その子の望みは
「あ、この風景に似たような所、オレ行ったことあるかもしれない」
「カイン君どうしました?」
「いいえ、なんでも。今行きます!」
エレーヌと話をしたり、レオスと交流していくうちに、そのうちポツリポツリと記憶が見出されてきた。ほんの僅かに少しずつ、少しずつだけど。
「そのうち全てを思い出す日がくるのかな……」
記憶の断片を垣間見ることはあっても、それらを繋いでいる、一本の糸で出来たオレが生きてきた軌跡がごちゃごちゃになっているせいで、記憶のピースを糸で結い上げることがなかなかできないでいた。そのせいで、オレは曖昧なまま日々を生きている。
「おそらく辛いことがあったせいで、自己防衛反応が起きているのでしょう。そんなに焦らなくてもいいと思いますよ」
「でも……」
レスディさんには記憶を無理に見出さなくていいのではないかと言われてしまった。それでも、オレは思い出すことを望んだ。もしかしたら、嫌な記憶も思い出してしまうかもしれない、そんな杞憂より本来のオレを取り戻したいという思いが遥かに強かった。
エレーヌとのある日の出来事がきっかけで、記憶を思い出すことが怖くなくなった。
「おはようございます」
「おはようございます。カイン君はこれから、お祈りですか?」
「はい。今日もあの場所を使わせてください」
「ええ、いいですよ」
毎朝祈りを捧げるのがオレの習慣だ。それはなぜなのか理由はわからない。おそらく、記憶を失う前にも習慣的に行っていたことだからだろう。とレスディさんにはそう教えてもらった。彼に頼んで場所を貸してもらった時、他の人達はあまり行わないことをオレがやろうとするから、驚かれたことを覚えている。誰にも見られない、邪魔されない、この二つの条件が揃った神殿の奥のとある場所で行うのが日課だった。
──何かを懺悔するように、そして、覚えてもいない、己の過ちの告白をするために。
陽が昇ってきて、暗闇から光が差し込んできた時間帯に、澄んだ空気の中で祈る。誰に教わったわけでもなく、自然とその身に染みついた動作を行っていた。この祈りだけではない、何故か記憶に残っていないのにできる行動や物事が、最近増えてきたのだ。
「……え」
ある日のこと、この祈りをエレーヌに見られたときは、なぜか身体の芯から震え凍えるような冷たいものが迫り上がってきた。オレのまだ思い出してもいない罪が、彼女の瞳によって何故だか見透かされた気がして、うまく会話することが出来なかった。オレが何者で何故こんなことをしているのか、わからないのに。
なぜかエレーヌだけにはこの罪の告白は見られたくなかった。怖かった。いつも明るいオレのイメージが崩れてしまう。そんな気がした。やっとの思いで、喉の奥から絞り出せたのは、何も説明になっていない、オレからしたらカッコ悪い言葉だった。
「何も思い出せないけれど、コレが、こうやって祈りを捧げなければならない気がしているんだ 」
「ねえ、カイン、無理に笑おうとしなくてもいいんだよ 」
「え。……オレそんなに不器用な笑顔してるかな? 」
エレーヌにこれは何のためにしているのか。と聞かれて、答えられずに、失望されてしまうのではないか。それを避けたくて、頭の中で言い訳をぐるぐる考えた。だけど、彼女はこの行為の理由は聞かなかった。その上、無理にいつものオレでいなくてもいいと言ってくれた。明るくて元気なオレを演じなくてもいい。辛いときは辛くてもいい、悲しいときは慰めてくれるとも、感情は無理に押さえつけないで、さらけ出してもいい。と。
どんな辛い記憶を思い出したとしてもエレーヌの側に居れば、なんとかなるような気がした。エレーヌはオレにとって欲しい言葉をくれた。それがきっかけ。
その時、レオスがなんで、オレに嫉妬しているのか。エレーヌのことを独り占めしようとしているのか。正解がわかった気がした。
レスディさんの任務に同行した帰り道、つい最近のことを考えていると、気がついた時には、すでに神殿にたどり着いていた。
「おかえりなさい。レスディさん。カイン。今日はどこに行ってきたの?」
「ただいま戻りました。殿下自らお出迎えしていただけるなんて、光栄です。本日は南東の海岸まで用事を済ませに行ってきました」
「今日は日差しが強いから、日焼けしちゃうよ。エレーヌはずっと外で待ってたの?」
