秘儀のはじまり
右手に松笠や蔦が巻きついている杖を携えた青年が、穀物の穂をほぐしている。パラパラと砂のようにこぼれ落ちるソレは、籠を満たしていった。
「この世界は最初から狂っている。なぜなら、歪んだ感情で創設されたから。あろうことか、下界で人間として生を受けてしまったあの方を救うため、利害が一致した私たちはこの世界に介入したことを忘れないでください。そして、死と再生、消滅と復活。それぞれに関わりが深い者が集まって、彼女を輪に引き摺り込みました」
杖を持った青年から、その籠を受け取った全身黒ずくめの格好をした男が、罪を贖うように悲痛に顔を歪ませ、しかし芯が通った落ち着いた声で言葉を発した。
「自分の死の躍動に駆られてしまいました。……あのお方が、人間に殺されるならば、と考え手を下しました。この世界で以前から考えていたことです。その衝動により、己の攻撃的な側面を堪えるのができませんでした。そのきっかけは国の王が死に、枷が外れたことにはじまります」
「そもそも、私は反対だったのです。悲しみの輪に彼女を迎えることなんて……。運命に縛られて、幾度も引き戻される。悲劇に囚われるのは必然的でした。そろそろ解脱してもいいはずです」
彼らの話を聞かず、竪琴を奏でていた詩人が手を止めて、不満そうに意見を述べた。
それにすかさず、杖を持った青年が言い返す。
「貴方だって、彼女と共に在りたいでしょうに! 望んだ姿の彼女になるまで、死と蘇生を往還することに私は肯定的な立場ですよ」
「それが貴方の起源、専門分野だからでしょう? 私も関係が深いことは否定できませんが……。なので、彼女を迎えに行き、案内人としての役割を担っています。その前提があるので、存在の忘却を免れるために、聖なる記憶の泉の水を彼女に飲ませようとしているのです。ですが、もう既に彼女は記憶を一部取りこぼしてしまいました」
詩人はそう言って、籠を逆さまにした。中に入っていた穀物が大量に周りに散らばる。それに構わず、彼は音色を生み出す美しい指で、穀物をさらさらと掬っては、籠に入れる動作を繰り返した。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、いままでそれを興味なさそうに眺めていた、涼やかな香りを漂わせた男だった。
「はあ、冥界に少しでも長くいて欲しいという私の願いは妨害者によって阻止されてしまいました。悲劇が誕生してしまったのは、もう変えることができない事実でしょう? 繰り返すことを定められているですから、その宿命をいいように操れば良い。……そうです、彼女に神聖を授けましょう。皆さま、かけがえのない彼女を手に入れることができるのは、彼女の盃を満たしたものだけだ。という私たちの盟約は守ってくださいね」
それぞれの目を合わせ、再度誓いあった。彼らは決して最後までわかりあうことができない思惑を抱いて、この世界に介入していく。あらかじめ定められている理に縛りを受けていることだけが、唯一の懸念点だった。
「演じられ、語られ、明かされる。この三つが揃ってこそ、儀式は完成されるのです。今は演じている段階に過ぎません。語る媒体は手に入れました。次は、明かすだけです」
この世界には ≪神の力≫ という特別な力を持って生まれてくる者たちがいる。 ≪神の力≫ は神からの恩恵と言い伝えられていた。授けた神の逸話に由来しているその力は、人ならざる者の力である。
その力をもつ者は崇められている国が存在している一方で、人智を超越した力をもつが故に、時には災いをもたらし世界を破滅させるほどの脅威にもなり得ることから、恐れられていた。
──神から選ばれし者だけが神の力を授けられる
その特別な力を持つ者は時には讃えられ、時には恐怖の対象とされている。力を持っているとて、良いことばかりではないのだ。
その一つに、≪神の力≫ をもつ者たちはある縛りを神から力と共に与えられていた。
≪神の力≫ を持つ者たちは皆プシュケーが神の理に囚われている。
というのも、彼らの運命は、力の由来する神の逸話によって予め定められているからだ。このことを研究者は ≪エピソード≫ と名付け、時代が降るにつれてそれを解明する研究が盛んになり、このデメリットが存在していると浸透していった。
近年の研究では、力を酷使しすぎると、 ≪呪い≫ というものが発現する確率が上昇してしまうということ。そして、器が未熟でプシュケーも不安定な場合には、力を扱いきれず ≪暴走≫ を起こしてしまう。 という最大の問題も判明してきた。研究者たちはこれらの問題をどう対処するか、日々研究と実験に追われている。
プシュケーはエピソードをなぞるように器を行動させる。外部からの妨害等により、エピソードが崩れてしまい、エピソードの条件が達成しない時、最悪の場合 ≪呪い≫ となり、力が暴走して世界を破滅させてしまうと古来から伝えられている。 ≪呪い≫ が生じたら最後、何かを犠牲にしなければならなかった。
この強制力と引き換えに、神によって与えられた使命や運命を克服してはじめて真の力を手にできるとされている。
ミィアス国では、まだ神と人間の境目が曖昧な神話時代から神と王家は近しい関係にあった。神話末期の古代のとある神託以降、代々王が ≪神の子≫ となり神の代理として力を持つ者達を管理していた。
そして、王と力を持つ者達の契約のために、神から授けられた聖遺物が三つ存在するとされている。これらは歴代の王の継承式で引き継がれ、全て揃っているからこそ、力を管理し平和を維持できているのだった。
ミィアス国王は、神より授けられた力と権利で、 ≪神の力≫ をもつ者たち全てを管理している。しかし、この絶対的な力を持つ王にも弱点があった。
それは、次世代の ≪神の子≫ が誕生すると、己の力が弱体化すること。それによる弊害はこの国にとっては膨大な損失だ。
例えば、 ≪神の力≫ をもつ者たちの管理が次第にできなくなり、交わした契約や力を押さえつける縛りも効き目が弱くなってしまう。
維持するためには、 ≪神の子≫ のもつ力を必要以上に使うしか他ならず、王の器とプシュケーは次第に脆くなり、やがて エピソードに飲み込まれ死に至ってしまう。力の由来である神の ≪エピソードの記憶≫ が発現すると器を滅ぼしてしまうのだ。いくら神に由来していている力を持っていようが、所詮身体は人間だから脆いのだ。彼らの死の訪れは、神から授けられた呪いである。
ある年の晴れた日、次世代の ≪神の子≫ が生まれた。この次の ≪神の子≫ になる者は他の者よりも巨大な力を持つ代わりに プシュケー は清く美しく穢れに弱く、そしてその子の プシュケーは誰もが魅了される特徴を持っていた。だが悪いことに、この子の誕生はこの世界の安寧に綻びが生じた瞬間でもあった。何故なら、その子には、エピソードが欠けていたのだ。それに気付き、危機感を抱いた王たちはある計画を実行することにした。
小さな糸のほつれは、やがて大きな穴となり ≪呪い≫ が生じたこの世界は破滅への道を歩むこととなる。