普通とは II
エレーヌ殿下が起きる時間を太陽の光の影で予測して、もう起きる頃だろうと思い、準備を整えて、主人の部屋の前に立つ。この役目は今日から私の役割となった。先日習ったばかりの、エレーヌ殿下の日常生活の過ごし方をもう一度頭の中で復唱し、この時間だと再確認して、外から声をかけた。入室の許可を貰い、部屋へと入った。
「昨日の疲れは残ってはいませんか? エレーヌ殿下 」
顔色は思ったよりも良く、先日まで、長い眠りについていた少女とは思えない快復ぶりだ。これなら食事も摂ることが出来るだろう。エレーヌ殿下の体調を確認した後、部屋の空気を、入れ替える。夜の気配を全て外へと出し、陽の光が部屋へと入るようにする。
「ありがとう。思ったよりも大丈夫。今日もいい天気だね。ノータナー 」
そう朝の挨拶を交わしながら、エレーヌ殿下の視線は私の目を捕らえて離さない。私の目は怖いと言われることがあり、幼い子を泣かせてしまうこともしばしばある。こんなにも、じーっと見つめられたことがないため、少し調子を崩してしまう。このくらいの歳の子は、最初は怖がるはずなのに、エレーヌ殿下は会話をするにも、ちゃんと目を合わせてくれる。エレーヌ殿下は肝が据わっていらっしゃる。
ふと、こういうことが特別なのだろうか? などと思ってみる。昨日散々考えた特別と普通。過去を回想するばかりで、特に普通についてあれから答えは出なかった。
朝の支度をして、──安静のため、暫くは自室で食事を摂ることになっている──エレーヌ殿下は朝食に、オリーブを入れた麦粥とチーズを、不思議な表情をしながら、少し慣れない手つきで召しあがった。食事が終わると、髪を器用に結びはじめ、今日は、アーティ殿下の研究室へ出かけるとおっしゃっる。なんでも、聞きたいことが山積みらしい。エレーヌ殿下の記憶が危ういと危惧しているのは、状態を聞いていた私だけではないようだ。器とプシュケーの安定のためにも、溢れてしまった知識を取り戻さなくてはならない。そのための訪問だそうだ。
実は、今朝私はここへ来る前に、アーティ殿下にお会いしていた。この新たな契約のため、状態を確認しにきたのか、それとも生徒の一人として少し気になられているのか、アーティ殿下の好奇心や研究心はとどまる事を知らない。研究者、医師、複数の役割を果たすアーティ殿下の日々は多忙を極めている。アーティ殿下は私のここでの暮らしを教えてくれた先生でもあり、今も呼びつけられては、時より僕はどうだとか心配していただいている上に、お菓子を──アーティ殿下は堅苦しい言葉を好まないため、やや砕けた言葉を使用する。──もらっている。アーティ殿下の説明は、私があの人から幼少期に教わった授業よりも易しくわかりやすかった。師匠──あの人はあの人なりの、同じ境遇である私への優しさだろう、それはもう、きっちりと厳しく躾けられた。
アーティ殿下は、私がまだ眠い目を擦りながら、出てきたことに少し苦笑いして、ある物を指で示した。
「ねえ、ノータナー。その玉さ、首から掛けられるようにしとこうか? 」
「これをですか?」
眠る時もそばに置いていたこの玉を私が両手でそっと包み込むのを見て、この事だと、笑顔をみせる。このように、アーティ殿下は、私がここに来てからも、師匠亡き後も、面倒をよく見てくれる。私の特異性を研究テーマのひとつにしている事もあるからだろう。研究者兼医師である彼女は手先が器用であり、なおかつ、契約方法も成立させた方── ≪血の契約≫ もおそらく、アーティ殿下が開発した方法だと、私は密かに推測している。──に、預けておくには、いいと思う。でも少しだけこの色が手元から、なくなるのは寂しいと感じてしまう。それを察知したのか、アーティ殿下は、「直ぐに作って返すから大丈夫よ」 と優しく微笑んで、私がおずおずと差し出した玉をそーっと慎重に持つと直ぐにいなくなってしまった。
アーティ殿下のエレーヌ殿下への授業は思ったよりも長くかかり、研究室の外に出てみると日が暮れていた。夜の時間は危ない。エレーヌ殿下を狙って、何が出てくるかわからない。足早に、エレーヌ殿下を部屋に送り届けた。そして、疲れていたのだろう、すぐ眠ってしまったエレーヌ殿下を見て、それからエレーヌ殿下の部屋や周囲の安全確認を行い、自室へと戻った。
そして今夜も考える。いただいたお菓子を食べながら昨日の続きを書こうと、葦ペンを取った。
そう、普通について── ≪神の力≫ を持っている者がミィアス国には存在していて、その者たちは受け入れられている、謂わばそれが普通とされている。彼らは適材適所でそれぞれ役割を持ち、 ≪神の力≫ は国の内政や外政にも活かされているとあの人に教えられた。
