姉様と私 Ⅱ ー『オルフェリアの希望』より
誰かと話すときは、自分の感情を悟らせないように。淑女らしく和かに微笑みながら話を聞く。親しい者には、気さくに。私たち家族には、愛情を持って。場面で判断して、適切な言動をとっている姉様をいつも側でみてきた。
エディ兄様とは仲睦まじい兄と妹。姉様が唯一甘えられる存在のエディ兄様が羨ましいとさえも思っている。兄様の調子が悪い時には姉様は ≪神の力≫ で癒やす治療を行なっていて、エディ兄様は少し申し訳なさげに、それでも何処か妹を誇るような気持ちを持って、姉様へ感謝の言葉を贈る。
レオス兄様と姉様はさすが双子と言えるくらい、言葉なしでも互いに思っていることが伝わるように行動していて、息ぴったり。レオス兄様は甘えることも不得意だから、姉様と二人きりでいると気が休まるらしい。だからあまり、二人きりの世界には入れない。
私には、姉様は本物の弟のように可愛がってくれる。私の声色や顔から何でもわかるみたいで、姉様には隠し事ができない。すぐ私の悩み事に気づいてくれる。それにとても可愛がってくれる。姉様と一緒に、王宮から外へ忍んで出た時は、その姿からか、姉妹だと間違われた。
ノータナーとは、立場上彼は姉様の護衛だからいつも二人でいる。あまり怖いので近づくことはできない。ノータナーは仕事としての役目でしかないと思っているのだろう。二人には一線を引いたような距離感を感じている。お互いの立場を尊重した上での関係性を築いていた。でも、その後、姉様の護衛から外れて私の護衛になると聞いた時には、驚いた。
そんな姉様が宰相の前では、様子がおかしい。いつからだろうか、私が物心つく前からかもしれない。露骨に会わないように避けているし、時々怯えたような表情を見せている。母様も宰相とは馬が合わないみたいだけど、それとは異なる関係性。
もしかしたら私が宰相とはじめて会った時の出来事が、私に余計な印象を抱かせているのかもしれないと思った。
太陽がはやく沈んでしまうようになった、ある日の黄昏時、姉様に借りていた物を返そうと、姉様の部屋に行ったけれど居なかったので、探していた。
ちょうど屋敷の中庭に続く廊下を歩いていると、姉様の声が聞こえた。咄嗟に角に隠れてしまったのは、姉様が珍しく声を荒げていたからだ。顔を出して覗くと、石造りの階段の前で、姉様と長身の人が話している。
なにやら姉様とその人は親密なのだろうか、姉様の言葉も感情も乱れている。あんな姉様みたことない。二人はとんな関係性なんだろうか? 私は好奇心に負けてしまい、その場で盗み見ることにした。
「シェニィア、お願いだからはっきり言ってちょうだい! 父様の決定になぜ私が怒っているのかわかるでしょ! 」
「そう言われましても…… 」
「お願い。私みたいにあの子には苦しんでほしくないの……! 」
「今日の殿下は我儘だ……。埒があかないですね……。本意ではありませんが、ここで失礼します。では──」
姉様に異常なほど近づいて背の高い人が何かを囁いたようだ。私もその言葉が気になって身を乗り出したのがいけなかった。姉様から離れる瞬間、その人のシルバーの視線が私を切り裂くように捉えた。
姉様は力が抜けたようにその場にうずくまり、男の人はそれを何やら満足そうに見つめて、姉様の髪を一房手に取り口づけすると、去っていった。
私は色んな意味で初めて見た光景に、何もできないまま、呆気に取られてしまった。暫くして、あたりが暗くなっていることに気がついたので、自分の部屋へと急いで戻った。何を言われたのだろうか気になってしまうよりも、姉様の方が気掛かりだ。寝るまで、姉様の静かな泣き声が耳に残っていた。
次の日、私に王位継承候補としての教育を担当すると紹介されたのが、あの時の彼だった。それと同時に、ノータナーが後々、私の護衛になると言われた。
「はじめまして、ユディ殿下。私シェニィアと申します。……よろしくお願いいたします。なんでも私に聞いてください。気になることはなんでも、ね 」
普段は宰相として国の政を支えているという彼から教育を受けることなんて、思ってもいなかった。という驚きよりも、昨日の男の人が目の前にいるから、嫌でも、あの姉様とのことを思い出してしまう。
自分でも少しだけ顔が熱くなっているのを感じた。それを緊張と思っているのか、昨日の盗み見ていたことがバレているのか、宰相は意味深げな言葉を私に残した。
あの日見た出来事が引っかかったまま、それでも姉様にも宰相にも聞くことが出来ずに彼からの授業を受けてから、次の季節へと移り変わるとき。
