この子と私たちと
「 エレーヌ、見て。これなんだと思う?」
そう言って、カインが私に得意げに見せてきたのは、彼の耳で揺れる美しい装飾品。それは、あの日海辺で見つけた綺麗な石からカインが作ったらしい。記憶はなくても、手が自然と覚えているとのこと。きっと彼は元々手先が器用なのだろう。
「とても綺麗ね! カインにとてもよく似合っているよ 」
私に褒められるのを待っていたかのように、ニッコリと彼は満面の笑みを見せてくれた。初期の距離感の掴めなさが嘘のようだ。案外、仲良くなるのが早かったように思う。
──少しずつ本当のカインを思い出しているのだろう。痛みを伴いながら
「あのね、聞いてよ。レオスったらひどいんだ。この前なんて──」
そして、カインは異国の出身者のため、私たちみたいに行動の制限はない。レスディさん曰く『彼はちょっと特殊な立ち位置なのですよ』とのことで、悪影響とか、しがらみを心配せずに接することができた。むしろ、色々な人と交流することで記憶を思い出すきっかけになるのだという。
カインはレオスやノータナーとのことをよく私に話してくれた。彼らと森に探索にいったり、海に行った話など、私はカインから話を聞くことが楽しみのひとつになっていた。
最初はカインとレオスは合わないと思っていたけれど、案外一緒に行動している時間も多いらしく、稽古も彼らにとっては遊びの一環でよく行っていると聞いた。
レオスは自分の殻に閉じこもってしまうから、カインのような友人、少し大げさに表現すると悪友のような存在が必要だった。
「やっぱり、離れるのはさみしいな……」
「ねえ、エレーヌ、聞いてる?」
カインが登場したのは、どこからだっただろうか? 少ししか出てこなかったから終わり際から? 一巻しか読んでないけど、段々と記憶の箱を開けた時以降、混ざってしまっている。糸がごちゃごちゃだ。一回整理したいけれど、待ってくれない。物語を一文字一文字噛み締めてページをめくることは許されていなかった。
── そう、これは私たちが生きている現実なのだから
「カイン、もう少し一緒にいれたらいいよね?」
「なに言ってんの? ずっと一緒にいるよ。……大丈夫」
にっこりとカインが私に笑いかける。その曇りなき眼差しが、明るくて眩しい。大丈夫と最後呟いたその言葉は私を励ましているのか、カインが自分自身に言い聞かせているのかわからない。
私は気づいている。ずっとここには居られないということを。カインが、原作ではどこからどこに出てきて、誰と行動するなんて知らない。でも、いつか離れ離れになるのはわかっていた。それでも、彼を手放す勇気が出ないなんて、私はどうしてこんなにも我儘になってしまったのだろう。
とにかくカインのことは今度、父様に頼んでみよう。王宮へ帰れる時がきたら、カインも一緒に帰ることができないか、と。もちろんカインが望むならば、なのだが。
カインの居場所が私たちの国であったらいい。なんて思うのはエゴだ。決して無理強いをしたくなかった。カインは優しい子だから、私が着いてきてと言うとなんの躊躇いもなく、私と一緒にミィアス国に来てくれる。そんな予感があった。
「ねえ、カインありがとね」
エピソードの発現、そして克服について悩んでいた私にとってカインは気楽な存在だ。異国の少年。ミィアス国が縛られている神の逸話には関係ない子。私たちとは別の子だから。
カインのような気安く接する事ができる子を欲していたのは、レオスだけではない。実は私もだった。
なぜなら、原作がはじまるまでにやらなくてはいけないことが増え、それに謎のヒントをレスディさんから聞いて以降、私の気は張りつめたままだったから。カインのような、制限もなく気軽に話ができる存在が必要だった。
「ああ、狡いな。私って」
「どうしたの? エレーヌ?」
「ううん、なんでもないよ。続き聞かせて」
私が小さくつぶやいた言葉を拾った、カインが心配そうに私の顔を見上げてきた。顔の近さに少し驚きながらも、平然を装って表情を切り替える。
それはある日のこと、その話をレスディさんからふられた時は、ちょうど海で禊を行なっている時だった。
「エレーヌ殿下は『コンプレックスの克服』という言葉をご存知ですか?」
禊も数十回もしているうちに慣れてきたというのに、唐突にその新しいキーワードについて問うてくるものだから、私は動揺してしまった。瞬く間に砂に足を取られ、バランスを崩して転びそうになる。でも、咄嗟に私の腕をレスディさんが引っ張り上げてくれたおかげで助かった。私の腕を握る力は、弱く。私を傷つけまい、としているようだった。あの日とはまるで違う。
(ん、あの日──?)
