ep.36 前哨戦の終わり
「こここっ、降参します!」
アルスの叫び声で、第三試合は終わりを告げた。
開始早々、リーネアはアルスが距離を取る隙を与えず、辺りの石柱を一気に解体した。
バラバラと崩れていく石柱を見て、逃げ場を無くしたアルスが降参を宣言したのだ。
リーネアの武器は糸だったが、石柱を破壊した時は鋼のように硬くなっていた。
指のリングを引きながら糸を全て回収すると、リーネアはアルスに目もくれずこちらへと戻ってくる。
おそらく、リーネアの能力は硬度変化といったところだろう。
触れた物の硬度を変えられる能力で、糸などに効果を付帯することも可能らしい。
開始と同時に糸を張り巡らせ、触れた石柱を軟化させておく。
後は、ピアノ線のように硬化させた糸で、石柱をバラバラに切断した──という仕組みだ。
「これで最下位が決定しましたね。残りは一位を決めるのみですが」
樹莉から視線を送られ、前へと進み出る。
ヴォルクは「早くやろーぜ」と言いながら、石柱から飛び降りていった。
「このままで大丈夫です」
「分かりました」
石柱を下げようとする樹莉に必要ないと伝え、私もヴォルクの後を追って飛び降りる。
ヴォルクはさほど距離を取っておらず、お互いに姿が見える位置で足を止めた。
「やっぱ武器はでっけー方がいいよな。見てるだけでかっけーし」
「そうかな?」
死神之大鎌を構えるため背後で一回転させると、ヴォルクが羨望の眼差しを向けてきた。
サバイバルナイフをくるくる回しながら、ヴォルクは「迫力がたんねー」などと呟いている。
「てか、隠れなくていいのかよ」
「別にいいかな。ヴォルクはいいの?」
「んー、俺もいいや」
向かい合ったまま話していると、樹莉が「それでは」と口にするのが聞こえた。
結界内だからだろうか。
遠くに居ても、樹莉の声は鮮明に聞こえる。
「──始めてください」
その声を合図に、ヴォルクとの試合は幕を開けた。
◆ ◆ ◇ ◇
開始と同時に、ヴォルクは全身が粟立っていくのを感じていた。
──空気が変わった。
ヴォルクを警戒しているわけでも、威圧的になったわけでもない。
ただ、ヴォルクがどう出るかを見ているだけだ。
それなのに、ヴォルクの足は地面に張り付いたように硬まり、少しも動いてくれない。
接近戦が得意なヴォルクにとって、距離を詰めることはむしろ好ましいことだった。
けれど今は、本能とでも言えばいいのだろうか。
近づいたら終わりだという警笛が頭の中で鳴り響き、ヴォルクは一歩を踏み出せないでいた。
「どうしたの?」
睦月は距離を詰めてくると予想していたのだろう。
その場から動かないヴォルクに、不思議そうな顔をしている。
もっとも、ヴォルクには表情の違いなど分からない。
無表情で淡々と問いかけてくる睦月に、じわじわと恐怖心が増していくだけだ。
「何が負けてくれだよ」
──そもそも、勝てねーじゃんかよ。
わざと負けるよう要求してきたリーネア。
取引しようと話すリーネアの提案を、ヴォルクは受け入れられずにいた。
昇格試験はルールにさえ違反しなければ、どんな手を使おうが自由だ。
リーネアがあらかじめ試験の情報を持っていたとしても、強みの一つとして活かせばいい話である。
だが、ヴォルクは納得できなかった。
勝てるなら勝ちたいし、負けたくなんてない。
そんな考えのヴォルクにとって、わざと負けるという行為は受け入れ難いものだったのだ。
だから返事をしなかった。
けれど、今のヴォルクが最も優先すべきことは、この試験に合格することである。
このままでは、本戦でもすぐに負けてしまうだろう。
リーネアが予想した前哨戦の意味。
わざわざ一位と最下位を決め、本戦に臨む理由。
もしここで睦月と戦えば、ヴォルクは有効な手段を失うことになりかねない。
──仕方ねーか。あんたの提案、呑んでやるよ。
「降参します」
ヴォルクの言葉を聞いて、睦月は死神之大鎌を静かに下ろした。
睦月の外見からは何も読み取れない。
疑問も、落胆も、喜びも。
ヴォルクに対する警戒心さえも、終始感じられなかった。
本戦では全力を出し切る。
そして、変わらない睦月の表情を驚きで染めてやるのだ。
そう心で誓うと、ヴォルクは降りてきた樹莉たちの元へと踵を返していった。
──にしても俺の武器、やっぱ迫力たんねーな。
◆ ◆ ◆ ◇
「お疲れ様でした。試合の結果、一位は睦月。そして、最下位はアルスとなりました」
にこやかな笑みで発表した樹莉は、結界内を別の環境へと変えていく。
「ここって、広さはどのくらいあるんすか?」
「結界の大きさ自体は、試験場を囲む程度です。ただし、結界内の面積は変化していますので、見た目よりも広く感じるのでしょう」
霧の立ち込める樹海を前に、ヴォルスが不思議そうに問いかけている。
私たちが試験場所として案内された空間は、コロシアムに似た建造物の中だった。
樹莉が結界を展開した時のことを思い返してみると、確かに建造物をすっぽり覆うほどの大きさだったことが分かる。
「かかか環境だけじゃなく、ひっ、広さも変えられるってことですか……?」
「はい。もちろん限りはありますので、エリアの端まで行けば、結界にも触れられるはずですよ」
樹莉の言葉を参考に、結界のある場所を端として視てみた。
僅かだが、樹海の空間は石柱の時よりも狭くなっている。
木々が細かく入り組んでいる分、空間の大きさを少し狭めたのだろう。
「さて、そろそろ試験の内容をご説明しましょうか」
「えええ!? ささ、さっきまでのが試験だったんじゃ……」
「……あの試合はあくまで、本戦を行うための前哨戦みたいなものです」
「その通りですリーネア」
驚くアルスに、リーネアが淡々と説明を添えている。
樹莉は「さすが情報管理課ですね」と微笑むと、私たちの方をぐるりと見渡した。
「ルールは先ほどまでと変わりません。ただし、新たなルールが一つ追加されます」
そう話す樹莉の手に、襷のようなものが現れた。
襷の色は、それぞれ赤と青をしている。
「勝利条件として、相手チームの襷を破壊すること。こちらが追加されます。襷を付けた方はリーダーとなり、後方配置が決定。もう一方は自動的に前衛配置となりますので、よく話し合って決めるようにしてください」
「チーム戦か」
ぽつりと呟いたヴォルクの声には、納得と興味が込められていた。
「えっ、えええ!? ちち、チーム戦!?」
慌てるアルスとは逆に、リーネアは落ち着いた様子だ。
そんなアルスたちを眺めながら、樹莉はにこやかな表情で口を開いた。
「チーム分けをお伝えします。チームはそれぞれ、一位と最下位。二位と三位で組んでください。それでは各員、準備をお願いします」