授業の前に姉様と会っていたのがわかったのか、ふいに、宰相が姉様の話題を出してきた。
「ユディ殿下はエレーヌ殿下の目についてどうお考えですか? 」
「姉様の目ですか? 安心する気がします 」
質問の意図が分からず咄嗟に答えたのが、姉様の目が与える印象だった。
「あはは、そうですね。とても慈愛に満ちた目をしておりますね。そうですか、ではご自分の力を自覚されるのもまだということですね…… 」
「え? それは一体── 」
「それでは、今日はこの国の歴史について── 」
私が質問の意味についてわからないまま、結局は授業がはじまってしまい、訳を尋ねる前にその日は終わってしまった。
「よくエレーヌ殿下の目をご覧くださいね 」と私の部屋を出る時にニッコリと口元だけ形を変えた器用な笑顔を浮かべて、目は笑わない、宰相は去っていった。
宰相のシェニィアは、他の人とは異なる少し歪な感情を姉様に向けているんだと、これだけでも私でも察することがてきるほどだった。姉様を心配してしまう。
レオス兄様に相談したら「ずっとそうだよ。あいつは特にエレーヌに対して変。今頃気がついたの? 鈍すぎ 」と呆れられた。そして、顔を近づけてこう忠告された。
「あいつとエレーヌを二人きりにさせるな。絶対に 」
「っ……はい 」
レオス兄様の気迫に満ち溢れた目に圧倒されて、宰相の話題を出すのは止そうと思った。怖かった。でも、姉様の珍しい一面を知れたような気がした。
宰相に言われてから何かに取り憑かれたかのように、姉様の目をじっくり見るようになった。気になって仕方がない。
「今日もいい天気だね 」と太陽の光を浴びて、いつもとは違って銀色と金色がキラキラと見え隠れするような目。
庭に散歩に出た時の、木漏れ日の下で気持ちよさそうに空気を吸い込んで落ち着いている時は穏やかな色になる。
レオス兄様と談笑をしているときは、二人の対比から太陽と月のように互いを照らして輝いているいるように見えた。
黄昏時の目は、その色も空の色とそっくりだった。まるで太陽が沈み込む直前の光を全て集めて目に取り込んだかのようだ。
月夜の晩、月光を閉じ込めたように煌めいている目を見たときは、思わず心を奪われてしまった。
シェニィアに指摘されてはじめてよく観察してみて気づいた。姉様の目は、幾度も色を変える。キラキラしていて宝石みたいに綺麗。姉様の目に私だけが映る時、どんな色を見せてくれるのだろう。
自分でそう思っていることに気がついた時、この世の素敵なものをはじめて見つけた人のような、なんとも言えない気持ちになった私は、「羨ましい」 と一瞬だけど思ってしまって、ハッとする。──それは、何に対して? 姉様の目に映る唯一無二のモノになりたいという意志が、浮かんでいることに気がついてしまい、慌ててその考えを打ち消すように頭の中に仕舞い込んだ。
その夜に夢を見た。決して現実にしてはならない、とても恐ろしいそれは、姉様が宰相に殺されて目を奪われる夢。私は、シェニィアを初めてみた、あの日のようにその場にいて、物陰に隠れるようにその光景を眺めていた。
姉様は動かない。心臓を握りつぶされたように、一瞬で命を失ったようだ。胸の辺りには赤がひろがっていた。
狂気的なその風景と、姉様を愛おしそうに見つめてから、くつくつと笑いだす宰相が恐ろしくて。
でも、彼がいつもなら考えられない雰囲気を醸し出していて、目を離したくても離せなかった。ここには、芸術的な美しさがある。目を逸らしたいのに、確かにこの光景に惹かれている自分がいた。
奪った姉様の目を、まるでそれだけが姉様のように、愛でている。月の光に照らされた彼の唇にソレが重なった──。
声がでないまま、思わず息を呑んだ。その僅かな空気の揺らぎで、私がいることに気がついたのか、宰相が私の方を向いてにっこり笑っている。
「あぁ……。ここでは姉様の目に映るのはシェニィアだけになってしまったんだ…… 」
どこかでそれを美しい光景と思う自分がいる。姉様の目に映る最後のモノである彼が羨ましいとさえ感じてしまった。これは歪な嫉妬だ。抱いてはいけない感情。なのに思わずにはいられなかった。どうして?
──それから、姉様の目を見るのが怖くなった。
きっとその目を私も欲してしまいそうになったから。姉様の目に映るのは私だけでいい。兄様たちでもない。いつも隣にいるノータナーでもない。民たちでもない。私だけを見ていて。そんな感情を箱に強引に仕舞い込んで、鍵をいくつもかけた。蓋が決して開いてしまわないように。
「 姉様と私 Ⅱ 」 ー『オルフェリアの希望』より




