ep.33 試験の始まり
満月を膝に乗せ、顎下をくすぐる。
気持ちよさそうに目を細めた満月は、手に何度か擦り寄ると膝の上で丸くなった。
転幽は微笑みながら、その様子を傍で眺めている。
「試験まであと少しだね」
「そうだね」
「何か悩むことでもあった?」
柔らかい声で話しかけてくる転幽は、私が考えていることを既に見通しているかのようだ。
「どこまでやっていいのかなって」
「好きなだけやってみたらいいよ」
「そうできたら楽だけど、警戒されれば余計な面倒事が増えるだけだから」
上を引き摺り下ろすために準備しようという段階で、目立つ行為はなるべく避けておきたい。
ただでさえ、霜月は優秀な人材として目を付けられている。
わざわざ手間を増やすような行為は、控えた方が賢明だろう。
「目立ちすぎず、完勝する方法か」
ふむと考える仕草を見せた転幽は、こちらを向いてにこりと微笑んだ。
「諦めよう。睦月の存在自体が目立ってる以上、おそらく何をしても目立つよ」
そんな殺生な。
色々と諦めるのが早すぎる。
「とは言え、過剰な警戒を引き起こすのが面倒だと考える気持ちも理解できる」
立ち上がった転幽が、とある扉の前に進んでいく。
「能力の代わりに補えるものがあるとすれば、それは知略と戦闘スキルだ。知略の方は充分にあるから、後は戦闘スキルの方かな」
転幽直々に訓練を付けてもらうことは、今までも何度かあった。
可能な限り手札を見せずに済むよう、他の部分で補えと言いたいのだろう。
この扉の先は自由空間だ。
あらゆる物を、本物同様に創り出せる場所。
前回、ここは森の中だった。
しかし今回は、開けた荒野になっている。
転幽の手には、美しい剣が握られていた。
それを地面に突き刺すと、転幽は私の持つ武器に視線を向けてくる。
「何度見ても、睦月の死神之大鎌は綺麗だね」
本職の死神が持つ死神之大鎌とは違う。
精巧で、黒と銀の縁取りから伸びる刃は、夜空のような色をしていた。
「大鎌自体はあまり変わってないけどね」
「睦月には、その形が適しているということだよ」
手に持った武器をまじまじと見つめる。
「支給される死神之大鎌には別の型があってね。一段階目を解除すると、戦闘特化型に変わるんだ。二段階目の解除で、持ち主の能力や性質を読み取り、最適な形へと変化してくれる」
「初めから二段階目まで解除しておけないの?」
「出来ないこともないけど、解除するごとに神力の消費が激しくなるからね。それこそ、位を上げないと厳しいと思うよ」
三日月の持っていた死神之大鎌は、刀の形をしていた。
つまり、自分だけに授けられた特別な武器を、常に最適な状態で保持しているということになる。
「先は長そうだね……」
「大丈夫。睦月ならそんなにかからないよ」
慰めではなく、本気でそう思っているのだろう。
武器を構えるように言ってくる転幽は、至極楽しそうな表情をしていた。
上位の死神たちは、きっと規格外だらけだ。
だからこそ、こんなところで躓いている場合じゃない。
「殺す気でおいで。ここなら手足が吹っ飛んでも、すぐに治せるからね」
中性的で美しい転幽の口から、物騒な言葉がスラスラと流れていく。
万が一あの顔に傷でもつけようものなら、世界の終わりだと叫び出す人まで現れそうだ。
まあ、今はそんな心配をする余裕もないのだが。
本当に殺す気でいかないと、こっちが殺されそうだ。
そんな風に思えるほど、転幽の雰囲気はあまりにも異質だった。
時間はいくらでもある。
微笑む転幽に向けて、私は大鎌を振りかざした。
◆ ◆ ◇ ◇
「すすす、すみません! おっ、遅れましたか!?」
「いえ、定刻通りですよ」
駆け込んできた死神に、審査員の死神は優しく声をかけている。
「これで全員揃いましたね。私は現地の審査員を務める樹莉と申します。皆さんがつつがなく試験を行えるよう、精一杯努める所存です。他の審査員については、モニター越しに確認しておりますのでご安心ください」
はきはきと喋る審査員──樹莉は、「さっそく始めましょうか」と言いながら私たちの方を見てきた。
「今回の試験は、申請者同士で戦う勝負方式です。皆さんにはこれから、一対一のトーナメントを行ってもらいます。全員と戦う必要はありません。一位と最下位を決める戦い。そう認識しておいてください」
一位と最下位。
つまり、三人の内の誰かと一対一で戦った後、勝った方と負けた方がそれぞれ戦い、一位と最下位を決めるということだ。
「その後のルールについては、後ほど結果が出てからお伝えします。最初に戦う相手については、こちらで決めてください」
樹莉が指を鳴らすと、目の前に黒い箱が出てきた。
この中から引いて、相手を決めろと言うことらしい。
「誰から引いても構いませんよ」
「じゃあ俺から引こーっと」
「私も引きます」
「ぼぼ、僕もっ!」
真っ先に引いた死神は、左と書かれたボールを持っている。
「ヴォルクは左。そして、リーネアも左ですね」
樹莉の言葉通り、次に引いたリーネアも左と書かれたボールを持っていた。
「ぼ、僕はえっと、み、右でした……」
「はい、アルスは右ですね。そうなると──」
「私も右です」
最後に残ったボールを引く。
そこには、右という文字がはっきりと書かれていた。