違和感
「……闇が、王宮全体に広がってる…… 」
正直戦慄した。ここまで、濃い闇なんて一度も見た事がない。闇の発生源はエディ兄様のプシュケーだと言う事がわかった今、アーティ叔母様にも言われた通りに僕ができることはエレーヌの側にいることだけだった。
兄様が暴走を起こしてしまったからか、闇はいつもより濃く、絡みつくように重い。僕でさえ、この暗い靄が広がるところにいるだけで息苦しさを覚えるんだ。プシュケーが特に穢れに脆いエレーヌは、耐えられないだろう。『近づいたらいけない 』そう父様に言われたことを思い出した。
慌てて、エレーヌが無事か、エレーヌのプシュケーが穢れに取り込まれていないのかエディ兄様のことも合わさって急に不安が倍増してきた。もし、エレーヌまで──!!
エレーヌがノータナーと避難したと聞いて、天秤の所へと一目散に駆け抜ける。闇に足が取られて転びそうになるけどなんとか逃げ切った。
エレーヌの元へ向かおうと兄様の部屋から外に出ると、力が暴走を起こして発生した爆発により所々王宮の廊下や階段にヒビが入って、一部崩壊している。兄様の部屋に向かおうとするエレーヌをノータナーがすんでのところで止めて、避難したから、この瓦礫にエレーヌは巻き込まれているはずがないのに、自然と鼓動が速くなる。足が絡まりつつも急いで神殿に向かう。
僕と同じく異変に気がついたノータナーが機転をきかせて、エレーヌを清らかな場所へと避難させてくれたとアーティ叔母様から聞いた。
ノータナーはどうしてこの危機的状況を察知できたのだろうか? もしかしたら、アーティ叔母様たちから何かあった時のための対処法を教わっていたのかもしれない。エレーヌをあの場で、闇の中心部に触れさせないことができただけでもよかったと思う一方、はやくこの目でエレーヌの無事を確認しないと気が済まなかった。
宮殿の隣にある神殿は階段が多い。転び落ちるリスクなど考えずに、階段を二段飛ばしで、駆け上がる。ようやく頂上に辿り着き、天秤に1番近い椅子に座っている僕と同じ髪色を視界にとらえた瞬間、ほっとして、すぐさま駆け寄って抱きしめずには、いられなかった。
「エレーヌ─、エレーヌ!!」
天秤のあたり一体に僕の叫び声が響く。ここの静寂な空気が僕にまとわりついた闇も消し去ってくれるようだった。エレーヌの周りには闇がみえない。きっとここにはエレーヌを害するものは何もない
エレーヌに触れたことでやっと無事を感じ安堵する。このまま抱きついていたら、一点の穢れなきエレーヌのプシュケーが僕のプシュケーまで清らかに浄化してくれそうだ。僕は少し泣いてしまった。
動揺しているエレーヌにこれからのことを説明する。こんな事があったのだから、その反応は自然だと思っていた。だって、兄様のそばについていたい気持ちは僕も一緒だから。急に別の場所に行けと言われても混乱してしまうだろう。そう言えば、エレーヌは海の近くの神殿は行ったことがなかったんだっけ。
エレーヌは泣いていたのだろう、目を真っ赤にしている。でも今の僕には、慰めるように背中をさすることしかできない。エディ兄様のことは少ししか話せないから、エレーヌの不安を取り除くことも、大人たちの決めたこれからのことに異を唱えて別の案を出すことだってできない。ただ、そっとエレーヌに寄り添っていることしかできないのがとても歯痒かった。
この時の僕は、エレーヌに無事に会えたことと、エレーヌのまわりに闇がいないことを安心しきっていた。
だから、気がつけなかったんだ。ほかのモノがエレーヌに惹かれて引き摺り込もうとしているなんて、プシュケーが不安定な時は取り込まれやすい。いつもエレーヌ自身の力で跳ね除けている穢れは、プシュケーが弱っている今が絶好の機会だと、エレーヌを引き込もうと手招いていた。
