記憶の箱
「っつ……!? 」
本当はわかっていた。ここは夢の世界ではない。でも現実だと認めたくなかった。一日一日と過ごす中、この日常が当たり前になってきていて、夢の中で夢を見るなんて滅多にないことなのに、ここまで覚めないとしたら、どうして私はここにいるの? なんて、一度でも正気に戻ってしまったら、止まってしまったら恐ろしい何かが待ち受けているのではないかと、必死に夢から覚めようとしていた。はずだったのに、いつしか覚めない夢ならば、この物語を変えてもいいなんて事を思ったりしてしまう自分もいて……。
「これは、なんですか?オルフェさん。 私は、逡◆阜霆逕◆遘サ逡──」
聞こうとしても、雑音が入る。上手く話せない。いや、違う、話すことができないのだ。ある単語を発すると、まるでラジオの周波数があってないような、ノイズが発生する。誰かに妨害されているようだ。誰かって? それは……。
──御伽噺のままならなんてよかったことだろう!!
知識として存在していることが甦ってくる。この世界のこと、この国のこと、生まれてから今までのこと。隠されていることもあるけれど、覚えていない朧げな記憶も一緒に思い出してくる。そして私に向かって、誰かがこう言うのだ。「ここが現実だ。諦めろ。思い出せ!」無数の声が頭の中でこだまする。一度開いた記憶の箱は、もう閉じることはできない。あとは全て思い出すだけだった。
頭が重く、自分の意志とは関係なしに思考は動かなくなっているのに、直接映像が、言葉が、流れてくる。私が認識するのを拒否するのがわかっているのかのようで、やめてくれない。止まらない。
一気に知識が記憶が甦ってきたせいで、頭の中はパンク寸前、もう息も絶え絶えで、ぜいぜいと口から僅かに吸える空気を肺にとりこむ。頭が痛い。血液中の酸素が足りなくなって、爪先から痺れがはしる。私はそのうち立っていられなくなり、へたりと床に座り込んでしまった。
呆然として床の大理石を眺めている暇もなく、下がっていた顔を両手でオルフェさんに持ち上げられる。無理やり頭を、オルフェさんの目の前に上げさせられた。幸い軌道が確保されて空気が肺に入ってきたが、この格好で嫌でも目を見つめるように固定されてしまい、下を向きたくても向けない。ただ、オルフェさんの目を直視する。なぜか安心した。最初に見た光景と何も変わらない。ただひとつのもの。私を繋ぎ止めるように、見つめられる。
──『オルフェリアの希望』の原作の世界を夢として見ているのではない、物語そのものに、生まれ落ちたのだ。
この世界には ≪神の力≫ を持って生まれてくる者がいる。 ≪神の力≫ は神からの恩恵である。その力は神に由来し、人智を超越した力である事から、時には災いをもたらし世界を破滅させるほどの脅威にもなる。
彼ら ≪神の力≫ を持つ者たちは皆プシュケーが神の理に囚われている。そして、彼らの運命は神の逸話によって予め定められている。生まれ持つ力に由来する神の様に、なぞり生きなければならない。この、神に由来する逸話のことを研究者は ≪エピソード≫ と名付けた。
プシュケーはエピソードをなぞるように器を行動させる。エピソードが何らかの要因によって崩れてしまい、達成しない場合には ≪呪い≫ の発生要因となり、その者は力を暴走させて、最悪の場合、世界を破滅させてしまうだろう。だから、 ≪呪い≫ が生じたら最後、何かを犠牲にしなければならなかった。
生まれ持つ、これらの神の理を克服してはじめて真の力を手にできるとされている。
ミィアス国では代々王が ≪神の子≫ となり神の代理として力を持つ者達を管理していた。王は、それほどの力とプシュケーを必要とされる。
また、古代より、王と力を持つ者達の契約のために、神から授けられた聖遺物が三つ存在するとされている。これらは歴代の王の継承式で引き継がれ、全て揃っているからこそ、平和を維持できているのだった。
しかし、絶対的な力を持つ王にも弱点があった。それは、次世代の ≪神の子≫ が誕生すると弱体化すること。そして穢れに弱く、 力の由来である神の ≪エピソードの記憶≫ が発現すると死に至る可能性があること。
ある日、次世代の ≪神の子≫ が生まれた。それは同時にこの世界の安寧に綻びが生じた瞬間でもあった。その子は、エピソードが欠けていたのだ。危機感を抱いた王らはある計画を実行する。
──小さな糸のほつれは、やがて大きな穴となり ≪呪い≫ が生じたこの世界は破滅への道を歩むことなる。
「 それが、キミなんだ」
ぽつりと、オルフェさんが私の存在の意味の一部を語った。どうして、オルフェさんはそれを知っているの? どうして今思い出させたの?
彼は物語の真意を知っている。というか、彼はそれを私に知らせるために生きているのではないかと考えてしまう。いつまでも目を見つめていると、無言になった、目の前のオルフェさんは急に目を閉じさてきた。
私の頭の中で流れる今までの現状。原作では描かれていることのない情報が、急に私のメモリーとしていままで残っていたかのように、頭の中を駆け巡った。
「 オルフェさん貴方は何者なの? どうしてこの世界に詳しいの? どうして私にこんな記憶を与えたの? 私にとって貴方は夢の番人だと思っていたのに…… 」
どうして、どうして、と幼い子のようにややパニックに陥った私をオルフェさんは、宥めるだけだった。ここで、「本当は夢ですよ」 とかいってオルフェさんが指を鳴らせば、目が覚めるなんてことも……。ああ、思えなくなった。なってしまったではないか。目を見て抗議する。貴方は一体?
「ああすみません…….。いっきに多くの記憶を思い起こさせてしまいましたね。今はこのキミの力を取り戻すために必要な知識なのです。──もう少し辛いことをします 」
「ごめんなさい」とオルフェさんは呟いて、パニックになっている私に魔法をかけたようだ。ふわふわと身体に力が入らなくなってくる。寝てしまいそう。今はそんなことは嫌なのに。現実を突きつけたのなら、もっとそばにいて、私の質問に答えてほ──。ぷつりと、私の思考が切れる。
目を閉じる瞬間、悲しそうな青年が私を見ていた。
「エレーヌ。私はね、キミを救うためならなんでもするよ。キミにとっても辛いことでもね……。そう、なんでも 」




