ep.50 魂の選択肢
籠から出された魂が、ふわりふわりと近づいてくる。
「久しぶりだね」
目の前で動きを止めた魂に声をかけると、丁寧な挨拶を返してきた。
以前はあんな状況だったこともあり、相当焦っていたのだろう。
落ち着いた雰囲気の今が、魂本来の気質だと感じる。
ただ、久しぶりという言葉には不思議そうな様子をしており、どう答えたらいいか迷っているようだ。
「現世での数日は、死界の数時間にも満たないから。あなたからすれば、つい先ほどの事に思えるのかもね」
私の言葉に納得したのか、魂は静かに問いかけを待っている。
「まずはあなたが仕えていた精霊について。それと、あの場所にいた存在について、知っている事を聞かせて欲しい」
死神にとって、現世における神とは精霊のことを言う。
記憶を遡っているのだろう。
やや時間を置いた後、魂は自分が覚えている事をおもむろに語り始めた。
曰く、魂の仕えていた神はその昔、荒れの続いた海を鎮めるため住人たちが祀った存在らしい。
水を自由に操ることができ、神職の青年がたまに姿を見かけていたことから、住人たちにも神の存在が噂されるようになっていった。
長らく海辺に住む人々の被害が酷かったため、青年はある時、神に向けて安泰を求める祈りを捧げた。
神が青年を気に入ったため、青年の命と引き換えにその地を守ることを約束してくれたそうだ。
青年は他の神職に自分が居なくなった後のことを幾つか伝えると、そのまま忽然と姿を消した。
同僚たちが気づいた時には、わずかな痕跡さえ残っていなかったらしい。
青年の言葉通り、用意した御神体は海へと沈められ、人々は海の近くに神社を建てた。
それ以降、神職の者たちはこの話を語り継ぎながら、現在に至るまで神と青年への祈りを捧げ続けている。
ここまでが、彼女の仕えていた神についての経緯のようだ。
以前シルフィーが話していたことから推察するに、青年は目が良かったため気に入られてしまったのだろう。
御神体とは精霊が依代として使えるものであり、求められたのは青年の命ではなく青年の存在そのもの。
少なくとも、青年は生きたまま連れて行かれたはずだ。
精霊の住む場所であれば、もしかすると今も生きているのかもしれない。
ただ、たとえ青年が生きていたとしても、既に人間とは呼べないものになっているのだろうが──。
水を操る精霊であれば、御神体が海にあった理由も納得だ。
問題は、彼女が受けた神託と、あの場所に滞在していたであろう月について。
時折ちかちかと点滅しながら、魂は続きを語っていく。
ある日突然、精霊が畏怖するほどの何かが海に現れるようになったこと。
神託があったことで、異例の事態が起きているのを察したこと。
何かは月の見える日以外に現れることはなく、夜明け前には姿を消してしまう。
そのため、海を領域としていた精霊と問題が起こることもなく、しばらくは様子見に留めていたらしい。
精霊から受けた神託には、「夜は海に近づかず、万が一気配を感じても決して関わらないように」とあったそうだ。
精霊はその存在を「外なる神」と呼んでおり、彼女たちも忠告に反することはなかった。
やがて外なる神が去ったことで、ようやく神のざわつきも収まると安堵していた最中。
──大地に激震が走った。
幸いにも神社の方は無事だったらしいが、用事で少し離れた場所にいた彼女は助からず、こうして今に至るという訳だ。
「どうして籠に入ることを嫌がってたの?」
輝きを見る限り、海を流れる魂の中でも綺麗な方だろう。
半ば強制的とも言える回収に抗えた理由は、おそらく彼女の話したい内容に関係している。
「大丈夫だから話してみて」
どこか不安そうな魂だが、促されたことで覚悟が決まったようだ。
魂は私を見つめると、「お願い事」とやらを伝えてきた。
話の要点をまとめるとこうだ。
月が滞在した影響により、出雲の地に死神が集結する事態が起こった。
死神たちが訪れた理由を察した精霊は、魂となった彼女に自分を救える存在を見つけてくるよう命令したらしい。
命令に縛られながらも必死に彷徨っていたところ、運良く私に見つけてもらうことができた。
そして、結果的に御神体を取られずに済んだ。
本来なら安堵する状況であったが、命令を遂行した後は、仕えていた精霊の世界に連れて行かれる手筈だったらしい。
しかし、唐突な死に加え人間としての在り方を手放せなかった彼女は、ぎりぎりになって精霊に仕えることを拒否した。
転幽が選別所に送ってくれたことで難を逃れたが、もしまた同じ星に生まれれば、精霊は何としても彼女を探し出すはずだ。
だからもう、生まれ変わりたくない。
人間として生き、人間として終わりたい。
──それが、魂が心から望む願いだった。
「閻魔はどう思う?」
「この魂は睦月のために取っておいたものだ。睦月の好きに決めて構わないよ」
そもそも、選別所の主は閻魔だ。
魂の願いは理解したが、私に言われたところでどうしようもないだろう。
と、思っていたのだが……。
神ゆえに気まぐれなのか。
それとも、私に対して甘すぎるのか。
どちらにせよ、閻魔は私に権限を与えるつもりらしい。
「選択肢を教えてくれる?」
「一つ目は天界に送る方法だね。死界に選別所があるように、天界には安息所がある。管理や仕分けを行う選別所とは違い、安息所では癒しや修復を主としているよ」
そういえば、クリスティーナの魂も天界に送られていた。
癒しとは滞在を意味している。
心置きなく休めるという意味では、天界に送るのも良いかもしれない。
「二つ目として、生まれる世界を変える方法がある。これは時空や星を変えることで、別の世界の存在として生まれることができるというものだ」
聞く限り、どちらも魂の願いを叶える点では問題ないように思える。
悩む私に微笑みかけると、閻魔は最後の選択肢を口にした。
「三つ目は、輪廻に流すことだ。魂の要望を過分だと思うなら、このまま流してしまうことも可能だよ」