変化
ノータナーと ≪血の契約≫ を交わしてから、ひと月以上が過ぎた。ひと月と言っても、この数字は、私がこの夢の中で生活をして、眠りについて、再びこの夢の中で目覚めた回数のことだ。初めの頃は、日常的に誰かがすぐそばに居るという状況に適応できるか不安だったが、ノータナーは背景と同化するように、自分の気配を消して、常に傍にいるので、たまに居るとは思えないところにいて驚くこともあるが、気にならなくなっていった。むしろ、ひとりでいるよりも、ノータナーがそばにいることに慣れてしまった。
私とノータナーの契約、一般的に言い表すと、主従関係と呼ばれるものだろう、これは初対面の彼とのぎこちないやり取りからは多少慣れたとは思うが、正直なところ何でも話せる間柄にはなれてはいない。お互いにさぐりさぐりといったところだろう。彼は自分から話そうとせず、私が何か尋ねたら、答えてくれるのが一般的な私たちの間で交わされる会話だった。
彼は私を守護する役割をもつと言っても、必要以上に過保護なわけではなく、私の行動を尊重してくれている。危険と思われるラインを超えたら、嗜めるといった感じだ。その上、ちょうどいい距離感を保ちつつ、彼の気遣いは大人顔負けの素晴らしいものだ。ある日、食事に少し食べ難いものが出てきたことがあった。それに苦労して、いつもよりも時間がかかりつつも完食した食材が、次の日からは味付けも切り分けられた量も変化して出てきた。きっと、ノータナーが調理番に伝えてくれたのだろう。よく私を見ているんだなと感心してしまった。
彼自身の性格は、感情的にならず、というか、感情を表に出さない、控えめ。自分のことはあまり語ろうとしない。この位の歳の子にしては、かなり落ち着いている。エディ兄様と同じくらいの歳であるのに、幾ら契約をしたと言っても、歳下の女の子に、あまりにも従順。なおかつ、観察眼に優れているので、もしかしたら、それはノータナーの ≪神の力≫ に由来しているのではないかとすら思う。彼のバックボーンもバックグラウンドすら、よく知らない私が言うのも勝手なことだとは思うけど……。少し危ういとさえ思ってしまう。
現在は、私の部屋で、アーティ叔母様に借りた、簡単な書物を読んで勉強中。と見せかけて、この夢から目覚める方法を探っている。目線だけを動かして、ノータナーの方をさりげなく見る。時より首元にかけられた玉を大事そうに握っている素振りは見せるものの、表情筋は全く動いていない。もっと彼のことを知りたい気持ちはあるけれど、距離の詰めかたが掴めなかった。
( もう少し、仲良くなった方が、後々にもいいと思うけど…… 。一体どうやって…… )
ノータナーと親しくしたい気持ちはあるものの、彼が他の人と話している場面をあまり見たことがないため、どのように距離を詰めていけば良いのかわからない。もしかすると、立場上、彼と私は友好的な関係に成ることが、できないのかもしれない。ノータナーとの関係性の構築を含め、たくさんの悩み事はあるけれど、解決策すら浮かばない。ため息をつこうとしたが、余計な心配をかけたくなくて、ぐっと堪える。これから、もっと大きな心配と気苦労ををかけようと計画していたところだったから。
本当は、夢から覚める方法を探りに午後から庭の探索をしようと思っていたところ、少し肌寒い風が吹いているからと、止められて今は部屋のなかに大人しくしていた。
庭に出るのは、実は口実に過ぎず、本当は西の塔へと行くつもりだった。西の塔への道は林のようになっているから、少しだけ道に迷ったふりをして、ノータナーを撒いて、オルフェさんとの接触をはかろうとしていた。庭の散策もそのため。最近は、西の塔への近道や抜け道がないか、探しているところだ。何か動こうとしても上手くいかない状況がこのところ続いていることもあり、打開策を求めて何か知っていそうで、話をしてくれそうな、初対面で夢の番人と名乗っていたオルフェさんに会って話を聞きたい。彼に会えばこの夢について知る事ができると思っていた。だが、それはなかなか叶うことがなく、あの日以降会うことができないでいた。おそらく、誰かにオルフェさんに会いたい。などと、口にしたら、周りからいい顔をされないだろう。レオスに至っては強い警戒心を抱いていたから、私が西の塔へ行くこと自体許可が出ないと思う。
(でも、この夢が終わる気配が全くしない……)
何回寝ても覚めても、エレーヌの部屋。私の本来の部屋がどんな部屋かすら記憶が朧げになっている。最近の急激な記憶力の低下も夢に馴染みすぎていることにも不安が増す一方だった。何にも変わらないエレーヌとしての日常。いつもと同じ時間にノータナーはやってくる。彼に私の夢のことを話そうと思えるほどの勇気はまだない。
「エレーヌ、今時間あるかな? 」
「アーティ叔母様……! 」
