交渉成立
「ほぅ? それはどんな? 」
興味ありげに話を聞く体勢になってくれたので、私はシェニィアの耳元でこう言った。
「まず、シェニィアが私たちの教師になってほしいの…… 」
「はは、エレーヌ殿下はご冗談もお上手になりましたね 」
彼にとっては、思いにもよらない提案だったのだろう、片眼鏡の位置を左手で調整し始めた。眼鏡に触れているときは少し焦っているときのシェニィアの癖。彼はきっとこの提案の真意を探りきれていない。
「まだ、私たち三兄弟の中で誰が王位継承されるか決まっていないでしょう? レオスと私、将来のこの国のことを考えて、早急に優秀な家庭教師をつける。って話の場にシェニィアもいたから話が早いと思って! 」
「 ≪神の力≫ の寄宿学校の教師で適切な者たちを各分野で、ただ今選出中なのですが…… 」
やっぱり。原作では、エレーヌには各分野で違った教師や研究者たちが教えていた描写があるから、きっと今回もそうだと思っていた。
「でも、政治はシェニィアしか適任はいないと思うの 。だって、いつも父様と一緒にいるもの。一番近くで王の政を見ている人が一番先生に向いているはずよ! 」
アーティ叔母様からは ≪神の力≫ の研究や王族としての知識を教えてもらう予定でいたが、エディ兄様のことがあるからと、別の候補者を探すことになっていた。政治分野と併せてこれらもシェニィアから教わるならば、彼の拘束時間も増える。
何より、シェニィアが私たち双子の教師として、そばにいてくれれば、力強い。彼の政治に対する知識や戦略をたてる知恵は豊富だ。私たちが考えたこともない様なことを提案し、実行して功績をあげる。王が出自もわからない、シェニィアを起用した時、反発ややっかみがあった。しかしそれらを跳ね除けたのも彼の実力だった。
彼の知識を吸収できることもだが、一緒にいる時間が増える分、なにより彼の動向も探れるし、怪しい動きや国を裏切る素振りにも気が次くかもしれない。
彼は決して自分の本心を探らせないように上手くやる。でも、いままでの距離からももっと近くなれば、なにか手がかりがつかめないだろうか? そう楽観的に考えてみてのある意味での賭けも含めた、提案だった。
それに取引と私から提示する以上、彼にとっては好条件であろう見返りを用意しているつもり。
そんな希望的観測で、提案したけど、後日──。
頭を抱えながら、シェニィアが私の部屋に来た。
「ラシウス陛下から許可がおりました。 ……陛下はエレーヌ殿下にとても甘い。……困ったものです。……それで、取引の条件はなんでしょうか? 」
しっかり前回の取引の見返りを交渉してくるのはとてもシェニィアらしい。忘れていたとしても、彼を引き止めるために使う予定だったけれど。
「もし将来、この国に困難なことがあってその時に、私を助けてくれるのであれば……。シェニィア、貴方の好きなものを与えるわ 」
「ほう、条件がもうひとつ付きましたね。それは、例えばどんなモノを……? 」
「私に用意できるものであればなんでも。もちろん、他の人の権利を保つものであればだけど…… 」
モノクル越しの冷たい銀色の目が一瞬、剣のように光った気がした。彼にとっても良い条件のようでほっとする。
「取引成立ですね、エレーヌ殿下 」
私の倍も大きいけれど、ほっそりとしていて、どこか女性的な手を差し出される。交渉は硬い握手で結ばれた。彼の手は氷冷のように冷たかった。
──この時の、私は彼の望みを見誤っていた。そう気がつくのは、いつかの未来で。
次の日、昨夜の私とシェニィアの会話を知らないはずのレオスから唐突にシェニィアについての話題をふられたときは、取引がバレているのではとヒヤヒヤした。
「ねぇ、シェニィアの意味ってエレーヌ知ってる? 」
「……え、シェニィアの意味? 」
内緒話をするように、ノータナーの目を盗んで、レオスは私にそっと耳打ちした。
「そ、あいつの名前。シェニィアの語源は魂のない人を指してるんだってさ。──あと、こんな意味も昔はあったみたいだよ、魂を彷徨わせる者。ってね 」
「へえ、ほんと? 初めて聞いた 」
「うん。兄様の書斎から借りた資料に書いてあった。俺、あいつが不気味。ちょっと恐い。近づくとぞわぞわする 」
レオスがシェニィアとの相性が悪いのは、別の時空では殺されたからだろうか、致命傷になった場所をさすりながらレオスは「だから、あいつにも近づいたらダメだ 」とそう呟いた。
シェニィアの出身も経歴も不明で、謎に包まれた人物だけど、偽名ということはわかっていた。その名前の由来からも、何かヒントになるかもしれない。
魂を彷徨わせる人──それが意味するのは?
(その事を詳しく知るために、エディ兄様の書斎は立ち入り許可が出るはずだから、私も行ってみよう )
意外な掘り出し物があるかもしれない。レオスと明日、許可を取って、兄様の書斎に行こうと約束した。
シェニィアが裏切る前にその理由がわかれば、主人公の幼少期のトラウマの一部分を防ぐことができるはず。
あれは私が読んだ原作範囲内でも、シェニィアとの初対面のエピソードとしてユディが回想していた。




