ep.11 嫉妬と余裕
印は全ての死神に刻まれている。
普段は視えていないだけで、そこに有る事実は変わらない。
「……どうして無くなったと分かった? 起動していなければ、印を視認することもできないはずだ」
「たしかに、印は起動してる時にしか見ることができない。だからカウダも、襲撃時は自分の能力を使ってたんだと思う。でもさ、あいつは禁止事項に触れてた」
威吹の声には、抑えきれない悔しさが混じっている。
「カウダは、俺が作った服を片っ端から壊し始めたんだ」
「……つまり、自戒が発動している状態で、普通に動けていたということか」
威吹の服は一つひとつが手作りだ。
職人にとって、丹精込めて作り上げた物がどれほど大切かなんて、誰が言わずとも分かることだろう。
「それって、襲撃された時点で発動したりしないの?」
話を聞く限り、服を壊したことで自戒の印が発動したという意味に受け取れる。
少なくとも、襲撃された時点で建物などはとっくに壊されていたはずだ。
何故その時点で、自戒の印が発動しなかったのだろうか。
「建造物を含め、死界にある物は全て自動修復されるんだ。だから壊すこと自体は罪にならない。けど、死神に対する攻撃や、死神自身の私物を破壊するような行為は禁止されてる」
「家を壊されたのはどうってことないんです。時間が経てば勝手に直ってますから。でも、俺が作った服は違います。カウダはそれを分かってて、あえて服に手を掛けたんです」
そういえば、威吹とカウダが戦った際、辺りは瓦礫と残骸にまみれていた。
しかし、再び目にしたあの場所は、寸分違わず元通りになっていた。
「睦月さんは、まだ死界に詳しくないんでしたよね」
「そうだね。日々勉強中ってところかな」
「俺も死界では新入りの方なんです。何かあれば気軽に頼ってくださいね! あまり力にはなれないかもですが……」
「ううん。ありがとう威吹くん」
自分が大変な時に、相手を思い遣るのはとても難しい。
けれど威吹は、笑顔の裏に傷を隠し、誰かのために繕える強さがある。
「あのさ……実は俺、カウダの印を見たことがあるんだ」
不意に威吹が発した言葉で、部屋の空気ががらりと変わっていく。
「前からよく問題行動を起こしてたけど、そん時は禁止事項に触れてたみたいでさ。たまたま見かけたカウダは、右腕を押さえて蹲ってたんだ。自戒の発動中は印が見えるようになるだろ? だから、あいつの印の位置もはっきりと分かった」
威吹が無くなったと言ったのは、カウダの印を実際に見たことがあったかららしい。
「だけど、あの時は違った。俺も途中で自戒が発動してないことに気づいて、能力であいつのローブを捲ってみたんだ。でも……腕には何もなかった」
「ミントには、今聞いた内容は他に流さないよう伝えておく」
「助かる……」
大きく息を吐くと、威吹は脱力した様子で身体から力を抜いている。
思ったより重大な件になってしまい、色々と緊張していたのだろう。
「あと、おそらくこの件はそっちの管轄になると思う」
「へ? 俺?」
「……所属を言ってみろ」
「特別警備課で……あ」
霜月に冷たい目で見られつつも、威吹は「ごめんごめん。うっかり」なんて言いながら手を合わせている。
相変わらずメンタルが強い。
「じゃあ、私たちはそろそろ行くね。ゆっくり休んで」
「あ、はい! 来てくれてありがとうございました」
椅子から立ち上がると、ただの壁にしか見えない場所に向かって歩いていく。
「睦月。上司の元へ行く前に、一度ミントの所に寄ってもいいか?」
「もちろん。情報管理課だっけ?」
紬のやり方を真似て、壁に手を当てる。
波紋のように揺らいでいく壁を見ながら、霜月とこれからのことについて話していた時だった。
「あの……睦月さん」
「ん?」
「情報管理課に行くなら、あまり霜月の傍から離れないようにしてください」
「うん。分かった」
先に行くよう霜月を促し、威吹の方を振り返る。
「元々離れるつもりもないから安心して」
予想外の言葉だったのか、威吹がぽかんと口を開けている。
驚く威吹を残し、私は壁を擦り抜けその場を後にした。
◆ ◆ ◇ ◇
情報管理課には、結構な数の死神がいた。
情報を扱う課だけあり、常にそれなりの人数が出入りしているのだろう。
受付らしき場所の前に行くと、視線が一斉に突き刺さってくる。
「ミントは作業中ですか?」
「あ、はい。でもすぐに終わりますよ。臨時のやつなんで」
対応してくれた情報管理課の職員は、こちらを見るなり「本命さんだ……」と呟いている。
隣の同僚から肘で突っつかれ、職員は慌てたように口を噤んでいた。
「威吹くん、思ったより元気そうでよかったね」
「うん」
すぐに返された肯定に、微笑ましさから口元が緩む。
何だかんだ言いつつも、威吹のことが心配だったのだろう。
心の中で納得していると、職員の方から「ベタ惚れじゃん……」という言葉が漏れ聞こえてきた。
情報管理課なのに、漏洩してしまっている。
楽しそうな管理課の面々だったが、突然引き攣った表情で視線を逸らし始めた。
静かになった職員の後ろから、誰かが駆けてくる足音が聞こえる。
「おい! 近いやつ止めろって!」
「無理。巻き込まれたくないもん」
「面白そうだから放っておこうよ」
「私、あの子苦手なんだよね〜」
「お前らさぁ……。後で泣く事になっても知らねぇからな」
小声で話しているつもりらしいが、バッチリ聞こえている。
この際、情報漏洩課とかにしたらどうだろうか。
意外と語呂もいい。
そうこう考えている内に、足音の持ち主が姿を現した。
可愛らしい少女だ。
大きな目が、霜月を見るなり喜びで溢れていく。
「あの、霜月くん。この前は、その……」
「……」
「霜月の知り合い?」
懸命に話しかけようとしている少女だったが、霜月は全く相手にしていない。
「顔見知り程度だ。睦月が気にするような相手じゃない」
「……っ」
どうしようこれ。
ばっさりと切り捨てられた少女は、泣きそうな顔になっている。
とは言え、霜月のこの態度は今に始まったことじゃない。
誰に対してもこうなのだ。
霜月が話したくないのに、無理に相手をしろというのも違う気がする。
「……貴女が、……ですか」
怒り、恨み、嫉妬。
そんな感情が詰め込まれたような声だった。
「出来損ないの死神が……どうして霜月くんと一緒に居れるんですか……!」
「だめだよ霜月。ちょっと落ち着こう」
何となく、危うい気はしていた。
感情的になった相手に、何を言っても無駄だろう。
ここは落ち着くまで待つしかない。
代わりに、今にも氷漬けにしそうな霜月の方を止めておいた。