野望を眺める
雲に隠れていく月を眺めて、光が暗闇に飲み込まれる瞬間を想像する。美しいプシュケーは手に入れたら、閉じ込めてしまわないと。煌めきは闇の中を照らし、輝きは暗いところでよく目立つから、他の者に知られてしまう。清らかなそのプシュケーを知るのは私だけでいいのだ。
エレーヌの瞳も大事に大事に隠してしまおう。安らぎを求める時だけ取り出して、口づけをしよう。あの二つに見つめられたら、誰でも魅入られてしまうだろう。おそらくその目に生命の息吹が宿っていなくても、他を狂わせてしまうだろう。 ──それは大変だ。なので私がエレーヌを誘おう。あの時の、絶望に耐えようと懸命に力を使う少女を私が見つけたからには最後まで。
「──ああ、なんて美しいのでしょう。克服をしたら美にさらに磨きがかかるでしょうね 」
まだ、蕾は開いたばかり。もう少し私からの贈り物を与えて、私色に染めてしまいましょう。私に心を開いてきたのはあの果実の効果が出てきたことでしょうから。
空を見上げて、うっとりとつぶやいている同僚をアーティは怪訝そうな顔をして睨みつけた。こうやって自分の世界に入り込むのは、研究者故なのかそれとも──。こいつは、最近いつもに増して様子がおかしい。
つられてこちらまでテンションが引き摺られそうになりグッと堪えた。この空気にのまれたら研究者たちは氷柱が落ちる音でもおもしろおかしくなって、夜が明けるまで脱線した討論を繰り広げてしまうだろう。アーティは経験済みだった。何度明るくなった空を見て、進んでいない研究に呆然と立ち尽くしただろうか。
「放っておこう」 そう決めてアーティは研究室へと再び戻ることにした。寒空の下、月に手を伸ばしている男は見ないふり。冬だから長時間外に出ているのは器によくない。
「冬の夜風は寒いから、その頭を冷やすには丁度いいんじゃない 」
計画も終盤に突入し寝ずに頭を酷使した弊害がでてきたか、とアーティはシェニィアが研究に頭を酷使しすぎて疲れているからこんな言動を取っている。ということにした。一国の宰相が夜空を見上げて、美しさを称賛しているだなんて考えられないだろう。しかもあの、シェニィアが。プシュケーを持たないとされる彼が。こんなにも、
(シェニィアは確実に変わっている。表情も言動も名前と反対に──。まるで何かが宿ったかのように。これもあの子の影響かな )
愛しい次世代の ≪神の子≫ を思い浮かべる。あの子は他を惹きつける才能がある。 神から授けられた力ではなく、生まれ持ったもの。ギフト。それは時に、毒として神を狂わせるほどの威力があった。
清らかで穢れに弱いあの子を攫うものから守るため、そして産まれて間も無くして ≪エピソード≫ が混ざってしまったプシュケーを守るために対を捧げた。
あの子はこの国、そして国の平和は ≪神の力≫ を持つものたちの未来を左右する。あの子の ≪克服≫ に残酷なほど頼りきっている。国や世界を破滅させないために、記憶と引き換えにしてプシュケーを縛った。
次は、力を操るモノが必要だ──。
結局は私とラシウス、シェニィアは共犯だ。ミィアス国のために ≪神の子≫ を捧げようとしている。西の塔で数代前からも我が一族で管理しているオルフェの方があの子を幸せにしてくれるかもしれない。とあり得ないことが頭で浮かんできたのを最後にこのこと考えることを辞めた。罪の意識は手放さねば。そう誓ったじゃないか、だから家族の仮面を被っていられる。
(あの自称魔法使いを頼るのは、私がどうしようもなくなった時だけ。大丈夫。そうはならない様にしないと )
思考で止まっていた研究所に戻るという行動にやっと移りだした頃には、月は再び雲から顔をだしていた。
気分転換を終えてアーティがその場を去ってもなお、シェニィアは夜を、そしてこの冬という季節を自分の世界に当てはめて、理想的な最後を思い浮かべていた。まるで ≪神の力≫に当てられ魅了されてしまったプシュケーを持っている者持っている者の様だった。
