夢の番人
蠱惑的に思わせる口元のほくろが印象的な、生まれ持った性別を感じさせないような姿をした青年が、ある部屋へと入っていく。
そこには、永遠に目覚めないように固く目を結んでいる少女が寝台に横たわっていた。この部屋の主人である、彼女の目覚めを、今か今かと感情をむき出しにして、青年は踊りはじめた。
その美しく優美な容姿とあいまって蝶々のように狂い舞い踊る姿は、まるで何かを目覚めさせる儀式のようだった。それでも彼は、ただ単純にワクワクと待ち侘びて喜びの舞を踊っているだけだ。と誰かに言う。
青年はこれでも真面目だった。一見行動は変わっているように見えるが、ほかの人たちと感性がずれているのだろう。しょうがない。彼は他とはちがう者なのだから。
──簡単に言えば、人とも神とも異なる存在。かつて人であったかもしれないが、もうそれを逸脱していた。今は神に近しい存在。だから、塔の住人。
「なかなかプシュケーが安定しませんねぇ。まだ器が未熟だからしょうがない……。ですかね。でも、もう目覚めの時間ですよ。ほーら、ラッパが七つ目の音色を奏でてしまう前に!! はやくその太陽の輝きを見せておくれ 」
一心不乱に舞い踊る青年は息を切らさずに、呟いた。それは願いとなって、この部屋で幾年も眠り続ける少女に降り注ぐ。
「……私の──。 お願いだから、はやく 」
春の訪れを告げる風と共に、樹々の間から暗くて凍えた地面を暖めてくれる一筋の陽の光のような心地よい温かい声が聞こえた。はじめて聞く声なのにどこか懐かしい。その声の持ち主と思われるものの手が私の頬に触れている。
そのハープの音色のような綺麗な音に呼び覚まされるように目を開く。眩しさに目の前が真っ白になっていたけれど、なんとか私の目の前にいた人にピントを合わせる。
──ううん、彼によって合わせられたんだ。
私の全てを包み込み慈しむような視線を向けたその人は、光に照らされて輝く新緑と同じ色の瞳をしていた。
「おはようございます。プシュケーが目覚めましたね。不思議そうな顔をして……。この場所では、私のことは夢の番人とでも思ってくださいね 」
そう言って少年と青年の狭間の姿をした彼は微笑んだ。頬に触れていたのはやはり彼の手だったようだ。触れられると、こしょばゆいのになぜだか安心する。初対面の人に触られるのは不快なはずなのに。目の前の彼は異なる気がした。だから、直感で彼の言葉を信じてしまった。
(夢の番人……。 そうか、これは夢だから、番人──案内してくれる人なんだ! こんな人はじめて夢の中で出てきたな……。 )
頭がほわほわする。善悪も判断できなくなりそう。この寝起きのような思考回路で正しい判断も疑うことも出来るはずがなく、初対面だけど信頼できそうな方なので、彼の言うことを素直に受けとめてしまう。まるで暗示にかけられたように安心するからだ。彼に全て委ねてしまいそう。
(そう、そうだよね。あの時から時間は経っているみたいだけれど、夢は場面展開がはやいから細かいことを気にしてもしょうがない。どうやら私はまだ夢の中にいるらしい )
あたりを見回しても、ふわふわ雲の中にいるようで一面真っ白。そんな空間に彼と私だけだし、夢の番人である彼の言うことを聞くことにした。彼が案内人なんだ。不思議とそう思うと安心した。
まだ夢見心地の私を覚醒させるように優しく、彼の声とは正反対の冷たい手が頬を包む。
「ふふふ……。愛らしい頬をしていますね。まだ器は幼いのですから、危ないコトはしてはいけませんよ。ねぇ、貴方の声を聞かせてくれませんか? 」
むにむにと頬を触られる。うん、感覚が鈍いから夢の中かなと納得した。目の前の彼の言動も十分不思議だけれど、さっきから聞き慣れない言葉が気になって、胸でつっかえてしまう。今まで読んだ本の中に書いてあった単語だろうか、記憶から探してみようとするが、頭は靄がかかったように動かない。別の記憶にしまってしまったのだろうか。寝ぼけているしこんな夢を見ているのだからわからないか……。
ふと考えると、寝ていたはずの自分が、今何処にいるのかすら分からなかった。だってここ場所がわかりそうな手がかりもないし。番人さんなら答えてくれるだろうか?
「夢の番人さん。ここはどこですか? 」
思い切って声を出してみた。夢の中は大体声が出せないはずなのに。ここは不思議な空間だ。会話が成立してしまう。
「ここは、貴方が住んでいるところです。次はこの世界では、貴方は ≪デュミィアス≫ として生を受けました。今回は、こうして私と話せるまでに、五年もの月日をここでは要してしまいましたが…… 。」
「それはどうしてですか? 」
私が声を発するとより一層嬉しそうな声色をして、彼は私に新しい謎を与えた。
「その理由を語ると長くなってしまいますが、なかなかプシュケーが安定しないのと、妨害がありましてね……。今の貴方の器はとても脆いのです 」
出てくる単語こそわからないが、私を心から心配しているようで、胸を痛めるような悲痛な声をだす。そして眉毛を八の字にしながら、夢の番人さんは私が理解できないことをつらつらと話し続ける。それが妙に芝居ががっているのが気になるが。
(プシュケー……? 器? 聞いたことあるようなないような…… )
私が疑問を声に出して問う前に、目の前の夢の番人は私を落ち着かせるようにこう言った。
「でも、心配しないでくださいね。貴方を守る者も貴方と共に生きる者もいます。それに、まだ目醒めの時ではありませんが、貴方には力があります。今度は誰にも邪魔されないような力が…… 」
小さい子に言い聞かせるようにゆったりと彼は、私の声に出していない疑問に答える。目尻を下げて幸せそうな恍惚とした表情に、一瞬見惚れそうになってしまうけれど……。
「ごめんなさい。全く理解できない……、です 」
彼の言う通りこの器? は脆いらしい。ううん、元々理解力が足りないのかもしれない。知らない単語ばかりで混乱中だ。外国語の授業を受けているみたい。
夢の中だからか油断して、ぼんやり考えていた頭に鞭打ってフル回転させる。彼の話を文字に変換して頭の中で見覚えのある単語があるか、記憶をもう一度辿ってみよう。
確か、昨日図書館で借りた本がファンタジー世界だしカタカナ多かったなと探ってみる。
(そうだ ≪デュミィアス≫!! 昨日読んだ『オルフェリアの希望』で出てきた。たしか意味は……、)
「王の子……? 」
目の前の夢の番人さんが正解とでもいうように、にこりと笑う。
( あ、まつ毛長い…… )
彼の長髪と中性的な姿が相まって、ミステリアスで美しい人。
──油断していると、夢に囚われてしまいそうだ。