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ある従者の思い






「はっ……! 」

 馬の腹を蹴り、「進め」と合図をする。ぐんと動き出した馬に置いていかれないように、体幹を強く保ち、目線は真っ直ぐ前に姿勢を整える。だんだん走るスピードは早くなっていき、冷たい風が顔に突き刺さる。馬に乗っているのでいつもより高い目線に、自然に強張ってしまう肩の力を抜くことも忘れない。馬に鞭を打つと同時に自分の意識にも鞭を打った。過去から湧き出した自分の恐怖心を閉じ込めた。でないと、言葉が伝わらない動物はすぐに操る者に不信感を抱いてしまうだろう。 


 人間と動物の関係には、力の有無は変わりがないらしい。自由に動物を操ることができる力もあるそうだが、私の力は生きる動物を操れるものではないから、普通の人間が動物に接するのと同じというわけだ。「適切な関わりを保つと次第に絆が生まれるだろう──。」そんな言葉をかつてあの人から教わった。

 こんなに、はやく苦手意識を無くさねば。と思い焦燥感に駆られているのは、ひょんなことからエレーヌ殿下に乗馬の手解きをすることになったからだ。

 「私が乗馬の手解きをしましょう 」そんな、なにげない一言、けれども従者としては、烏滸がましいほどの誘いをかけた。その時の嬉しそうなエレーヌ殿下の表情を思い出してして、柄にもなく緊張してしまう。なぜあのお方を思い出すとこんなにも動悸が激しくなるのだろう。和らいでいた肩もつい固くなり、手綱を握る手を再び強く握りしめてしまう。おそらくこれは、緊張から由来している単純なものではないのは確かなことだった。

 馬は怖い。落馬したのはキッカケに過ぎないかもしれないが、別の意味でも大きなトラウマになった。他者との隔たりを目の当たりにしてしまったことがかつての私には打ち付けた頭の痛みも忘れるほど衝撃的だったのだろう。

 『動物と対話するように接するとよいでしょう』とはよく言われていることだが、人間も動物も、相手が私のことを怖がってしまう。私を受け入れてくれるモノはいないのか、心を通わせてくれるのは、誰一人いない──。それは悲しみに近い感情だった。

 そんな私に手を差し伸ばしてくれたのはエレーヌ殿下だった。特別な契約で結ばれた私たちの主従関係は、思ったよりも私の支えとなっているらしい。エレーヌ殿下は私のことを怖がらない。エレーヌ殿下が私を見つめ、私のことを考えて口に出す言葉言葉にひとつひとつ思いが乗せられている。いつの間にか殿下との時間を過ごすごとに、私の固く閉ざされた凍てつくプシュケー()が溶けていくのを感じた。


 微風が私の髪を乱して通り過ぎていく。あんなに恐怖心で焦っていたのに、いつの間にか心は凪いでいた。

 誰かのためを思うと不思議と鎮まり、強くなれる自分がいることに気づいてしまった。その誰かとは、エレーヌ殿下だ。

 冬になり乾燥した風が肌を撫でる。急に、手綱を握る手に痛みが走る。そういえば、手荒れが目立つようになってきた。この傷もエレーヌ殿下のためだと思うと小さな勲章とも思えてしまう。 

 手荒れに最初に気がついてくださったのはエレーヌ殿下。そのあと肌荒れにいいと、蜂の蜜と薬草からできた薬をいただいた。

「おっと……」

 馬が大きな岩を避けたらしい。どこかふわふわしていた思考を再び馬に集中させる。首からさげた玉が熱った身体を冷やしてくれている。その冷たさが私の思考を冷静に戻した。今は馬に慣れること、そしてゆくゆくは、エレーヌ殿下が安全に乗馬ができるようになるために、練習するのみだ。

 実はときたま、安心するためにまだ(ぎょく)を頼って握ってしまう自分がいる。契約によって生まれた繋がりを物理的に感じさせてくれる、それによって、エレーヌ殿下の大切な一部になれたように錯覚して、力が漲ってくる。安心できる。恐怖心なんて(ぎょく)が取り払ってくれた。将来のため。エレーヌ殿下の危機に私がいち早く救うため。


 ──そして、エレーヌ殿下にこの命を捧げるため。


 考えるのは不謹慎だがエレーヌ殿下の終わりには私がそばにいたい。私はエレーヌ殿下と共になら、なんでもできる。天に還るのは殿下とともに。殿下が生きている、その鼓動をその息吹を、殿下の隣で感じながら、私はこれからも生きていきたい。そんな思いを込めて日々鍛錬に励む。


 今日の馬術も終わり、まだエレーヌ殿下は起きていることだろう。帝王学教育が始まってからは毎日忙しく、目まぐるしく宮殿を駆けていくようになった。図書室や研究室、それに教育機関まで、いたるところで交流の輪を広げている。私はそんなエレーヌ殿下の御髪を後ろから少し心配と嫉妬を込めて見つめていた。

 今日の分の馬術の練習を終えて、身なりを整えてから、一目散にエレーヌ殿下の部屋へ向かった。今日は戦闘用の馬についに乗れて克服できたのだ。もう、早く走ることも怖くない。落馬した時の恐怖心も心なしか、エレーヌ殿下と乗馬する約束を取り付けてからというもの薄れてきた。

 (目標があったからか。 案外殿下との乗馬を楽しみにしている自分がいる )

 もしかしたら、まだ寝れずに起きているかもしれない。忙しい殿下にせめて安心して眠ってほしい。夢に誘うのは私の得意分野だ。茶葉に蜂の蜜を溶かした温かい飲み物を差し入れることにしよう。これは母が教えてくれたもので、はじめてお出しした時、殿下は大変喜ばれ、それ以来よく出していた。それを持って、今も眠りにつくことができないエレーヌ殿下を夢の中に誘おう。


「エレーヌ殿下、お茶をお持ちしました。 ……殿下? 失礼します──!! 」

 私の大切な主人は部屋から消えていた。開けっぱなしの窓から吹き付ける風が、私のプシュケー()を再び凍つかせた。













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