時より、こんな風に、アーティ叔母様がやってきて時々あの金の杯に入った飲み物を飲む。これも変わらずにエレーヌの日常に溶け込んでいる。でも、そういえば、最近変化したことがある。それはこの飲み物のこと。
「アーティ叔母様、これ味変わりましたか? 」
「え? 前と同じ果実を使っているはずよ。どうしたの? 」
叔母様は不思議そうに私を見つめる。私の思い違いだろうか。でも、
「なんか、前より甘くなった気がして…… 」
杯の中身は前と同じ薔薇色。風味が前と違う気がする。前は酸味の方が強かったのに、今では甘くなってきている。この飲み物をもっと飲みたいと思う事が増えてきた。そう、ここに来て、最近味覚の変化も起こってきた。
「一応毒味もしてあるし……変わってないよ 」
アーティ叔母様は私の手から、飲みかけの杯を受け取って、何やら中身をじっと観察している。異常は見つからなかったらしく、私を心配させまいと、優しく 「大丈夫 」と言って、私の手の中へ再び杯を返した。
「そうですか…… 」
この飲み物に慣れてきたのだろうと、最初はそう思っていた。でも、何かおかしい。これを飲むたびにこの味に落ち着いてしまう。この飲み物とは関係あるかわからないが、それに最近、この夢のなかの世界に上手く馴染んできている。私自身が上手に適応できてしまっている。
不思議なところは沢山あって、その都度、立ち止まっていたのに、今では疑問点も浮かばなくなってきた。夢と信じていたのに、この夢が終わらないものとして、今なら受け止められる気がする。むしろ、この夢が続くように頭の隅で願ってしまっている──。
「エレーヌ、そんなしょげた顔をしないで。 大丈夫。心配ごとはなにもないから、ね!」
アーティ叔母様は、そう言って私を安心させようとしているけれど、笑顔を作っている目元には、うっすらとクマが浮かんでいる。研究や看病できっと寝る時間も取れないのだろう。自分の悩みは、まずは自分で動いて解決策を探してみようと思い、これから心配をかけようとしているアーティ叔母様にも心の中で謝罪をして、気になることを尋ねる。
「あの、エディ兄様の調子は? どうして会えないの? 」
太陽が海に沈む時間が早くなり、緑も減り寂しくなる季節がやってきた頃、エディ兄様が体調を崩して寝込んでしまったのだ。その知らせを受けてお見舞いに行こうとするも、現在もなお止められている。
「……大丈夫よ。会えないのは、エレーヌやレオスも具合が悪くならないようにするためなの 」
そう言いつつも目線を下げた叔母様は、なにかを願うように私の目を見つめた。そして少し早いけれど、もう今日は会えないからと、おやすみの挨拶に額にキスをすると 「よい夢を 」といって部屋を足早に出ていってしまった。
私やレオスはエディ兄様に会うのを禁止されている。その上、エディ兄様の事を誰に聞いても 「大丈夫、心配しないで 」とはぐらかされて、蚊帳の外だ。私たちにはエディ兄様が今どうなっているのか、病状すら、何も教えてくれない。
『オルフェリアの希望』では、主人公が幼い頃にエディ兄様が片目を失ってしまう出来事が回想として描かれていた。もし、その事が今回の体調不良と関係があるにしても、主人公が生まれていないので、その時期にはまだ早いはずなのに……。でもそのきっかけが、いつからなのか、そして病気に由来することなのか、事故で失ってしまうのかは、はっきりとは原作で語られていなかった。もしかしたら、今の状況と、なにかしらかの関係があるのではないかと私は思っている。大人たちの何かを隠そうとしている様子を見ると不信感は募る一方だった。子どもの姿なのが歯痒い。何か出来ることがあれば。とにかく情報が欲しい。今の状況で教えてくれそうな人といえばひとりしか居ない。
「……やっぱり、オルフェに会いたい 」
ノータナーに聞こえないように、そう小さくつぶやいた。そういえば、レオスが前に話していたことを思い出す。「オルフェはたまに現れて 」とか言っていた。神出鬼没の彼に会うために、私の方から西の塔へ今すぐに、行けないのならば、彼から来てもらおうと、まずは彼へ手紙を出すことにした。
『宿題の答えがわかりました 』
誰もが寝静まる頃、一筋の希望を込めて、そう一言書いた手紙を、そっと私の部屋の窓際に置いた。魔法使いみたいな方だから、もしかしたら、私の会いたいという気持ちを察知して来てくれるかもしれない。
今日は雲が月を隠しているから外は暗い。疎まれているとも言っていたので、他の人に会わないように隠れて、彼が移動する時に、王宮の端っこに位置する、私の部屋の前を通ってくれますように。そしたら、私の手紙にも気づいてくれるのではないか。そんな小さな望みにかけて、私は彼が手紙を受け取ってくれることを祈って眠りについた。
──翌日、窓際を確認すると手紙はなくなっていた。




