ep.15 夜の帷
「あの時は外だったでしょ? それに前は威吹がいたから、姿を見せるのは止めておいたの」
シルフィーは、「まだ気づいてないから内緒よ」と言いながら唇に指を当てている。
威吹が自分で気づくまで、姿を現すつもりはないらしい。
「いつ話せるのかしらって思ってたら、タイミングを逃してしまって。正直言うと、美火が攻撃してくれなかったら、今回も話せなかったかもしれないわ」
「シルフィーってばシャイだからさ」
「うるさいわよ明鷹」
美火の攻撃は、案外ファインプレーだったようだ。
何食わぬ顔で隣に移動してきた美火だが、目だけはまだ警戒した様子で明鷹の方を見ている。
「普段はシルフィーの能力に加えて、僕の力も上乗せしてるんだ。だから、もしも気づけるとしたら、それは僕より実力が上の死神。または、かなり珍しい能力を持っている……くらいしか思いつかないんだよねぇ」
含みのある笑顔には、強い興味が混じっている。
「ま、僕もそれなりの地位にいるからさ。睦月ちゃんみたいなのは、極めてレアなケースって言えばいいのかな。シルフィーが興味を持つのも、当然と言えば当然なんだよね」
「私たち精霊は、自分たちを認知できる存在が大好きなの。特に、目がいい子なんて最高に好みだわ。もし現世のどこかで精霊に会おうものなら、取り憑かれていたレベルよ」
きらりと目を光らせたシルフィーは、どうやら精霊だったらしい。
死神ではないと思っていたが、死界で精霊に会うのは初めてだ。
話を聞きながら、同時にデータベースへとアクセスする。
──精霊について検索。
【精霊】
妖精と似て非なるもの。
明確な形を持たず、内包する力は妖精よりも強い。
契約を交わさない限り定まった姿を持つことはないが、依代を使い顕現することは可能である。
「ただでさえ交流したくても出来ないんだもの。おまけに、今の死界は規制ばっかりで窮屈だわ。せっかく好みの子に出会えても、自由に動き回ることさえ難しいなんて酷い仕打ちよね」
「なら、たまに遊……見回りに来るのはどうかな?」
「あら。いいわねそれ。賛成よ明鷹! 私、またこの子に会いたいわ!」
漏れかけた本音を修正し、それっぽい話をする明鷹に、はしゃぐシルフィーが大きく賛同している。
「ねえ、睦月って呼んでもいいかしら?」
「どうぞ」
嬉しそうに目を輝かせたシルフィーは、「私のこともシルフィーって呼んで」と言いながら手を握ってくる。
「睦月が死神で良かったわ。もし人間だったら、連れていってしまってたもの」
「連れてく?」
「ふふ」
軽やかな笑い声を立てたシルフィーは、私の両隣から突き刺さる視線に笑みを深めると、明鷹の方にふわりと戻っていく。
「心配しなくても、三界の存在に手を出したりはしないわ。私たち、無謀なことはしない主義なの」
私たち、ね。
以前、明鷹も上司に向けてそんな事を言っていた。
噂をすればではないが、その上司からちょうど連絡が届いている。
「上司から呼ばれたので外します。霜月と美火はここで待ってて。明鷹さんとシルフィーはまた」
「立ち話させちゃってごめんね」
「また会いに来るわ睦月」
ひらひらと手を振る明鷹と、残念そうな様子のシルフィー。
複雑そうな雰囲気の霜月と美火に見送られ、私は一足先に部屋を後にした。
◆ ◆ ◇ ◇
思えば、死局の中にも色々な空間が繋がっている。
要所要所に転移する場所が設けられているため、外観よりも内側の方が圧倒的に大きいのだ。
もし人間がここに来たら、一生迷ってしまうかもしれない。
そんな事を考えながら進んでいると、見たことのない空間に到着した。
上司からの連絡では、ここに来るよう指示されている。
もしかして、ここも上司の所有する空間なのだろうか。
中に入ると、全体的に薄暗い廊下が続いていた。
死神の目に光源は必要ないため、見えにくいなどの問題は一切ない。
道なりに進んでいくと、廊下を抜けた先に両開きの扉があった。
重そうな扉に手をかけると、思いの外簡単に開いていく。
「すごい量の本……」
螺旋階段のように高く伸びた本棚と、数えきれないほどの書物。
ぎっしり並べられた本は、床から天井まで続いている。
「他の世界の本も置かれていますからね」
「……それって、天界や魔界の本もあるんですか?」
「ありますよ。空間を分けているので、ここには置かれていませんが」
背後から現れた気配は、そのまますぐ後ろまで移動してくる。
目の前の本棚から一冊の本を抜き取ると、上司はそれを手渡してきた。
「これは朧月が集めた物です。本というより、記録書に近いかもしれませんね」
「読んでもいいんですか?」
「構いませんよ」
その場でページをめくり出す私に、上司は奥の椅子を使うよう伝えてくる。
移動しようと顔を上げた瞬間、目の前の光景に私は思わず手を止めていた。
「……髪、下ろしてるんですね」
腰まである長い髪は、闇よりも濃い純黒で。
深い黒が肩から滑り落ちる様は、まるで夜が帷を下ろすかのようだった。