答えあわせ
会いたいと思っていた人物が突拍子もなく目の前に現れた時、人はどんな反応をするのが正しいのだろうか? 今までそういった経験がない私は、驚いて腰を抜かしてしまった。もし、寝台から床に転げ落ちてしまったら、怪我をしてしまうだろう。悲鳴をあげなかっただけまだマシだ。それこそ、大声を出したら、誰かが飛んできてオルフェさんも見つかってしまう。声を出さないように抑えているけれど、きっと心拍数は上がっているだろう。
「……え? 今どこから! うそ、何で? 」
そんな私を見て、目の前の彼は悪戯が成功した子どものようにニコニコ笑っている。
「ふふ、驚いた顔もいいですね。……とても愉快だ 」
「今日、これからちょうど、西の塔に行こうと思っていて……。オルフェさんの方から来てくださるなんて……」
呆気に取られて、叫ぶことすらできない。今日来てくれるなんて思いもしなかった。もしかして、本当は毎日来てくれていたけれど、私が寝てしまっていた? 私が眠ってしまっていて、オルフェさんの訪問に気づいていないだけだったのなら申し訳ないと思い、今夜訪ねる予定だったと説明する。
「あら、伝わりませんでした? 今夜お伺いする予定だったのですが…… 」
私が全く気づかなかっただけで、彼なりの返信はあったみたいだ。
(え、やっぱりあの枝がそうだったのだろうか……? )
率直に思ったことをそのまま伝えた。
「え? そうなんですか、ごめんなさい。返信はまだいただいてないと思っていて……。枝が毎日置かれていたのは気がついたのですが……。もしかして、それになにか意味があるのでしょうか? 」
「そうそう!! その木の枝です!! おっと、まだ意味をご存じなかったですね。実はですね、枝の合計本数が二桁目になる夜に会いに行きますよ。というメッセージだったのです。 今は少し難しかったですかね 」
よくわかっていない私とは対照的に、無邪気な子どものような笑みを絶やさず『これが私たちの秘密の暗号です 』と、いつのまにかどこからか取り出した、手に持った枝をくるくると指揮棒のように振り回すオルフェさん。会うのは二回目だけれど、夜なのにテンションが高い。会話に置いていかれそう。
「おっと、今日は宿題の答え合わせでしたね? 貴方が私の名前を知り、私を呼んだということは、そろそろここに慣れてきたのでしょう? きっと知りたい事がいっぱいあるのでは? 」
今日の本題を思い出したかのように、手を一度叩き、今度は片側の口角を上げて挑発的な顔をする。ころころと表情が変わる。いくつもの仮面を被っているかのようだ。彼がわからなくなる。どれが本物のオルフェさんだろうか? 私が今思っていることも見透かされている気がするので、考えるよりも先に言葉を出そうと、会話を続けようとする。
「……っはい、≪アポスフィスム≫ の意味わかりました。 オルフェさん、貴方は先祖返り。……すなわち、とても強い力を持っている方なんですよね 」
「うん。 正解。 よくできました! 」
「うわ、ちょっと…… 」
私がオルフェさんについて聞いたことをそのまま話しただけなのに、オルフェさんに満足そうに、髪をかき混ぜるみたいにわしゃわしゃと頭を撫でられる。表情はもとより、口調も距離感も初対面からだいぶ変化してきている。しばらくすると撫でるのに飽きたのか、私の頭から両手を離して、ぼさぼさになった髪をさりげなく整えてくれた。
「では、改めまして自己紹介。 私はオルフェ。 ≪アポフィスム≫とここでは言われています。 お近づきの印に貴方……ではなく、キミと呼びましょう。私はキミと少し似ているんです 」
キリッと姿勢を正して一礼、夢の番人改めオルフェさんから直々に挨拶される。ここで、気になる事がもう一つ追加された。私とオルフェさんが似ている?