私の動揺を見て、知らないと受け取ったレスディさんは、私が転ばないように、腕を支える手を移動させ、今度は私の手を握ってくれた。
「……実は、エレーヌ殿下はコンプレックスをお持ちなのです 」
驚きはいつもより少なかった。予感があったからなのかもしれない。レスディさんは私が国で教えられていないことをできるだけ開示しようとしている。
なぜ今まで私の周りの人々は、私に隠しごとをしていたのか。それは誰が何のためだとか考えられるようになって、自然と責める気持ちは浮かんでこない。私が今までの軌跡を思い出せていないのが、根本的に悪いのだから。
「……それはいったいどういうことですか?」
「これも、まだ殿下には未知の世界だったようですね」
どうやら、そのコンプレックスと呼ばれるモノは、エピソードとは異なるモノだという。
私は乗り越えなくてはいけない試練が増えた不安でいっぱいになる。そんな私を置いていくようにレスディさんは話を進めていく。
「まだ自覚がないようですが、禊も終盤に差し掛かってきたので……お伝えしますね。 殿下の神の力に由来するエピソードにはコンプレックスも付随されているのです」
レスディさんは少し言葉を選んで説明してくれるも、私は理解が追いつかないままだった。なぜか頭が働かない。こんなことが前にもあったような気がする。大事な時に限ってそうだ。どこからか、防衛反応が働いてしまう。
「本当は、アストレオス殿下と共にお伝えするのが最善策かと思ったのですが」
と、前置きをわざわざしたレスディさんの言葉が妙に引っかかる。
これが、世界を破滅させないための、レスディさんの最善策なのだろうか?
疑問が残る私は置いてきぼりにされてしまった。まるで予め用意されていた台詞のようにレスディさんは語りだす。いつの日かエピソードについて話した時とは別人のようだ。若干焦っている感じもあった。いつものレスディさんらしくない。私には見えない期限を彼は知っているようだった。
「神々の逸話一つ一つに意味があるのはご存じでしょう? そして、その中でも、重要な逸話、エピソードとは異なる、神が与えられし課題、直面した困難をコンプレックスといいます。要するに、複雑に絡み合ったエピソードが創り出した産物です。それを乗り越えると揺らぎなき、更なる神の力を手に入れることができるのです 」
「揺らぎなき……? 」
「ええ、そもそもエレーヌ殿下のプシュケーは清らかすぎるために闇に飲み込まれやすく、こうして禊を受けているのですよ。でもこれは私がいないとできない。ですが、コンプレックスを克服することによって、強固な器とプシュケー、それに耐えられる神の力を手に入れる事ができます。そして何より、闇に穢されることがないプシュケーが! そうすれば、安心できますよ。みなさんが」
「みんな? 」
「ええ、特にアストレオス殿下は闇を見ることができますから、今回のことで闇に乗り込まれようとしているエレーヌ殿下のことを大層心配しておりましたよ 」
(そうか。ここへ来るまでのレオスの行動が今分かった。 全部見えた上で私を守ろうとしてくれていたんだ。三日程宮殿に帰ったのも理由があって。でも帰ってきた時にはいつも通りのレオスだった )
「そうなんだ…… 」
「 エレーヌ殿下、貴女の神の力は複雑で尚且つエピソードも欠損がございます。その上、コンプレックスもある神の力をお持ちなんですよ。……私は楽しみでしょうがないのです」
要するに、エピソードだけではなく、コンプレックスの克服をもしなければいけない。ときた。思っていた以上に自分のことに集中せざるを得ない状況下で原作のはじまりへと着々と進んでいる。私はその地点へ備えて、行動する必要があった。
「 私は……、私は克服することが出来るでしょうか……?」
「 ええ、大丈夫です。……少しは視えているのでしょう? 殿下も、そこにいるアストレオス殿下だってそうだと思っておりますよ 」
レオスがそばにいるとは気がつかなかった。レオスの気配を感じ取れなかったことはあまりないのに。何処にいるのか確かめようと後ろを向くと、突然目の前に私と同じ輝きの髪を持つレオスが現れ、レスディさんに今までつかまっていた手を払われた。そして、レオスはレスディさんから私を隠すように私たちの間に立った。
「レオス! 禊の時は来ちゃいけないって最初に言われていたのにどうして来たの?」
「やな予感がした。 ただそれだけ……。 ダメだった?」
レオスの視線はレスディさんを牽制するかのように鋭かった。レスディさんの方を向けば、彼はレオスによって離された手を見つめて呆然としていた。レスディさんらしくない行動に疑問符が頭の中を占める。
レオスの存在に気がついていたはずなのに今の今まで言わなかったのはなぜ? そして、レオスの行動を何一つ咎めなかったのはどうして?
「 ……レスディさん?」
レスディさんの顔をレオスの肩口から見上げる。レスディさんの口角が挑発的に上がって見えたのは、幻覚だろうか?
「 これもいい機会です。お二人にお話ししましょう……」
ふらりと、レスディさんが私たち二人に手招きして、歩き出す。レオスも話を聞く意志はあるらしく、彼に連れられて二人歩く。レオスに握りしめられた手は決して離れることはなかった。ちょうど岩で影になっている所へ誘われた。太陽から隠されたそこは少しだけ涼しかった。
「神殿には時々、祭壇に赤子を置き去りにされることが稀にあるのです。産まれた赤子の強大な力に慄いたためか、赤子をミィアスの神に捧げるために」
(それって、まるで── )
残酷なことを言おうとしているのがわかってしまった。続きを聞きたいようで、聞きたくない。
私たちの方を向いたレスディさんはほんの数秒くらい私たちを探るように見て、何かを考えた後「また今度お話ししましょうか 」と言って去っていった。レスディさんのしたいことがわからない。
結局、レスディさんはレオスが私のそばにいることを最後まで叱ることはなかった。




