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死神の猫  作者: 十三番目
第三傷 Third Guilty 真なる神へ告ぐ
132/223

緩和休題 = ◆ 睦月と社畜 ◇ =


 昔、家の近くの公園に猫の集会所があった。

 幼い頃から猫を見るのが好きだった私は、集会がある日にわざわざ公園まで足を運んだりしていた。


 その日、公園には先客がいた。

 青白い顔で生気の失せた目をしていた男は、私に気づくと軽く頭を下げてくる。


 今にも倒れそうな顔色をした男は、仕事帰りなのか少しよれたスーツを着ていた。

 ベンチに腰掛け、足元に集まる猫たちに煮干しをあげ終えると、男は「どうぞ……」と言いながら立ち上がった。


「私は大丈夫なので、座っててください」


 明らかに疲れ切っている男から、場所を譲ってもらおうとは思わない。

 男はこちらを見ると、再びベンチに腰掛けた。


「お嫌でなければ、隣……座りませんか?」


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 初対面の人から誘われて、誘いに乗ったのは初めてのことだ。

 足元にじゃれついていた猫たちは、私が座ると膝の上に乗り上げてくる。


「とても……懐かれてますね」


「顔見知りなので」


「そうですか……」


 優しい目で猫を見ていた男だったが、何を思ったか、突然ぽつりぽつりと溜め込んでいた感情を吐露(とろ)し始めた。


「僕……社畜なんです」


「しゃちく」


「社会の畜生と書いて、社畜です……」


 分かってる。

 分かってはいるんだ。

 ただ、突然のカミングアウトに少し戸惑っていただけで。


 こういう時、感情が乗らない顔というのは、便利なのか不便なのか分からなくなってくる。


「たまには休んだらどうですか?」


「僕もそう思ってはいるんです……。でも、僕が行かないと何人も亡くなってしまう。そう考えると……どうにも休んではいられない(さが)のようでして」


 予想外の言葉に、思わず目を瞬く。


「僕はこれでも……医者をしているんです。まあ、先祖代々医療に(たずさ)わっている家系と言うのもありますが……」


「そうなんですね」


 スーツを着ていたためだろう。

 医者と言われても、いまいち実感が湧かない。

 私の視線が服の方を向いたからか、男は「ああ……」と声を漏らした。


「学会の帰りなんです……。例の病気が日本にも来たことで……色々と慌ただしくて」


 ロストメモリーシンドローム。


 突如発生したこの病は、原因不明の奇病として世界に広がっている。

 進行を止めることさえままならず、世界中で研究が行われるも、最終的には安楽死を認める国まで出てきたくらいだ。


「治せそうなんですか?」


「無理でしょうね」


 先ほどまでの声とは違う。

 力の入った、はっきりとした声だった。


「脳に異常が出ているわけでも、ウイルスのようなものが見つかるわけでもない。詳しい者ならとっくに気づいてますよ。お手上げだって」


 人を救いたいと思い医者になったからこそ、無理なことは無理だと分かるのだろう。

 時として余命を宣告する医者(かれら)は、どんなに救いたくとも、救えない命を何度も目にすることになるのだから。


「ですが──」


 続けられた言葉に、黙って耳を傾ける。


「不可能だと(わか)っていながらも、諦められない。最期の最後まで、患者のために動き続ける。それが……医者ってやつなのかもしれません」


 淡く微笑んだ男は、ゆっくりとベンチから立ち上がった。


「聞いてくださり……ありがとうございました。こうして自分の気持ちを話せたのは初めてで……。あの……、今の話ですが……」

 

「心配しなくても、誰にも言ったりしません」


 まず、そんな相手もいないので。

 言葉にしてみると、なかなかに孤独な人生だ。

 一人の方が楽なのだから、今更どうしようもないのだが。


 私の言葉にほっとした様子を見せると、男はこちらに会釈(えしゃく)をして、そのまま公園から去っていく。


 遠ざかる後ろ姿は疲れているようで、けれど──その足はしっかりと地面を踏みしめていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 あれから、あの男がどうなったのかは知らない。

 今も医者を続けているのかもしれないし、もしかしたら既に閻魔の元に渡っているのかもしれない。


 けれど何となく、まだ現世のどこかで医者をしているような気がした。

 そもそも、何故こんな記憶を今になって思い出しているかと言うと──。


「わ〜、ありがとうございます睦月さん〜」


「どういたしまして。お菓子を作ったのは美火だから、味は保証するよ」


「そうでしたか〜。美火ちゃんにもお礼を言わないとですね〜」


 詰め合わせの袋を受け取った紬は、とても嬉しそうな表情を見せている。


「甘いもの好きなんです〜」


「そうだったんだ」


「代々医療に携わる家系でしたからね〜。甘いものは常に持ってましたよ〜」


 ポケットの位置を叩いた紬は、聖職者のような、それでいて白衣にも似た服を着ている。

 相変わらず今にも倒れそうな顔色をしているが、紬の動きにそんな様子は見られない。


 邪魔になるといけないからと、早めに空間を後にする。

 紬は「睦月さんなら、好きなだけ居てもいいですよ〜」と言っていたが、他の患者もいる中、さすがにそんな真似は出来なかった。


 死局の廊下を歩きながら、かつての記憶を思い出す。

 決して薄れることのない記憶は、映像を見ているかのように鮮やかだ。

 公園であったスーツの男。


 今思えば、目の下にべったり張り付いた隈と、綺麗な水色の瞳は──先ほど会った死神のものと、とてもよく似ていた。


 

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