ep.46 リーネア
「試験に落ちたそうだな」
「どっ、どうして紫花様が……」
突然現れたロベリアに、リーネアは大きく肩を震わせた。
最高位の死神は、名前を公に明かすことはない。
何故なら、側近たちの名は全て、王が直々に付けたものだからだ。
名は体を表す。
与える存在によっては、受け取った側の資質が大きく変化することもあった。
最高位が側近しか許されていないのは、王という存在に選ばれた死神が、他とは次元の違う場所に立ったことを意味しているからなのだ。
王の側近である彼岸花。
かつて宝月が月の種類で呼ばれていたように、彼岸花は花の色で呼ばれている。
リーネアの言う紫花とは、ロベリアの敬称を表すものだった。
「紫花様、お願いです! 私はまだ何も……!」
「言い訳は必要ない。王は貴様を不要だとみなした。私にとってはそれが全てだ」
「そんな……。私が抜ければ、情報管理課での工作も難しくなるはずです。だからどうか……!」
「馬鹿にしているのか? 貴様一人が居なくなったところで、我々には何の問題もない。むしろ、早く捨てねば腐敗が進むだけだ」
リーネアの弁明を鼻で笑ったロベリアは、そのままとある空間の中へとリーネアを放り込んだ。
「待ってください紫花様……! お願いです! 紫花様! しかさ──」
空間が閉じたことで、リーネアの叫びも届かなくなる。
静寂が訪れた場所に、カランと下駄の鳴る音がした。
「消滅の契約を結んでおけば、楽に終われたというのにのう」
背後から現れたへデラは、哀れむような言葉を口にしている。
死神はそう簡単に終われない。
だからこそ、リーネアがどうなるかを察して哀れんだのだろう。
しかし、その哀れみはまるで、通りすがりに踏み潰した蟻を見るかの如く、ちっぽけで儚い感情だった。
「些細なことだ」
「少なくとも、あやつらは綺麗さっぱり消滅できたであろう?」
「現世に向かわせると分かった時点で、最適な方法が契約だっただけだ」
「相変わらず効率主義じゃのう」
扇子越しに笑んだ気配を漂わせ、へデラは面白そうにロベリアを見ている。
「王に忠誠を誓った時点で、全てを差し出しお仕えするのが部下の役目だからな」
「おかしなことを。名も知らぬものを部下とは呼ばぬ。それは部下ではなく、ただの駒じゃよ」
嘲笑したへデラは、何もなくなった場所にちらりと視線を向けた。
ロベリアの格好が騎士を彷彿とさせるのに対し、へデラが纏っているのは見るからに派手な着物である。
側から見れば正反対に思える二人だが、へデラの態度はむしろ親しげなものだった。
「緑花殿は部下も駒も多いからな」
「ほう。ならばお主は、先ほどの死神の名を知っておるのかえ?」
「……いや、知らないな」
「ほれみろ」
おかしそうに笑い声を上げたへデラは、「早く戻るぞ」と背を向けるロベリアを見て扇子を閉じた。
帰路を辿る二柱の死神にとって、踏み潰した蟻の顛末など、既にどうでもいいことだった。
◆ ◆ ◆ ◇
どうしてこうなったのか分からない。
家族と婚約者が死んで少しした後、姉が自殺した。
自業自得だと思った。
好きな人を奪っておきながら、姉に味方した両親も。
そんな姉を愛した彼も。
みんなみんな、自業自得だと。
錯乱した彼の母親が家に火をつけ、私を焼き殺すまで。
やっと人生を取り戻せたと喜んでいた。
燃え盛る炎の中、魂だけになっても泣き叫び続ける。
天国にも地獄にも行きたくない。
私の人生を返して。
悲痛な思いが届いたのか、私の前に現れた死神が手を差し伸べてくれた。
私を死神にしてくれると言った通り、リーネアという名も与えてくれた。
報われたと思った。
今までの辛さは全部、この時のためだったのだと。
そうして私は、新たな生を歩み出した──はずだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「いやあああ! 出して! ここから出してください!」
黒い水が揺れている。
足首ほどまである水の中に投げ込まれ、リーネアの身体はびっしょりと濡れていた。
徐々に服が湿っていくのが不快で、リーネアは反射的に立ち上がる。
頬に飛んだ水を力任せに拭ったリーネアは、直後、どろりとした感触を受け視線を向けた。
手首をつたい、黒い液体が流れ落ちていく。
「え……?」
付着した水は数滴だ。
それなら、この大量の水はいったい──。
「……い、いやああああ!?」
変色した皮膚が溶け出し、崩れ落ちている。
強引に擦った頬と手は、他よりも変色が進んでいた。
ぼたぼたと流れ続けている液体は全て、自分の身体だったものだ。
リーネアは狂ったように水を払うが、触れれば触れるほど侵食は速まっていく。
死神は簡単に死なない。
正確には、消滅という終わりしかないのだ。
死神の終わりは王が決める。
何故なら、死界の全ては王の物だからだ。
リーネアが消えたところで、それが王の意思なら一滴の問題も起こり得ない。
溶けていく身体を見ながら、リーネアの脳内には人だった頃の記憶が蘇っていた。
両親から紹介された男を見て、一目惚れしたこと。
しかし男は、姉にしか興味がなかったこと。
徐々に姉も、男に惹かれていったこと。
──私の方が先に好きになったのに!
