ep.19 浸透する雨
回収場所が知らされた時、嫌な予感はしていた。
霜月と出会う前に、フライトで訪れていた場所。
指定先に転移してきた私が目にしたのは、見覚えのある光景だった。
「神楽の土地……」
本家の神楽は京都、分家である神楽は出雲に居を構えていた。
住居のある場所からは少し離れているが、ここもまた神楽の所有する地であることに変わりはない。
「神楽って、睦月ちゃんの現世での苗字だったよね」
「東京にも所有地があったのに、島根にもあるのかよ。とんでもねぇ家を宛てがわれたもんだな」
「宛てがう?」
時雨の言葉に違和感を覚え聞き返す。
「現世で滞在するためには、身分や居場所が必要だろ。俺らはアパートに住んでるけど、他じゃどっか良いとこの一族に紛れて暮らしてる死神もいる」
「記憶を操作して、元から家族だったことにするんだよ。現世でも身分の高い死神や、おれたちみたいに一般市民として暮らす死神がいるのは、それぞれの立場で役割分担をしてるからで──」
怪訝そうに眉を寄せながら、時雨がぶっきらぼうに答えてくれる。
燕も詳しい話をしてくれていたが、途中で律に呼ばれたため駆けていった。
「あんた、ほんとは何者なんだよ」
「どういう意味?」
時雨と共に待機していると、珍しく時雨の方から問いかけられた。
抽象的な表現に、何が言いたいのかと時雨に視線を向ける。
「あの死神から直接スカウトされただけじゃなく、準備が整うまでは現世で暮らせだの。かと思えば、悪魔に狙われたあげく、家を燃やされただの。そもそも、かなり地位の高い家を宛てがわれてるみてぇだし、どう考えても普通じゃねぇだろ」
「こうして言葉にされるとなかなかだね」
時雨たちは、私が生きたまま死神になったことを知らない。
死ぬ間際でも、魂の状態でもなく、私はそのまま死神の立場を得た。
死神の普通がどんなものかは分からないが、少なくとも、自分が普通じゃないことは理解している。
はぐらかされたと思ったのか、時雨は諦めた様子で視線を逸らしていく。
「私もね、分からないんだ」
「……」
自然と溢れた言葉が、吹く風に滲む。
「分からないから探してる。初めは驚いたし、何で私がって思ってた。でも、今はここが気に入ってる。大切な存在がいて、鮮やかな景色の広がる死神の側をね」
真っ直ぐな眼差しだった。
いつもの不機嫌そうな顔ではない。
時雨は真剣に、私の言葉に耳を傾けている。
「だから、探し続けることに決めた。自分が何者なのか分かる、その日まで」
そしていつか、全ての真実を手にする時まで──。
「あんたも……自分を探してるんだな」
迷い子のような声だった。
影のある表情に、傷口も隠している。
時雨からは、塞がり切らない傷の痛みと苦しみ。
それと一緒に、僅かな期待も感じられた。
「睦月さん」
不意に名前を呼ばれ、時雨の方を見つめる。
「面倒な事が起こる前に戻ろうぜ。少しはマシになったみてぇだけど、またいつ爆発するか分かんねぇしな」
「そうだね。戻ろうか」
いつのまにか、律と燕の元に霜月とリブラも合流している。
到着と同時に下調べに行くと話した律が、一緒に残りたがっていたリブラを引っ掴み、霜月にも声をかけたのだ。
律は途中から燕と行動していたが、どうやらその間、リブラは霜月と動いていたらしい。
こちらを見て嬉しそうに笑う燕と、優しく微笑む律の隣で、リブラが恨みのこもった視線を時雨に送っている。
少し離れた位置に立っている霜月の方を見ると、月のような金と目が合った。
私を見るなり柔らかく目を細めた霜月に向けて、私は真っ直ぐ歩を進めていた。
◆ ◆ ◇ ◇
ミントから連絡が入ったのは、あれから少し経ってからのことだった。
今いる場所は、魂の回収地点から程近い山岳部に当たる。
内容には、私たちの他にも、いくつか死神の反応を確認したことが書かれていた。
どうやら、間接的どころか直接的に関わってくるみたいだ。
一悶着ではなく、何悶着も発生する可能性があるという訳で。
ミントは情報の誤差から、膿をあぶり出すのだと気合いが入っていた。
「死神と戦うのは久しぶりね」
「あーやだやだ。本当なら、同族同士で争う理由もないのにさ」
「あんま前出すぎんなよ」
「リブラの能力は戦闘向きじゃないもんね」
「分かってるよ。でも、気にはなるよねぇ。あいつらがどうやって、印の自戒を無効化しているのか」
律たちの会話を聞きながら、木の枝に腰掛け地上の光景を見下ろす。
ぽつぽつと輝く人工の光と、立ち並ぶ建造物。
あの全てが今から消えるのかと思うと、少しだけ寂しさを覚えた。
神楽を出てから育った場所だ。
もう祖母はいないが、懐かしむ気持ちは残っている。
これから起こる惨状を知っていて、それでもただ見ているだけの私を、祖母は冷たい子だと残念に思うだろうか。
幼い頃から希薄だった感情。
両親が死んだ時でさえ泣かなかった私を、祖母だけは何も言わずに抱きしめてくれた。
気味が悪いとも、冷たいとも言わず。
あるがままを見ていた祖母が今の私を見たなら、いったい何を思ったのだろうか。
風で髪が靡く。
知り得ない答えと懐かしい景色に別れを告げ、私は手に触れた指に、自分の指を絡めてそっと握った。
霜月は何も言わず、ただ私の傍で寄り添っている。
けれど、何かを聞く必要なんてなかった。
いつだって答えは、とっくに分かり切っていたから。