ep.32 試験の内容
螺旋階段のように高く続く本棚と、ぎっしり並べられた本。
宝月だけが使うことのできる空間で、睦月は黙々と記録書を読み進めていた。
次々と捲られていくページは、本当に読んでいるのか疑いたくなるほどの速さだ。
しかし、記憶が記録の役割も持つ睦月にしてみれば、内容を全て諳んじることも可能だろう。
「気に入ったようですね」
近くに腰掛けた常闇の手には、違った種類の本が乗っている。
上司から声をかけられたことで、睦月は伏せていた目を上げた。
「何だか新鮮に感じて」
初めは自分の知る朧月とのギャップに驚いたが、読めば読むほど興味の方が勝っていく。
ここまでの情報をよく集めたものだと、睦月は内心で感嘆していた。
「ここに置かれているのは、記録書の中でも比較的新しい物です。ちなみに、古い物はあちらの空間にありますよ」
部屋の奥を示した常闇に、睦月の視線も後を追っていく。
死界は、色々な空間を繋ぎ合わせることで創られた世界だ。
空間の数は常に増え続けており、切り離しと結合を行うことによって、無限の広さを有している。
この空間の先も別のものに繋ぎ変えることで、新しい場所へと行ける仕組みなのだろう。
じっと奥を見ていた睦月だが、再び手元の記録書に視線を戻すと、常闇に向けてぽつりと疑問を口にした。
「昇格試験……受かると思いますか?」
「さて、どうでしょうね」
睦月が試験について伝えた際、常闇は「良いんじゃないですか」と言いながら、すんなり申請を許可してくれた。
反対されるどころか、理由も聞かず速攻で送られてきた書類に、睦月は思わず拍子抜けしたのを覚えている。
「未来視とかで分かったりしないんですか?」
「その能力は、色々と制限されているんですよ。特に、上に関することを視るのは、ね」
宝月でありながら、常闇は死界に残っている珍しい存在だ。
現在の王に忠誠を誓うことはなく、仮の幹部として立ち回っている。
ただし、どんなに宝月に力があろうとも……いや、宝月だからこそ、死界に残る条件として何か取引を持ちかけられたはずだ。
──むしろ、それを呑まずに残ることを、王が許すとは思えない。
そもそも、未来視という強力な能力は、王側の死神にとってもかなりの脅威だろう。
それが制限されているということは、つまり──。
「とりあえず、やれるだけやってみます」
「そうしてください」
会話が途切れたことで、部屋に静寂が満ちていく。
「ああそれと」
付け足すように声をかけられ、睦月は視線を常闇の方へと向けた。
「──落ちる気もないのに答えを聞くなんて、睦月もなかなか言うようになりましたね」
嫌味ではなく、変化を愉しんでいるような響きだった。
睦月の口元に、仄かな笑みが浮かぶ。
「そうですね。誰かに似たのかもしれません」
「おや、いったい誰のことでしょうねぇ」
常闇の言葉に、そういうところですよと言いたげな視線を飛ばした睦月だったが、それ以上口を開くことはなかった。
本を捲る音だけが響いている。
まるで、一緒に居るのが自然なことだとでも言うように、二人の間には穏やかな静けさだけが漂っていた。
◆ ◇ ◇ ◇
律たちが燕の元へ向かった後、私は上司に試験を受けたいと直談判しに行っていた。
結論から言って、速攻で許可が出た。
この際ついでだとばかりに、「本が読みたい」と呟いてみたところ、こちらもまさかの許可を得られてしまった訳である。
霜月たちの元に戻ってからは、隣で寄り添う霜月と、新しいお茶を用意してくれる美火と共に、ゆったりとした時間を過ごしていた。
「昇格試験の内容が届いたみたい」
私の言葉に、美火が勢いよく振り返る。
強烈な視線が突き刺さるも、美火は私が話し出すまで、問いかけたい気持ちをぐっと堪えているようだ。
「申請中の死神を集めて、戦わせた結果で決めるらしいよ」
「勝負方式ですね。位の近い死神同士を戦わせることによって、身体能力や咄嗟の判断、能力の使い道など。死神としての適正を確認するんです」
美火の説明に、なるほどと頷く。
「相手の死神は?」
「私を除くと三人かな。名前はそれぞれ、アルス、ヴォルク、それから──リーネアって書いてある」
霜月からメンバーを聞かれ、記載されている名前を挙げていく。
見知った名前があったことで、霜月の纏う空気が急速に冷えていくのを感じた。
「ヴォルクは特別警備課の死神ですね」
「知ってるの?」
「名前と所属程度なら。特別警備課は情報統制が厳しいので、あとは威吹よりも少し前に入ったという事くらいしか……」
「充分だよ。ありがとう」
特別警備課は、明鷹の管轄する課でもある。
実力はさておき、余計な警戒をする必要はないだろう。
問題は──。
「アルスは経理課の死神です。課の中でも、かなりの変わり者だと言われています。そしてリーネアは……睦月さんもご存知の通り、情報管理課の死神です」
ミントから聞いた話では、リーネアは死局勤めを首になるところだったらしい。
しかし、上からの働きによって、今は首の皮一枚繋がっている状態だとか。
自身の有用性を証明するためにも、今回の昇格試験に応募したのだろう。
「これは、負けられないね」
上司の「落ちる気もないのに」という言葉が、頭をよぎっていく。
昇格試験は、今よりも上に行く資格があるかどうかを判断する試験だ。
必ずしも勝負に勝たなければいけない訳ではない。
──けれど。
霜月のパートナーが誰なのか。
はっきりさせるには、ちょうど良い機会だ。
最近はだんだんと、睡眠を取ることが減ってきている。
深夜に月を眺めては、誰にも気づかれることなく、扉を開きに向かう日々。
時間の存在しない空間。
自分に訪れる変化を整理するには、うってつけの場所だった。
完全な勝利を手にするために。
そして、愛しいあの子に会うために。
私は今日も、あの場所へ向かうのだ。
扉の空間で待つ、転幽と満月の元に──。