ep.3 淡い手助け
「相変わらず、満月は睦月が大好きなようだね」
こちらの様子を見ながら、転幽が柔らかい声で話しかけてくる。
「それを言うなら、転幽もだけどね」
誰にも警戒を解かなかった満月が、転幽の傍では私といる時のように寛いでいる。
頭を撫でさせるのも、腕に抱かせるのも、私以外には許さなかったあの満月がだ。
「睦月は、満月がわたしに心を許していることが、気に入らないと感じたことはあるかい?」
「特にないけど……」
唐突な問いかけに目を瞬く。
何故そんなことを聞くのだろうか。
困惑しながら答えた私に向けて、転幽は「もしそれが、わたし以外でも?」と口にしてきた。
考えたこともなかった。
満月が、自分以外の誰かを選ぶなんて。
どこかであり得ないと思っていたのかもしれない。
だけど、もしそうなったとしたら──。
「少し意地悪な質問をしてしまったね。そんなことは万に一つも起こらないから、心配しなくていいよ」
猛烈な不快感を感じ、気づけば黙り込んでいた。
膝で丸くなっていた満月が、気遣うようにこちらを見ている。
自分の感情が希薄なことは分かっていた。
幼い頃から願いも、望みも、欲しいものさえこれといって無い私を気味悪がる人もいたから。
本当に人形のようだと話す大人たちを見て、険しい表情を浮かべる父と、微笑みながら怒る母の姿を覚えている。
他人に何と言われようと、私の感情が揺らぐことはない。
むしろ、勝手に言わせておけばいいと思っていたくらいだ。
だからこそ、自分の中にこんな感情があるなんて思ってもみなかった。
「ヒントになればと思ってね。どうしてわたしが良くて、他は駄目なのか。そして……睦月にとって満月がどんな存在なのか」
転幽の言葉が、荒んだ心情を穏やかにしていく。
心配そうにこちらを見ていた満月の頬を、指先でくすぐるように撫でた。
そうだった。
転幽や満月が特別な訳も、人より死神に心惹かれる理由も。
私は真実を手に入れるために、ここへ来たのだ。
「転幽。私を次の扉に連れて行って」
「そうだと思ってたよ。ついておいで」
初めから分かっていたのだろう。
長椅子から立ち上がった転幽は、何処かへ向かって歩き出した。
満月を抱き上げ、後ろを進んでいく。
広い空間には多くの扉が見られるが、そのどれもが同じものとは思えなかった。
「扉にはどんな違いがあるの?」
「前よりも目利きが良くなってるね」
転幽の感心した声が聞こえる。
「扉の先にあるもの次第だよ。例えば、一つの扉を開けば連動して開く扉だったり。封じておくための扉や、時が来るまで保管しておくための扉もある。それこそ、別の世界と繋ぐための扉もあったりするよ」
「詳しいんだね」
「他ならぬ、睦月のことだからね」
扉から滲み出る雰囲気が違って視えたのは、中にあるものや、扉の用途自体が異なっていたためらしい。
ふと優しい眼差しを感じ、転幽の方に視線を向けた。
見れば見るほど神秘的な瞳だと思う。
その容貌もさることながら、空から宙に至るような色合いの瞳と、中で眩しく光る星。
もしこれが目ではなく宝石とかであれば、壮絶な取り合いになっていたはずだ。
「綺麗なものに目がないところは、今も変わらないんだね」
「……誰だって、綺麗なものは好きだと思いますけど」
「あはは。確かにそうだね。わたしも、綺麗なものは一等好きだよ」
微笑みながら見つめ返されたことで、思わず視線を逸らしてしまう。
率直に言って、色々と眩しかった。
◆ ◆ ◇ ◇
「着いたよ」
転幽の声に顔を上げると、三つ並んだ扉が目に入ってきた。
腕から飛び降りた満月が、近くでちょこんと座り込んでいる。
「これを全て開ければいいってこと?」
「いや、一つ選んで開ければいいよ」
「どれでもいいの?」
「睦月が選んだものならどれでも」
転幽はそれ以上何かを言うことなく、こちらを静かに見守っている。
とりあえず、この中から一つを選べばいいらしい。
しかし、扉を見ているとどれも大切なものに思えてきて、なかなか一つに決めることが出来ないでいた。
ひらり。
不意に舞い落ちた花弁は、季節外れの花のものだ。
はらりはらりと降り続ける花弁は、右側の扉へ導くように積もっていく。
足元に出来上がった桜の絨毯を見て、私は開くべき扉に向かって一歩を踏み出していた。