のぞみ
死んだ者が最後に辿り着く場、生きてきた罰を精算される贖罪の地。そこは、暗闇が四方八方に広がり、光が通る隙間すら見当たらない。そんなところに私はいた。
正直なところ、神の御心に従いこの役目を承っていても、名誉なことだと感謝は多少したが、ここは退屈だと思っていた。時間は無限にある。それを消費するため、ある土地では心を癒す植物を創造し育てた。ある時には西の果てまで行き国を統治していた。それでもなお、空虚感に度々苛まれていた。
プシュケーがあるモノにとって、この世では、人間をプシュケーの入れものとしてもつモノはとても弱い。神とは違い、不老不死には到底到達できやしない。下界と呼ばれるその地では、繰り返し同じ器を持ち再び生まれるプシュケーもいれば違う器で生まれ落ちることもある。
いくら姿形が変わろうとも、私にとっては全く同じモノに過ぎなかった。姿はプシュケーの入れものなんだから。私には関係がない。私はただ純粋にプシュケーが好きなんだ。時代によって、あるいはその環境によって変化する器とは違い、プシュケーの本質は変化しないのが定説であった。複合的な力を持つ場合は、そのプシュケーにも侵食するかの如く、さまざまな色形をして蝕む場合もある。
ここでひとつ、私の昔話をしよう。国の統治にも飽き、ふと退屈凌ぎに今まで行ったことのない、他の土地に行ってみた。そこで、運命的な出会いがあった。清らかで無垢なプシュケーに出会ったのだ。今まで生きていてこんな美しいプシュケーをもつモノはいなかった。その神聖なチカラに当てられたからか、気がついたら私の頬は濡れていた。感動で涙するなんて今までにはなかった。こんなにも、複合的な力を持つあまり、幾つもの ≪エピソード≫ で雁字搦めにされているのにも関わらず、そのプシュケーは何者にも染められない、染めらないとすら強い意志を感じた。
そのプシュケーの持ち主は、ある国の王位継承権をもつ少女だった。噂には聞いたことがある。その国の神の力を持つものたちを統治していた王が、次世代の子に力を継承せず、他の国との抗争で亡くなったと。継承が行われなかったその国は今、呪いが発現し荒れている。と──。
なぜその少女は、こんなにも腐敗してしまった国を未だに外敵から護ろうとしているのか、自分の力を使ってまで、命を削ってまで、性別さえ偽って、どうして兄弟を守ろうとしているのだろう。そんな価値は下界にはないというのに。私は好奇心が湧き、何もすることも無かったので彼女を観察することにした。あわよくば、そのプシュケーが手に入るかもしれないと思いながら。
少女は、顔や腕に切り傷があり、人々に美しいと言われていたであろう髪を振り乱しながら、一心不乱に駆けていた。何かを探しているのだろうか、そんな感情をあらわにしたら、その美しいプシュケーも濁ってしまう。だが、目がまだ希望を失っていない。眩しすぎるほどの光を宿していた。
哀れで、惨めな少女に同情はした。これでは、あのプシュケーには器は耐えられないだろう。それに彼女の神の ≪エピソード≫ はとても複雑だ。 ≪コンプレックス≫ さえもっていてエピソードの完成とそれが達成したら、コンプレックスの克服という、二つを乗り越えなければならない。彼女のこれからの運命は波乱に満ちているだろう。その小さい手を人々の血で染めることになるのだから。
「正直同情していました。プシュケーだけでも美しいのに、その生き様さえ輝かしかった。あぁプシュケーが勿体ない! プシュケーだけでも清らかなままで救えないだろうか? そんなことを考えて、私は己の中にこんなに欲するものがあるなんて、と驚いてしまいましたよ……」
彼女のプシュケーを手に入れて、私しかいない場所に隠したい。そうすれば、美しいまま保つことができる。彼女が私だけを頼るように仕向けてみたらどうだろうか? 嗚呼、私が救ってあげたい。──器は巡り巡っていつか変化してしまうだろうから、プシュケーだけ刈り取っておきたい。でもまあ、あの意志の強さを表しているような目は、朽ちないようにしてから飾っておくのもいいだろう。
しかし、よく見ると、人間の器も含めると彼女は他のモノにも囚われている。彼女にはいくつもの感情の鎖で縛られていた。
おそらく私が彼女の価値をプシュケーだけで見出したであろう最初のものだ。しかし、アレを見る限り他にもライバルはいる。一人の少女を、己の意志で雁字搦めにしてしまうような厄介なものたちが。そもものたちには、器だけでいいじゃないか。
「ああ、私はあの子のプシュケーが欲しい。その純白な綺麗なプシュケーが闇で汚される前に……。奪ってしまおうか 」
少女の終わりまでをじっと眺めていた。最期にプシュケーを刈り取って、手に入れるために。
だが、そんな私の期待通りに事は進まなかった。彼女を、彼女のプシュケー以外も欲する者には、色々拗らせているものがいるらしく、縛る者の一人が自分のものにしようと彼女の運命をいじってしまったらしい。
「はは、面白い……。先を越されましたか。では、私は今度こそ、今よりも早く逢えると、今より好都合でしょうね 」
こんなにも、この役目があることを感謝したことはない。これで、私にも手に入れるチャンスが巡ってくる。
この物語は何度でも繰り返す。幾つにも枝分かれして、それぞれ異なるエンディングを魅せてくれる様になり、彼女の運命はより複雑になった。これで私の退屈凌ぎになるだろう。闇の中で存在しているしかない私に、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。