冷たく澄んだ空気は生命の気配を感じさせない。冬は生き物を眠らせるか、もしくは死へ誘う。落ち葉がそうだ。枯れた植物は生けるものたちの終わり、すなわち、死を意味する。太陽の光が消えた夜はそれは顕著だった。古代より暗闇は死を連想させた──。
「はは──」
シェニィアはひとり、冬の夜空を眺めて満足そうに口元をゆるませた。自然と笑い声が溢れる。彼も魅了されたひとり。エレーヌのプシュケーに囚われてしまった哀れな神だ。初めから、あの少女に出会った時から狂わされていたんだ。でないと、こんなに毎回毎回彼女を追って近くに来ない。
(あれ、いつからそばにいたいという気持ちが芽生えたのだろうか──? )
闇が星月の煌めきをより一層美しくするように、あの子の両目の瞬きを私の闇で染めてしまえば、さらに美しいものが完成してしまう。陶酔したあたまでは、手に入れることだけを考えてしまう。授業中に教えを乞う彼女の純粋無垢な目を見るたびに理性が揺らいだ。今すぐにも手に入れたい。
そのためにも、最後のコレはなんとしてでも成功させなければいけない。この年で、状況が大きく動く。いや、はじまると言った方が正しいだろうか。
私の方へとエレーヌを手繰り寄せていこうと、その時を虎視眈々と狙っていたのに、あの子が提案してきた思いがけない取引のお陰で、獲物からこちら側へと寄ってきてくれた。
その取引は私にとって破格な条件でしかなかった。実際あの時は、口元に笑みを浮かべて冷静を装っていたが、仮面の下ではほくそ笑んでいた。
──これは神からの祝福かもしれない。あとは邪魔者との絆を排除して、関係を断ち切ってしまえばいいだけだ。
プシュケーを手に入れる準備はできている。あとは、あの子が ≪エピソード≫ や その先に待つ ≪コンプレックス≫ を克服して、プシュケーがより清らかに強かになるのを待つのみ。
──盃にネクタルが満ちた時、神は私だけに微笑んで、ついにあの子をこの手に抱くことができる。
油断してはいられない。エレーヌや彼女のプシュケーを狙うものは沢山いる。歪な感情を向けて絆という名の鎖で雁字搦めにしてしまおうと目論むものたち──。
まだ姿を見せていない、純白のプシュケーをもちながらも、全てを叶えようと手段は選ばない、エレーヌに狂気じみた信仰心を向ける者。
西の塔でストーリーテラーのように、全てを俯瞰して余裕そうに眺めている者。正直彼はいつ動き出すのかわからないでいた。もしかしたら、既に何かしらの手を打っているのかもしれない。 ≪エピソード≫ の関連性でなら勝てる自信はあるが、力の性質が少々やっかいだ。
まだ、 ≪運命≫ に気づいていないばかりに、出会っていない者。救われたいと彷徨い続けているもの。彼はエレーヌに希望と光を見出すだらう。
そして、彼女の一番近くにいるのは、狂暴で狂愛なもうひとりを隠そうと必死に閉じ込めている者。自制が効かなくなったとき、一番に彼女を殺めようとするだろう。誰にも奪われない様に。
さて、彼女の兄弟は、≪呪い≫ が下手をすれば破滅へと変わりゆく未来、各々の ≪エピソード≫ や ≪コンプレックス≫ に翻弄されて、どのようにエレーヌを欲していくのだろう。一番近くで変化を観察できるのは役割故の特権だ。
自分の ≪エピソード≫ の呪いを鎮めようと今も闘う者。
対として他にない優越感を抱きつつも、ほかに奪われるのを恐れている者。
そして、最後に生まれ落ちてくる子──。
この計画が成功したら、ついに物語がはじまる。これから糸はどんどん増えていき、また新たな絡まりや解れが生まれるだろう。それを全て解していくことはできるだろうか?
「苦労している彼女を眺めるのも、また良いかもしれないな…… 」
──これは終焉までの物語。彼女のすぐそばで破滅が手招いている。




