待ち望む
ここは王宮から遠く離れた、海に面した神殿でのお話。この神殿は暗闇のなかにぽつんと建っているように見える。なぜなら、潮風による塩害を防ぐために、木々に隠されるように囲まれているからだ。海沿いに沿って歩いて行くと、途端に大きな白い建物が見えてくる。深緑の針葉樹が神殿の外壁の白さを際立たせていた。その木々の間を通って、汐の香りが神殿まで運ばれる。波の音が、この地が呼吸しているかのように、いつも聞こえてくる。ここは、海をいつでも感じることのできる場所だ。
ここには、助けを求めて、さまざまな土地から、あるものたちがやってくる。でも、誰ひとりとして訪ねたものは、もとの場所へ帰ることができないとされている。そのものたちにとっての終焉の地。ここが、終の住処となるのか、穏やかに今世を終えることができるのか、それはわからない。何も知らないものたちは、やってくる。終末の棲家にと、流れ着いた先がこの神殿。何かに操られているかのように自然と、救いを求めて、訪れる。
プシュケーを誘うものが、ここにひとりで暮らしていた。歳もわからない、美しい青年がずっとひとりで住んでいた。
神殿からすぐそばの穏やかな海辺で何やら不安そうに祈りを捧げていた青年は、突如吹いた潮風で靡いた髪を手櫛で整え、何やら先ほどとは人が変わったようにうっとりとした表情で遠くを見つめ直した。手繰り寄せた希望が、やっと手に入る時がきたのだ。次こそは、そのプシュケーを自らの力で満たそうと、今か今かと待ち望んでいる。
「 アナタが私の元へと来たる日がやっと巡ってきましたね。──私のエスティア 」
そう青年の呟きは波音に掻き消されてしまう。しかし、波に攫われて溶けてしまうような儚く脆い砂の城とは違い、彼の想いは海を満たす膨大な水のように膨れ上がる。やがて彼に共鳴してか、穏やかだった海も波がでてきた。青年はある一点だけを見つめている。
──それはミィアス国のある方角だった。
「 ああ、やっと私のプシュケーが再び灯される 」
太陽の光に照らされてキラキラ輝く海のように彼の色素が薄い髪も、煌めいている。それは、神聖な神殿に相応しい色。
そんな彼が神殿を抜け出して、海に祈りを捧げるのはこの日に限ったことではなかった。段々と波音が激しくなっているのは、青年の心情と連動しているからだろうか。
( 今世ではなぜか何者かに妨害されて、私には少しも見えない時がありました。月明かりが全く差し込まない暗闇でのあの孤独はもう二度と味わいたくないのです )
彼の望みが近づいてくる。もう少しで、青年のプシュケーの救済が訪れようとしていた。
いつもプシュケーを誘う役目を持つ青年は、いろいろなプシュケーをこれまでに沢山見てきた。そのプシュケーの持ち主の、未来までも、時には見えてしまう。皆大体は、力のせいでプシュケーを濁らせて駄目にしてしまう。その結果、訪れるのは、終末のみ。
青年は美しいものが好きだった。醜いものは、直ぐに──。
でも、エスティア、彼女のプシュケーはそんなに脆くない。清らかで美しく、何モノにも染まることがない。輝かしいそれは、青年にとっての、安寧の地であり、月である。彼女のプシュケーが綺麗なままで、誰のものにもならないように、彼女のプシュケーに惹かれた、盲信者でもあるこの青年が、禊をする役割を承った。
(なんて幸運なことだろう……!! これも、やはり運命なのかもしれない。エスティアのために、邪魔モノを排除してきた私はやっと報われる……!! )
神殿に住まう青年は空を見つめこうひとりごちた。
「 アナタの清らかなプシュケーが、暗闇を彷徨う私の濁った思考ごと掬い上げ、照らし、輝きを分け与えてくれて、本来の私に戻してくれたあの時、私は初めて己の願いを自覚しました。だから、こうして私は幾つもの夜を超えても、果てしない空に祈りを捧げるのです。『 私のエスティアの元へ再び巡り会えますように── 』と 」
物語のイレギュラーたる青年は、はやく、はやくと、エレーヌが来る時を待ち望み、そのプシュケーを最も輝かせてみせようと、ストーリーの展開をはやめてみせた。その上、彼女の ≪エピソード≫ が未完成な部分もあるにもかかわらず、複数の神に由来している、複合的な ≪エピソード≫ であることを上手く利用して、欠けた部分を他から補った。
彼女の生まれ持っている、他のものとは異なる性質を持つ、複雑な ≪神の力≫ の運命を、彼女の行先を繰り返し見てきた青年は、既に知っている。それが、どの物語と紐づいているのか、その糸の選択は、エスティア次第だ。としつつも、青年に有利になるように、青年の目の前で、成熟したプシュケーが最も強く美しく輝くようにと、手の込んだストーリーを用意した。その準備に、幾千年。でも、それは無駄な時間ではなかった。
(──こうして、やっと彼女と直接関わることが出来るのだから!! )
彼女のプシュケーに触れる特権を得た青年は満足げにほくそ笑んだ。その青年の珍しい笑みを見ることができるのは海だけだった。
これは、エレーヌとレオスがノータナーや側近に連れられて、王宮から神殿へ到着する数時間前の出来事。
彼らを待ち望む青年は、出迎えの準備や身なりを整えるために、海辺からすぐそばの神殿へと戻るのであった。
青年の数分前の不安は、今は朗らかな気持ちへと塗り替えられていた。
第三章がスタートしました。
新たな出会いで、エレーヌの周りはまた変わっていきます。
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