開いてはいけなかったⅠ
「 きっと、心労が溜まっていたのでしょう。 第一殿下のこともありますし、ここまできた長旅のことも含めて。……ここは私にお任せくださいね。 そして、一度王宮にお戻りください。……天秤の審判を受けなくてはならないのですから、ね。 アストレオス殿下 」
そう言って目の前のプシュケノアは、エレーヌの部屋に入ろうとした僕を追い返そうとする。ことごとく、レスディは、エレーヌと僕を何かにつけて近づけまいとしている。
正直なところ僕はエレスディレオスという人物を信用できなかった。プシュケノアというプシュケーを導く役割を神から与えられし者。神の子のように『神から役目を授かる聖なる存在』と民にはそう崇められているようだが、実際はどうだか。むしろ西の塔にいるオルフェと同じ感じ匂いがする。異質な存在だ。
僕がレスディと初めて会った時から、もう既にこれ以上深入りしてはいけない香りが漂っていた。本能でそう感じとったのだ。
そして、プシュケーを導くものでもあるレスディという人物には触れてはいけない導線がある。そう思い始めたのは出会ってから初期の頃。確か、何かきっかけがあったら気がするけれど、なぜか、ここへ通ううちに不思議と忘れてしまっていた。
でも、今回は踏み込んではいけない一線を越えてまでレスディを知ろうと思った。それは、エレーヌが原因不明の熱を出したのがきっかけだった。でも、それが僕とエレーヌがまだ知ら無い方がいいことを知ってしまうことになるだなんて、この時は考えもしなかった。
僕がレスディと出会ったのは、エレーヌが眠りについていた頃だった。僕はその頃、王宮から離れた神殿にプシュケーの浄化のためにと、時よりここに預けられ、一定期間滞在していた。
「 はじめまして、アストレオス殿下。 今日からここで殿下と共に過ごす、エレスディレオスと申します。 ……長い名前ですよね。レスディとでもお呼びください 」
ここに訪れると、なぜか時折記憶の欠損があるから少し曖昧だけれども、初対面は神に仕えている聖職者。その言葉が似合う人物だと、そう僕は思っていた。はじめの頃は、言葉通りに受け取って、疑心暗鬼にもならなかった。
ただエレーヌのことが心配で、レスディのことはどうでもよかった。僕のプシュケーのためと言って強制的にエレーヌと離れ離れにされてしまいここまで連れて来られていたから、多少不貞腐れていたのだと思う。おそらく、エレーヌが目を覚さない間も、部屋に行って話しかけていた僕を見て、大人たちが心配したのだろう。誰かの差金だと気づいたのはもう少し経ってからだった。
この頃は、本当は、僕はエレーヌのそばから離れるのが嫌で嫌でしょうがないのに、王宮から遠く離れた場所から抜け出して戻ろうにも、その時は監視がついていたから無理だった。なにより、ここからどうやって戻る道すらわからなかったからだ。
初期の頃、彼を信用して、一度だけ聞いたことがある。なぜエレーヌが眠ってしまったのか。そして、どうして僕だけがエレーヌと離れ離れにならなくてはいけなかったのか。なぜかこの頃のレスディの返答は覚えていた。
「 隠と陽、それは相容れないモノです。もし、闇の中に光があったらどうなると思いますか? ──どちらかの力が強いとどちらかを飲み込んでしまう。 今はアストレオス殿下とエレーヌ殿下がその状態に陥ってしまっています。……どちらかが飲み込まないように、そのためにアストレオス殿下にはここでプシュケーの浄化をしてもらうのですよ…… 」
「 え、それって…… 」
「 ええ、ご想像通りです。包み隠さず残酷な事を言ってしまうと、つまり今はアストレオス殿下とエレーヌ殿下が一緒にいたらいけないということになりますね。──そして、っと殿下? 」
エレーヌのそばにいる事が許されないのも、エレーヌのプシュケーに僕が悪い影響を与えてしまうのも、全部が受け入れたくなくて、その返答を聞いて、レスディの前から僕は逃げ出してしまった。
だからその続きを聞くことができなかった。レスディが何を言っていたのか、それが重要なのかわからなかった。彼に対する、感情もあまり持っていなかったからだ。そう、僕はエレーヌ以外のことについて、あまりにも無関心だった。
「 ……アストレオス殿下とエレーヌ殿下互いの存在意義はいつ明かすのでしょうかね……。──おっといけない、もうこんな時間になってしまいましたね。ふう、今日も哀れなプシュケーを導く使命がたくさん待ち受けているなんて、はやく終わらせてしまいましょう……。 まったくこの役目はいつになったら赦されるのでしょうか。その日が来るまで我慢しなくては……。 これも全て私のエスティアのためですね 」
それから、僕はエレーヌのためだと信じて時々この神殿にプシュケーの浄化に訪れるのが習慣となった。レスディの思惑も知らずに。
──でも、ある日を境に、神殿の真ん中にある、下から上まで続いている、ある螺旋階段を降ると何故だか動悸がとまらなくなってしまった。
その日の記憶は、なぜかうっすらとしか、残っていない。