僕が知っていることと、エレーヌが知らせている情報の違いに、エレーヌが戸惑いと不安を呼び起こしていることだって、ただ今はこのエレーヌに張り付くモヤモヤにもエレーヌを手招いている何かにも僕は気がつけなかった。この怯えるような表情も、エディ兄様のことを思ってのことだと考えていた。
エディ兄様のことは詳しくは話せない。それがエレーヌを仲間外れにしているようで、気まずい。だから、なかなか他の何を振ってもうまく行かないような気がして、何も話せなかった。僕らは双子だから、互いの違和感を察知しやすい。それに、感情もリンクしてしまうことがある。だから、なるべく落ち着いているように振る舞った。エレーヌを託された僕まで不安になっていたら、だめだから。
本当はエディ兄様のことを話す気力も出てこなかった。少し怖いと思ってしまっている自分がいたからだ。
「 ねえ、私たちは今どこに向かっているの? 」
「 ──神殿だよ。……西の神聖な場所に、あるんだってさ 」
度々不安そうにエレーヌは行き先を尋ねてくる。まるで、何かから逃げているようだ。いや、逃げているのは僕もだ。僕は安心させるように行き先を告げる。このやりとりでエレーヌが落ち着くならば何回でもしよう。それしか、いい方法は思いつかなかった。
僕らはふたり、逃避行をしていた。逃げ場所を探しているかのようだ。兄様のことや、これからのこと現実から目を背けていられるのは、避難先に向かっている今しかできないことだから。
異変に気がついたのは、海沿いを移動し始めてから少し経った頃だった。エレーヌ自身は気がついていないみたいだけれど、先ほどから唇は冷水に浸かったように青く、凍えている。寒いのかな? いや、何かに怯えている? これはエレーヌと生まれる前から一緒にいた、僕だから感じとれたことだ。
時より、アーティ叔母様がいつもエレーヌに飲ませている飲み物を出すようにノータナーに指示をだす。それを飲んだら、少しは落ち着くようだけど、ほんのちょっと何かが違う。
指摘するのも余計にプシュケーを不安定にさせてしまう。エレーヌの様子ををチラリとうかがっては、何かに取り憑かれていないのか確認するのが続いた。
時たま目があってしまうが、ついそらしてしまう。何か見透かされてしまいそうで、僕が隠していることも露呈してしまいそうだったから。でも、エレーヌの瞳の中に僕が少ししかうつらないのが、はっきりと視線を合わすことができないのがもどかしい。
波の音が近づいていくほど僕の不安は大きくなっていった。太陽が沈みかけて、空にも闇が少しずつ広がる。海も段々と黒くなっていくからか、まるで闇に飲み込まれていってしまう想像までしてしまう。
そして、先程から強くなっていく潮風と段々と高くなっていく波──。
エレーヌが急に目を覚さなくなった時のことがフラッシュバックする。次はエレーヌ自身がこの暗くて深い海に飲み込まれてしまうのではないかと。
あの時の恐怖が鮮明に蘇って、エレーヌの手を強く握りしめる。あの波に攫われて海に連れていかれないようにする。エレーヌはなお思考に靄がかかっているような表情でぼんやりしているから、僕を見るように大声で呼びかける。
「 エレーヌ!! もうすぐ着くみたいだ 」
「 あっちだよ、エレーヌ! 」
僕を信じて、救い上げるから。
そんな思いで、エレーヌの手をしっかり握って、空虚をみつめて、何も感じさせない表情をした、まるで闇に溺れそうになっていたエレーヌの意識を無理やり引っ張り上げた。
もう、失いたくなかった。僕の目の前から消えることも耐えられない。この世界からもいなくなるなんて考えられない。エレーヌを僕から奪っていくものたちが許せない。いっそのこと僕らだけの世界があればいいのに──。
まだひとりでエレーヌを護ることができない僕は、いつか、いつの日か、僕だけの力でエレーヌを護れる力を得ようと、エレーヌの手をしっかりと握って、プシュケーに誓いを立てた。