あの人は後天的に力を持ったからか、力を持っていない人との違いも時より話してくれた。普通と特別と異常。どれもが複雑な事情が絡まっている。全ての立場を見聞き知った時、私は自分は異常だと思っていた。寄宿舎へ入ってからは、以前の私の過ごしていた環境では特別とされていても、ここではそれが普通だと徐々に受け入れられていった。だが、ある時その力の中でも、私の ≪神の力≫ は特殊だと判明した。
「やっぱりここでも普通じゃないんだ…… 」
(せっかく普通だと思えたのに……!! )
一つの器で二つの意識を持っている私は、はじめての事例だという。そして、尚更悪いことに、何も知らなかった頃の私が、僕──もう一つの私の意識──に名前を与えて、個として認識していたため、その上、それが私の中では普通だと、生まれてからミィアス国へ来るまで、思っていたがために、本来とは異なる力が発生してしまっていたという。
更に、ミィアスの天秤より、僕は、 ≪アンディメーナ≫ と審判を受けた。これは、≪呪い≫ になってしまう危険性が高いと判断されたという事。僕はその性質を持っているという。 ≪呪い≫ とは力を使いすぎた場合、器やプシュケーに影響を及ぼし、自我が保てなくなり暴走してしまう事を言う。僕が ≪呪い≫ により暴走することは、必ず避けなければならないことだった。僕の意識に乗っ取られてしまい、暴走してしまったら何を仕出かすかわからない。僕は──だから。
私あるいは僕の ≪神の力≫ は異常だ。起きている間の私は穏やか。だが、夢の中の僕はプシュケーを侵食してしまう。最悪の場合、凶暴化してプシュケーを簡単に失って、理性をも取っ払って力を奮ってしまうだろう。
あの人に会う前に頻発していた日中で出てくる僕は、太陽が出ている間に生活している、私のプシュケーを奪おうと、器ごと乗っ取ろうとしていたのだ。
数年間、みっちり私は力のコントロールの仕方を教わった。私の特殊な ≪神の力≫ の研究を行いながら。僕が出てこないように、プシュケーを正常に戻す方法を幾つも繰り返し行った。それまで聞いたことのない言葉を使いながら、暴走をしないように制御の方法を習った。僕を押し殺そうとした。でも、段々と、それに抵抗して、夢の中の僕が私に話しかけるようになってきた。その時の私は目の色が赤くなる。あの人はそれを咄嗟に見つけて僕に意識が乗っ取られないように、そして、私を混乱させないように、僕だけを夢の中へ誘う。
僕が抑えきれない。この僕が ≪アンディメーナ≫ の性質を持っている。私が完全に乗っ取られて、 ≪呪い≫ が発現したら?
夜に生きる人間が、力を奮い活躍できる役割としたら、密命の遂行。いわゆる秘密裏に政治的影響力を持つ者や力を持つものを殺める、暗殺。任命される役目は人を殺すこと。僕の力はそのこと遂行するのに適していたため、それも状況に応じて命令に含まれるかもしれないと危惧したあの人は、それを免れようとアーティ殿下に僕が出てこない方法を研究するように頼んでいた。
そして、僕が私を乗っ取り、凶暴化してしまう前に、僕の ≪神の力≫ を縛ることになった。僕の名前を強制的に縛り付ける。私から取り除き眠らせる。 ≪ミィアスの剣≫ と神の代わりに力を管理している王がいればこの縛りは永遠だ。私が乗っ取られてしまわないように、僕を排除した。縛りによって、僕が持っていた意識も記憶も失われた。
──僕は普通になった。ならざるを得なかった。
僕の力が強すぎるために、しかたないことだった。でも、時々寂しく感じてしまう。はじめてできた友達のように思っていたし、僕がいることが私に取っての普通だと思っていたのに……。
「制御できるように、プシュケーを鍛えよう。太陽の下で生活する君が強くなればいい 」
そんな私をみて、あの人は私が寄宿舎に入っても、僕が居なくなっても、変わらずに顔を出して特訓をしてくれた。あの人は、私の特別な人を守るための力を磨き上げてくれた。そのおかげで、今の私はエレーヌ殿下を守護する任務を与えられている。
でも、僕がいなくなって暫く経ったある日、エレーヌ殿下をひと目見た瞬間から、同じ夢を繰り返し見てしまうようになった。それは花畑の夢だ。いつもそのなかで、美しい金の髪をした少女が見える。咲いている花は、いつも同じで、他の国で見たことがある花だった。
今度、両親に手紙を出そう。あの花はなんですか──?と。幼い頃の記憶にどこか残っている花の名を知りたい。もし、花畑で出会ったあのお方に本物の花を贈ったら、どんな特別な表情を見せてくれるのだろう。
「エレーヌ殿下は特別 」そう教わった。
──私とエレーヌ殿下の関係は特別になれるだろうか?




