苦手なもの
先日、兄様の書斎から借りた資料を部屋で読んでいた。あの日、書斎への立ち入り許可と兄様の物の貸出許可はレオスが取ってくれていた。
もともと兄様の書斎には、この国の成り立ちや王家の歴史を子供向けにまとめた巻物はもちろん、外交や政治などの専門分野の資料までも集められていた。
私たちにも書斎は与えられているのだけど、兄様が読んでいたものには、兄様が独自にまとめた書物も一緒に残っているので、それを読んで会えなくても筆跡で兄様を感じたかった。
レオスも私と一緒に授業を受けてはいるが、エディ兄様の資料を読んでばかり。「誰かに教えられるより、兄様が話してくれた方が面白い 」と言って、授業ではいつもどこか上の空だった。でも知識はしっかり吸収しているあたり、ひとりで学習しているのだろう。教えてくれる先生方も苦笑いをしつつも、怒らずに見逃していた。
私とレオスが二人で一緒に授業を受けているのは、王族としての教養水準を平等にするため。そもそも、兄弟間と器の性別で差つけないことが、この国の帝王学の大前提にあるからだ。古くからの決まりらしい。これは、男女問わず、生まれた順番も関係なしに ≪神の子≫ に一番相応しい素質を持った子が次の王になることに由来する。
授業の難易度は年齢によって変わってくるが、私たちは双子なので、今のところは同じ分野を同じだけ学んでいる。実は、授業に私がいればレオスもしっかり参加するからだ。と教育係の総括をしている者からこっそり教えてもらった。
あとは、実技もある。 ≪神の力≫ を正しく使うために、己の器を守るために身体を鍛えたり、年齢を重ねるごとに剣術や馬術を習うことになるだろう。いくら、 ≪神の力≫ を持つからといってその力を過信したり、頼りっぱなしにしないようにとの教えだ。それに、力を闇雲に使うことは良しとされていない。
≪神の力≫ を持つものの保護兼教育機関の寄宿舎に入っているノータナーは、幼い頃にとある人からマンツーマンで ≪神の力≫ を制御する方法を習っていたらしい。その事もあってか、実技や座学でも飛び級。その能力を父様は見込んで私と≪血の契約≫ を結ばせた。
「エレーヌ殿下、もう少しで、本日の授業の時間となります。レオス殿下のお部屋までご同行いたします 」
そんな考え事をしていると、当の本人であるノータナーから声をかけられた。もうそんな時間か。
「うん。ありがとう。行こうか 」
今日はシェニアの初授業の日。レオスと一緒に帝王学を学ぶので、彼の部屋に向かう。レオスは教師が誰なのかあまり気にしていない様子だったけど大丈夫だろうか?
レオスがまた反発しなければいいけど、とあと数分後に起こることを予測しながら、ノータナーと王宮の廊下を歩く。彼とのたわいもない会話には慣れてきた。
「ノータナーは今どんな勉強をしているの? 」
そんな風に、彼の目を見て問いかける。ノータナーは時が経つにつれて私と二人きりの時にはいつもよりほんの少しだけ穏やかな表情をみせてくれるようになってきた。ほんの些細なことでも事態が好転するならヨシだ。
「私は今、実技では馬術を習っております 」
「そっか、ノータナーは座学はひと通り終わっているんだっけ。 実践もここに来る前に習って聞いたけど馬術はやっていなかったの? 」
≪神の力≫ を持つものは王族以外にも生まれることがある。その人たちを保護し、力を使う上で適切な教育を施す施設が宮廷の近隣に建てられている。ノータナーはそこの寄宿舎に住んでおり、その教育機関で学んでいる。
力を持つものはその性質上、器を保つためにも精神上の安定を保つ必要がある。そして理性的に力を酷使する上で、力についての知識を持つことが望ましい。万が一のため、悪用しないように管理する役目もこの教育機関は有している。
ミィアス国では ≪神の力≫ の有無、大小に関わらず教育を受ける義務と職業選択の自由があるが、寄宿舎で学んだものは大抵は国の中枢機関で役職を与えられ、民のために力を使っている。
この国の教えとして ≪神の力≫ を持って生まれる子は保護され、力を王に管理された上で、器とプシュケーが壊れないように、知性等磨いていくことが原則である。また、≪神の力≫ についての研究も盛んであることから、国民には力を持っていない者たちの間にも ≪神の力≫ についての知識と理解はある。
しかし、力は強大で暴走しやすい危険なものととらえ排除しようとする国も存在しているのが事実だった。また、悪用する組織も存在していた。
そのため ≪神の力≫ を神の代わりに王が管理している、ミィアス国の歴代の王たちは制度を整え、正しい力の利用方法等、啓蒙を促してきた。
教育機関では武術も学術と同じく重要視されるため、馬術は幼い頃から習っているイメージがあった。戦闘用の馬はもう少し大人になってからかもしれないけど、日常用、例えば乗馬用の馬とかはもう乗りこなしていてもおかしくはないほどノータナーの運動神経はいいと聞いている。一瞬の沈黙が不思議そうに思えたのだろうか、ノータナーが言いづらそうに口を開いた。
「……実は、その、幼い頃に落馬したことがありまして……。少々馬に対して恐怖心があるのです 」
「え! あっ……、ノータナーってなんでもできそうな印象があるから、意外だね 」
知らなかった。ノータナーが巧みな手綱捌きで颯爽と馬で草原を駆け抜けている姿を勝手に思い描いていた。苦手なことがあったのは意外だ。怖いという感情をまだ持っていることに驚き、彼がまだ十をすぎたばかりの少年だと気がつく。
思わず口に出してしまってから、ノータナーの方を見て後悔する。
「……高いところは、少し…… 」
かなり赤くなっていた。レオスになんか言われても、顔色ひとつ変えないのに。申し訳なく感じつつも、意外な姿を見せてくれてうれしくなり、思わず可愛いと思ってしまった。でも、フォローも忘れない。私だって乗馬はしたことがないし怖いものは怖い。
「わ、私も! まだ馬に乗ったことないし、生き物は会話できないから怖いよね 」
「いつ必要な時が来ても良いように、戦闘用の馬を早く乗りこなせるように精進いたします 」
「え、う、うん! 楽しみにしてる。あ……、そうだ! ノータナーが私に馬の乗り方教えてくれない? 」
咄嗟になにか、取り繕うとして墓穴を掘ってしまった気がした。でも、ノータナー自ら歩み寄ってくれているのが嬉しい。この国は丘が多いため、戦争時、逃げる時には馬を使うのは必須だ。今後、使うことになるであろうことを予測して、ノータナーに教えてもらう約束をしたところで、レオスの部屋の前に着いた。このまま二人で歩くのは、ちょっと気まずかったのでちょうどよかった。
「はい、畏まりました。 殿下が安全に馬に乗れるように、早急に己の腕を鍛えます 」
ノータナーも先ほどよりは生き生きしている。こういうところは、歳下の子に頼られたいと思う気持ちがでていて、年相応に感じた。もっと自然体な彼を見てみたい。本物の彼が持っている、感情を覆う隠しているベールをはやく取り去ってしまいたかった。




