ep.39 銃弾と追憶
このまま糸で拘束するつもりだろうか。
いや、あの様子だと細切れにでもしてきそうな勢いだ。
さすがに試験で下手な行動はしないと思いたいが、リーネアが霜月に向ける感情はだいぶ重さを増している。
ここで私を殺せるなら殺しておきたい、くらいは考えていそうだ。
死神は死なない。
というより、あるのは消滅という終わりだけである。
それなら、もし私が殺された時は死か消滅──いったいどちらになるのだろうか。
まあ、死ぬつもりも負けるつもりも全くないのだが。
リーネアは動かない私を見て、そのまま糸の範囲をさらに狭めてくる。
しかし突然、網のように被さっていた糸の一部が吹き飛んだ。
「なっ!?」
驚くヴォルクをよそに、リーネアは顔を歪めながら、糸を修復しようと急いでいる。
緩んだ包囲網から抜け出そうとする私を見て、ヴォルクはここで逃がすわけにはいかないと判断したのだろう。
とっさにコピーしたナイフを投げ入れてきた。
糸と糸の隙間を掻い潜り、大量のナイフが降ってくる。
いくら緩んだとはいえ、周りはまだ糸が囲んでいる状態だ。
これでは回避も難しいだろう。
やりすぎたかと焦るヴォルクが見える中、リーネアはどこか満足げだ。
このままサボテンのようになるのがお望みのようだが、色々と痛そうなので却下である。
亜空間を開き、降ってくるサバイバルナイフを一つ残らず収納した。
逃げる場所がないなら、作ってしまえばいい。
唖然とするヴォルクを横目に捉えながら、修復し切れていない糸の隙間から外へと抜け出た。
「……それずりー」
「なんかごめんね」
「えー、うん。いいけど」
良いんだ。
いや、駄目って言われても困るけど。
囲んでいた糸が不要になったことで、リーネアは不機嫌そうに糸を回収している。
それにしても、先ほどの攻撃は見事だった。
リーネアからしてみれば、さぞ驚いたことだろう。
糸に触れても軟化せず、威力も失わない銃弾が飛んできたのだから。
ただし、驚いたのはリーネアだけじゃない。
アルスにとっても、リーネアが姿を現したのは予想外だったはず。
だから私を助けようとして、ヴォルクではなくリーネアを撃ったのだろう。
「……これで勝ったとか思わないことですね」
リーネアから声をかけられ、視線を向ける。
嫉妬と敵意に燃える瞳だが、理性は失われていない。
言葉通り、他にも策を用意してあるのだろう。
突然、リーネアが何かに気づいたような反応をした。
それと同時に、ヴォルクもリーネアの方を振り返っている。
「いたのか?」
「はい。今……下ろそうとしているところです」
遠くで木の倒れる音がした。
まるでドミノ倒しのように鳴っている音は、次から次へと木を移っていく対象を追っているのだろう。
「今更行っても遅せーと思うよ」
音の元へ向かおうとする私に、ヴォルクが話しかけてくる。
「ここに来る前からずっと、リーネアはアルスの位置を探ってた。足りねー分は俺がコピーすることで、本来は無理な場所まで糸を伸ばしてたってわけ」
「だから二人同時に気づいてたんだね」
常時展開していた能力が、攻撃として有効だと判断されたことにより、ヴォルクとリーネアのカウントが一緒に進んだのだろう。
だとすれば、現時点でヴォルクのカウントは3になったということになる。
残るはリーネアだが──。
「そーそー。だからもー手遅れってこと」
「手遅れ、ね。そうでもないかもしれないよ」
「は?」
諦めるよう促してくるヴォルクだが、そもそも私は、初めから糸の存在には気づいていた。
気づいた上で、ここに居たのだ。
死神之大鎌で空間を切り裂く。
パカリと口を開けた空間の中に、私はそのまま足を踏み入れた。
「間に合わないなら、間に合わせればいい」
繋げる先は亜空間にしておいたため、これも一種の亜空間能力ということで誤魔化せるだろう。
直行できる空間能力とは違い、亜空間は一度中を経由する必要がある。
亜空間に入ってすぐ、溢れ返った物の山に出迎えられた。
どこもかしこも天高く積み上げられている。
転幽が好き放題した結果、とんでもない詰め込み具合になってしまったようだ。
アルスのいる位置に合わせ、再び空間を裂く。
背後で閉じていく裂け目の隙間から、ヴォルクが「やっぱずりー」と呟く声が聞こえた。
◆ ◆ ◇ ◇
結界のある端近くまで来ていたアルスは、スナイパーライフルを持ち、木の枝に腰掛けていた。
スコープを覗きながら、睦月たちの様子を確認する。
初めは霧でよく見えなかったが、しばらく地形を観察したことで、睦月たちのいる場所にも数字が浮かんできていた。
人間だった頃から、アルスは変わった子であった。
数字が見えるのは元からで、何故見えるのかも分からない。
けれど、どこぞの学者が、アルスには驚異的な演算能力があるのだと話していた。
ある程度観察していれば、生物であろうと数字が浮かんでくる。
この数字が何なのかはさておき、アルスは物事を予測する力を手に入れたのだ。
知らない土地で迷っても、しばらくすれば帰り方が分かった。
上から看板が降ってきた時は、落ちる前に数字が教えてくれたりもした。
その頃には、数字が表しているのは座標のようなものだということに、アルスも薄々勘付いていたのだろう。
そんなある日、信号待ちをしていたアルスの前を子猫が横切っていった。
何となく目で追ったアルスだったが、その先に迫る車が見えた瞬間、思わず道路へと駆け出していく。
浮かび上がったのは、数字同士が重なる光景。
──それは、子猫の悲惨な未来を表すものだった。
アルスは子猫を抱えると、道路沿いの草むらに向かって子猫を投げ入れた。
子猫の位置が移動したことで、予測された数字が変わっていく。
アルスが最後に目にしたのは、自分の未来が消えたことを表す数字だけだった──。
死神になった後も、数字はアルスに付き纏った。
子猫を助けたことを後悔はしていない。
どうせ、アルスは長く生きられない運命だったのだ。
脳が焼き切れて死ぬより、未来ある子猫を助けられたのだから、結果的に良かったとさえ思っている。
しかし、死神になって莫大なキャパを手に入れたことにより、数字とはむしろ永い付き合いになってしまった。
おかげで、経理課では変わった死神、使えない死神だと言われ続ける毎日だ。
噛み合わない言動が、おかしく映ったのは分かっている。
アルス自身、とうの昔に諦めもした。
それでも、睦月からリーネアや石柱について問われた時、アルスは内心恐怖したのだ。
この話を口にしたら、変だと思われるかもしれない。
睦月に、おかしな奴だと思われるかもしれない……と。
不思議だった。
睦月にだけはそう思われたくないと考えた理由も、睦月がアルスのことを少しもそんな風に思わなかった訳も。
そして、それ以上に嬉しかった。
睦月のために全力を尽くそうと決意するくらいには。
なけなしの勇気を振り絞って、話して良かったのだと、アルス自身をほんのわずかでも認めてやれる程度には。
ヴォルクとリーネアには数字が浮かんでいる。
試合中も観察し続けることで、ある程度の予測は出来るようになったのだろう。
エリアが樹海に変わったことでリセットされた部分もあるが、それも今までの時間でだいぶ取り戻せた。
アルスからしてみれば、驚くほど順調だった。
順調に進んでいた──はずだった。