「……似ている? 」
「厳密に言うと違うのですが、いずれわかることでしょう……。 ≪アポフィスム≫について今知っていることは他にはありますか? ≪神の力≫ については? 」
とめどない質問に圧倒される。ちょっと待って欲しい。
「……あまりよくわからないです。 私が ≪エレスティア≫ と言うことしか 」
≪ミィアスの天秤≫ の審判を受けノータナーとの契約が終わってから、エディ兄様のこともあり、バタバタしていた。なので、その言葉の持つ詳しい意味を聞く暇がなかった。いつか聞こうと頭の隅に置いていたけれど、大人たちは本当のことを教えてくれるのかも今となってはわからない。なので、オルフェさんが教えてくれるなら有難い。
私の表情から、詳しいことを知らないと察したオルフェさんは『……そうですか 』と呟くと私の右手を握った。
「では、天秤のところに行きましょう!! 」
「えっ?! でも…… 」
「授業です。授業! 実物があった方がわかりやすいでしょう? 観に行きましょう 」
思いがけない提案に、素っ頓狂な反応をしてしまう。どうしてそんな考えができるのだろう。本当にこの人は何者なの? そもそもこの時間に、あの神聖な場所に立ち入ることは許されているのだろうか? 誰かに見つかったら大変だ。
こんな夜中に部屋から出たこともなければ、外に行った事もない私は、戸惑ってしまう。今まさにオルフェさんのところへ行こうとしていたのに、いざ実際に外に出ようとなると足が竦む。それに、こんなに夜遅くにあの重厚な空気が漂う場所に行くのも怖かった。
「そんな怖がらなくても大丈夫ですよ。 ほら、目を瞑ってください。 手は握ったままで、ね? 」
恐怖で体が震えているのが、繋いだ手から伝わっていたのだろう。私の目線に合わせてしゃがんだオルフェさんは、安心させるように柔らかく笑ってから、片手でふわりと私の目を閉じさせた。そして次の瞬間、ほんの一瞬、風が頬を撫でた。
「目を開けてもいいですよ 」
「……えっ! 」
いつの間にか、移動していた。目の前にあるのは天秤。この天井も高い空間では小さい声でも反響して大きく聞こえてしまって、慌てて自分の口をおさえる。オルフェさんを見上げると得意げにウインクをひとつ零した。すごい。こんな事ができるんだ。魔法使いみたい。
オルフェさんは天秤を一眼みて頷く。握っていた右手と同じように左手を同じように彼の手が掴んできた。私たちは向かい合わせの格好になる。すると、くるくると天秤がある祭壇の周りをまわりだした。私は転ばないようについていくので精一杯だ。音楽は流れていないはずなのに、いつの間にか二人でリズムに乗ってステップを踏んでいた。
「ほら、キミはこの天秤に ≪エレスティア≫ と言われたのでしょう? そしてこの玉は新雪のように輝きを放ったはずです。……ミィアス国の次の王と定められているエレーヌ、キミのとても美しいプシュケーを表す光が瞬いた! 」
うっとりと歌うように、天秤の審判と同じように神託を下す。まるで今までのことを見てきたような口ぶりに、驚いて私の足が止まってしまう。月の光が影になってオルフェさんの表情を遮っているので、彼が今どんな顔をしているのかわからない。彼の顔が見えない。恐る恐る尋ねる。どうして?
「何で、知っているんですか? 」
「キミのことはずっと前から、ずっと見ていましたから。──次こそはキミがエピソードを完成させなければならないのです 」
「何を…… 」
オルフェさんの言っている意味がわからない。知らないはずの単語が出てきた。彼は鼻歌交じりで、私の知らない私のことを語りはじめる。
「エレーヌ、今までは邪魔が沢山入ってきてしまったんですよね。 大変でしたねえ 」
彼が私の身長に合わせて膝をついた。身長差がなくなって、彼のうっとりとした目が私を捕らえて離さない。
──ああ、出会った時もこんな目をしていた。
「……でも大丈夫ですよ。この世界では全て達成しましょう。 そして克服しましょうね。私はキミを導くもの。 誰にもそのプシュケーを奪わせない 」
導く……。そう、そもそもこの世界を夢だと思わせたのはオルフェさんだ。本当に夢の世界なのか、聞かなくては。なんで、いままで彼のことを信じていたのだろう。そもそも、オルフェさんがここまで導いてきてくれたのなら、この夢の中のことも知ってくれるはず。彼に聞こうと、目の前のオルフェさんの目を見ようとして、直視するも不思議な雰囲気を漂わせているので、なかなか切り出せない。もし、間違えを起こしてしまったら、大変だ。もし、変なことを言ってしまったら、どうしよう。
「……もしかして、最初に会った時に夢の番人とオルフェさんが名乗っていたことと関係があるんですか? 」
「……キミはとても記憶力がいいですね 」
「オルフェ、さん……? 」
今までの雰囲気から一転して緊張感が漂う。彼の目が玉と同じように光を帯びた。私の心情を探るようにじっと見つめられて全身が動かない。両手は解けないほど強く握られている。怖い。逃げられない。
オルフェさんはひとりの筈なのに今目の前にいるのは誰? 彼の本質が掴めない。彼が何者かわからない。彼がどこからきたのかも知らない。 初めて出会った時から、彼の存在は異質なものだった。
──あれ、そういえば “オルフェ” という名前の人物は原作で出てきただろうか?
(いない。私が読んだ範囲では出てきていない……! )
もし、彼が『オルフェウスの希望』の登場人物でないとしたら、目の前の彼は誰? 彼の物語においての役割は何?
緑色の目が私を射抜いて離さない。答え合わせの時間が、来てしまった。
「キミは本当にここが、夢の中だと思っていますか? 」