エレーヌが日焼けして熱でも出してしまったら、過保護なレオスに知れたらオレが怒られてしまう。そう思って、清潔な麻でできた日除け布を彼女の頭から、全身を覆うようにかけた。
「わ、カインも過保護なのね……。さっきあなたたちの姿が窓から見えたから、外にでたの。そんなに太陽の光にはあたってないわ」
エレーヌはそう言いつつも、日除け布を落ちないように被り直した。受け取ってくれるらしい。安心した。
「で、どうしたの? お出迎えなんてしてくれて」
「ノータナーから浜辺に綺麗な石が流れ着いているって聞いたの。だからこれから、浜辺を一緒に散歩しない? あ、もちろん疲れていなければの話だけど」
海辺なら多少風もある。日に照らされても体調は悪くならないだろう。ジワっとした汗をかくこともない。海風も心地いい。レスディさんは何も言わない。ということは許可が出たのも同然だった。
「うん。いいよ。行こう」
オレは迷わず返事をした。
真っ白な浜辺、青い空、さざ波は太陽の光を反射している。エレーヌは屈んで、浅瀬でお目当ての石を探している。ほんのちょっとでも波に足を取られて、海にさらわれてしまうのではないかと、はらはらして、途端に彼女が被っていた布を少し引っ張った。
「 エレーヌ、そんなに何探しているの? 」
「 石だよ。 たまにキラキラした小さな石が漂流してくるの 」
「 石なんて、どれも同じだよ。なんでまた急に…… 」
海に沈んだ石を探していたエレーヌは、オレの方に顔を向けて、言った。
「 カインとの思い出作りかな。 私たち、いつ王宮に帰るかわからないから。私のここでの役目も終わりに近づいてきているみたいだから。 それで、お別れの時にカインに渡せるものがあればいいなと思って 」
「 え? それ本人の前で普通話しちゃうかな? 」
「だって、急にいなくなったら、カインいじけちゃうでしょ? ……レオスみたいに」
「レオスと一緒にしないでよ」
やっぱり、レオスと同じように思われているみたいだ。
エレーヌがこの神殿に限定的にいるのはわかっていた。いつかは別れが来る。それはオレが、全ての抜け落ちた記憶を思い出すよりも先のことだとはなんとなくわかる。でも、エレーヌと過ごした証があるなら、記憶が少し欠けていてもそのうち思い出せる気がしてきた。それほど、彼女と過ごす日々は充実していて、そして不思議な落ち着いた空気が漂っていた。
「……ふふふ」
「オレも探す!」
気がついたら、オレもエレーヌに混じって、綺麗な石があるか探していた。
「 ……ねえ! これなんて、綺麗じゃない?」
オレが発見したのは、水の中にきらりと光る太陽と同じ色をした石。宝石のようにキラキラと輝いている。そして何よりも、エレーヌの眼の色を彷彿とさせる色。
「 綺麗! 初めてみる色の石ね。カインはこれをどう加工してもらうか決めた? 」
これで何を作ろうか。いつも見えるところがいい。──決めた!
「 オレが自分で作る。 なんかこういうの加工するの得意かもしれない」
なぜかわからないないけれど、何かをつくるのは得意だった。そして、手先が器用だと以前誰かに褒められたことがあるような気がした。
エレーヌとレオスは双子として産まれた、生まれ持った結びつき。
エレーヌとノータナーさんは ≪血の契約≫ を介しての結びつきがある。
オレが欲しいのはどんな結びつき──?
記憶がなくても大丈夫。肌身離さずつけられて、目立つ場所。そしてエレーヌと同じ色を、皆に見せびらかせられる眼と近いところ。造り方はなぜか手先が覚えていた。
──耳元で揺れるその色が、エレーヌとの繋がり。
「エレーヌはいつか、ここからいなくなってしまう……」
結びつきを得たのに、いつしかこれだけでは、我慢できなくなってしまった。願望は日に日に大きくなっていく。
ノータナーさんのようにエレーヌを守護する者がいるならば、オレはエレーヌに仕える者として、もしくは神殿との連絡役として、出来るだけエレーヌのそばにいられる方法を探していた。この際、レオスの従者でもいい。オレはどこの国から来たのかさえ、まだわからない。この神殿にいても何も進展はないだろう。薄々感じていたことだ。
少しでもいいから、エレーヌのそばにいたい。そのためには、彼女の国の宮殿に行く必要があった。何か方法はないか、レスディさんに相談して、ミィアス国に頼んでもらうことにした。




