖父に捨てられることが分かっていたからだ。


 いつのまにか、母親が暮らす影さえも感じられなくなった家で、糸世と祖父はただの同居人のように暮らしてきた。

 そしてあの日、祖父は母親を連れて遠くへ出かけたきり、二度と帰ってくることはなかった。


「あら、手作りのお守り?」


「母さんの私物はこれしかなくて……」


「充分すぎるくらいよ」


 お守りの紐を摘み持ち上げたインヴィーは、僅かに目を細めると、真っ赤な唇を吊り上げた。


「説得、出来るといいわね」


 含みのある言い方だったが、母親に会える緊張や喜び、諸々の感情から、糸世がインヴィーの変化に気づくことはなかった。


 お守りを媒介に、インヴィーは母親を呼び出そうとしている。

 部屋の中にいた糸世は、気づくとまっさらで開けた場所に立っていた。


 視えないモノが形を成していく光景。

 そんな非現実的な光景を目の当たりにして、糸世は指先一つ動かせずにいる。

 

 生前と違わぬ姿の母親を前にしても動き出さない糸世に、インヴィーが「時間は有限よ」と口にするのが聞こえた。


「母さん……」


「……糸世? 糸世なの?」


 乱れ絡まっていた髪は、綺麗に櫛で梳かれている。

 母親は真っ直ぐに伸びた黒髪をとても大切にしていた。

 前髪の下で潤んだ瞳と視線が合った瞬間、眼前に立つのは間違いなく自身の母親なのだと糸世は理解した。


「ずっと探していたのよ。いったい何処にいたの?」


 手に触れられる。

 嬉しそうに糸世の手を握った母親は、俯き震える糸世の様子に気がつくと、心配そうに尋ねてくる。


「……母さん、落ち着いて聞いてほしい。母さんはもう……死んでるんだ」


「何を言ってるの?」


 涙声の糸世に、母親は困惑した表情だ。

 インヴィーの言っていた通り、死んだことを認識できていないのだろう。


「母さんはあの日、祖父ちゃんと出かけた先で事故に遭ったんだ。祖父ちゃんの運転してた車が、ガードレールを突き破って海に落ちるのを見た人がいる。警察を呼んだけど、救助に行った時……車の中には誰もいなかったって」


 警察からは、「沈む車から逃げようとして、そのまま海に流されてしまったのだろう」と言われた。

 遺体は今も見つかっていないが、状況的に生存はあり得ない、というのが警察の見解だった。


 連絡を聞いた時は呆然とした。

 それでも、慌ただしい時間を過ごすうちに月日が過ぎていく。


 糸世にとっては半年前のことでも、母親にとっては違うはずだ。

 気遣う言葉を考えていたが、それよりも早く母親が何かを呟くのが聞こえた。


「……そう。あの人、まさかそこまで……」


「母さん?」


 優しく包まれていたはずの手が、みしりと音を立てる。

 ぎりぎりと食い込む爪が痛い。

 糸世は母親の様子がおかしいことに気づき、俯いていた顔を上げた。


「──ならどうして、糸世は生きているの?」


 呼吸が掠れ、冷や汗が吹き出す。

 心臓の音が直に聞こえてくるようだった。

 (よど)んだ沼のように仄暗い目には、生気が一切詰まっていない。


「私が死んだなら、いとせも死ななくちゃ駄目じゃない。ずっと一緒だって約束したでしょう?」


「……っ離せ!」


 恐怖で手を振り払う。

 爪が刺さっていた場所からは、血が流れ落ちていた。

 ──説得?


 この状況で説得など出来るはずがない。

 目の前にいるのは母親ではなく、死んでもなお生者(いとせ)を引き摺り込もうとする怨霊なのだ。


「どうしてなの? 私のこと、愛してるって言ったじゃない。……また嘘を吐くつもり? そんなの──許さないわよ◾️◾️◾️!」


 半狂乱になる母親の口から、糸世が幼い頃に亡くなった父親の名前が聞こえた。


 

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