そんなリーネアの思いをよそに、両親は二人をお似合いだと祝福した。
必死に訴えかけるリーネアに、両親は他の人を紹介するからと宥めるばかりで。
男はリーネアに見向きもしない。
両親は、好きな人を奪った姉ばかりを応援する。
何もかもが限界だった。
両親と男が親睦を深めるため出かけた日、リーネアは庭に工具を埋めていた。
ちょっとした仕返しをしようと、馬車の車輪を緩めておいたのだ。
証拠を隠すと、リーネアは何食わぬ顔で姉と共に家族の帰りを待った。
戻ってきたのは、亡骸だけだった。
私のせいじゃない。
みんなの運が悪かっただけ。
そう自分に言い聞かせたリーネアは、泣き叫ぶ姉の様子を見て、むしろ心が晴れるような気持ちになっていた。
報いを受けたのだと感じ、自然と笑みが浮かんでくる。
姉が自殺した後は、リーネアが屋敷の主人となった。
しかし喜びも束の間、リーネアの元に、姉の婚約者だった男の母親が訪ねてきた。
「あんたのせいで!」
憎しみに染まった顔で喚く母親は、いきなり屋敷に火を放ち始めたのだ。
燃え盛る炎の中で、リーネアは世界を呪う言葉を吐いた。
そして、自分を拾い上げてくれた神に、忠誠を誓った。
──結局、最後まで彼は私の方を見てもくれなかった。
何もかもが分からない。
それでも、一つだけ解ったことは、リーネアは手を取る相手を間違えたということだ。
どんなにリーネアを叱ろうとも、家族は決してリーネアの手を離さなかった。
友達が一人もできないリーネアのために、姉は自分の友人よりも、リーネアを優先して傍にいてくれた。
リーネアの頭を撫でた父の温もりも、泣きながら頬を叩いた母の愛情も。
リーネアは全てを拒否し、受け取らなかった。
もう二度と繋がれることはない。
リーネアが手を──離してしまったから。
形を保てない身体は、徐々に黒い水の中へと沈んでいく。
死神として生きることも、人として生まれ変わることもできない。
最後に思うのは、家族の次の人生が、幸せなものになるよう願うことだけ。
遅すぎた願いは、誰に伝わることもなく。
リーネアの身体は、黒い水の中に溶け込んでいった。
◆ ◇ ◆ ◇
【 あとがき 】
一人称の良い部分に、感情移入のしやすさ。
心の内を読めることで、視点主の持つ考えや記憶を覗き見れる……というものがあります。
ただし、三人称と違うのは、そこに書かれた答えが必ずしも正解とは限らないという点です。
リーネアは人の面を多く残している死神ですが、人というのは時として、自らに都合のいいように話を歪曲します。
何が真実で、何が本当か。
捻れているのか、そう思い込んでいるのか。
違う視点から見れば、事実がすり替わることだってあるかもしれません。
一人称と三人称を混ぜて書くのは少し手間もかかりますが、こうした仕掛けを潜ませておける楽しさもあります。
小説ならではの面白さを、ほんのちょびっとでも伝えられたら嬉しいなと思う毎日です。