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サクラの唄  作者: 蓮久
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そして僕はサクラの存在を知った

その日は雨が降っていた。

理解出来たのはそれくらいなもので、雨が服を通して肌に触れても温度は感じず、外の匂いも、人混みから来る声も、自分が何者だったかさえ思考することが困難であった。

視線の先には歩道にはみ出し、横転した車とアスファルト上を雨と流れる人の血が写る。


-何で…どうして、私じゃなかったんだ-


込み上げてきたものは涙ではなく憎悪であった。

しかしその感情に行き場はなく、誰に向けるでもなく、ただ私の中をぐるぐると回り続けるものであった。

そんな私の 頭の中はぐちゃぐちゃで、群衆の声も聞こえない。

はずであった。


「命をコウカンする方法ならある」


私の横に立っている和服の男がそう言った。

男は30から40歳くらいだろうか。

カンカン帽を深く被っているため顔を認識することは難しいが、短髪で和服の良く似合う男であった。

「お前がどうしても救いたいものだったのだろう?」

そう和服の男は言った。

「誰だ、アンタは…」

「なに、名乗るほどの名前はない。ただ…」

「ただ?」

男は何かを考え込むかのように少し間をあけてこう続けた。

「いや、お前さん。今から言うこと他言しないと約束できるか?」

「…」

「約束する」

約束の内容が何なのかは分からなかった。しかし、私が守ることが出来なかったものを取り返す手段があるのならば、どんなものでも縋ってやろうと思えた。

「…そうか」

和服の男は静かにそう言うと続けて口を開く。

「それじゃあ行こうか」

「行く?何処へ」

「なに、ちょっくらサクラでも見にね」

男は口角を少し上げながらそう言うと、私や群衆に背を向けて歩き始めた。

男の言うサクラが私達が知る桜ではないことは、男の口調から何となく感じ取れる。

それでも私がその場を後にして、男について行ったのは、そのサクラを見れば…いや、サクラと会えば何かが変わるのかもしれないと心の底から思えてならなかったからであった。

私は別れを告げて、靴で雨水を踏みつけながら細く暗い路地の中へと入っていった。




朝、僕の心地良い睡眠の時間は郵便配達員の歌で終わりを迎える。

「右を通らせ学び舎のぉ〜上を歩こう陸橋をぉ〜………」

「…またか……毎朝うるさいなぁ」

肩まで掛かっていた布団を頭まで被る。

なんて目覚めの悪い朝なんだ、何時もより5分も起きるのが早いじゃないか。

雀や烏なんかに起こされるのもごめんだが、なんでたって配達員のおっちゃんに起こされなくちゃならないんだ。ただでさえ俺を起こしに来るやつがいるってのに。


「おーい。マツタケ起きてるかー、朝飯できてんぞー」

噂をすれば何とやら。

いつもの台詞を吐きながら階段を上って来る音が聞こえる。

「マツタケ起きてないなら部屋はいんぞ」

「だー!起きてる!起きてるから!部屋には入ってこないでって!」

「はい、失礼しまーす。」

「いや、普通に入ってくるじゃん!」

部屋のドアが開いて、いかにも好青年という顔立ちの男が姿を見せる。

そうコイツだ。

コイツの名前は左之助。俺の唯一の兄弟であり、2つ上の兄貴だ。

「おはよう。マツタケ」

マツタケと言うのは僕のあだ名であり、勿論本名ではない。

最初に呼び始めたのは母親で、特に意味は無いらしい。そしてそれを見た兄貴が面白半分で呼び始めたのは容易に想像出来る。

しかし、困ったのはそれからであった。

兄貴が学校で僕をマツタケと呼んだのだ。

その結果、このヘンテコなあだ名は学校中に周知され、クラスメイトも皆この名で呼ぶようになってしまった。

友達も先生も、もっと言えば友達の保護者までもが僕をマツタケだと思い込んでいるっていうわけ。

俺は菌類か何かか。

まぁそんなこんなで学生名簿に記載されている名前がマツタケになる日は、そう遠くないのでは無いかと本気で考える。

元から我が家は由緒ある呉服屋で、名前が古臭いものばかりであるのだが、どうやら壊滅的なネーミングセンスは先代譲りだったらしい。



僕は左之助と共に1階のリビングで朝食を済ますと、家を後にして高校へと向かった。

僕と左之助は同じ高校に通っている。

と言っても僕は今年入学したばかりの1年生で左之助は受験期真っ盛りの3年生だ。

「うぅ。寒い…」

そう、今はもう10月。

高校のロータリーに並ぶ桜の木も徐々に服を脱ぎ捨て始めている。

僕は肩を上げて、あからさまに寒いですよと言わんばかりの仕草をしながら昇降口へと踏み込んだ。

「そういえば、今日親父帰ってくるの遅いらしいから」

左之助が別れ際にそう言った。

最近、親父は朝早く出て帰ってくるのは遅い。

親父曰く、倒産寸前、リストラ寸前だった会社が持ち直して仕事が山のように入り込んできたらしい。

僕がそんな奇跡あるのかと聞いたら「奇跡はあるよ」と答えていた。

どうしてか、僕はその時の親父の顔が今でも忘れられない。

まぁそのせいもあってか、最近僕の体調もすこぶる良い。きっと朝におかしな歌を聞かなければもっと体調が良くなるに違いない。


僕は上履きに履き替えると長い長い1日を始めるために、我が教室へと向かった。





予鈴がなった。

小学校から馴染みのある音が午前の終了を知らせる。

「マツタケ!マツタケ!飯食おうぜ!」

一人の男子生徒が弁当を片手に僕の席へとやって来た。

「はぁ、夏彦…」

僕は机を反転させて、後の机と繋げながらため息混じりの声で男子生徒の名前を呼んだ。

「そんな辛気臭い声出すなよ。俺はお前がこうして学校に来れるようになって嬉しんだぞ」

「本当に僕のことを思っているなら、僕をマツタケと呼ばないでくれ…その呼び方、嫌いなんだ」

「外見がマツタケっぽいお前には似合っていると思うがな」

「マツタケっぽい言うな。ってかマツタケっぽいってなんだ。確かに筋肉量は少ないし、身長も低い。髪だって首まであるが、これのどこがマツタケっぽいんだ」

「はいはい」

「おい……」

夏彦はくすっと笑うとまぁまぁと僕を宥める仕草をして見せた。

「あぁ、そうだ。夏彦、一つ気になっていたことがあるんだが」

「ん?」

僕は弁当箱を開けながら質問を投げかける。

「このクラスに崎ヶ谷って言う、女子生徒がいただろ。最近あいつ登校してないみたいだけど何かあったのか?」

夏彦は卵焼きを掴みかけていた箸を置いて、僕に顔を近づけると「ここだけの話…」と言って話し始めた。

「お前が登校してくる前にな、崎ヶ谷は確かに登校していたんだ。しかし、ある日を堺に急に姿を見せなくなった。」

「どうして…」

「いや、理由は分からない。センコーは体調不良だって言っているが、こんな長い期間休むのは流石に妙だ。生徒の中ではイジメがあったんじゃないかって話もある。」

「何時から来てない?」

「もう5ヶ月になる」

「入学してからすぐじゃないか。でもそうなると入学したてでグループができ始めるあたりで起きるのも納得が行くな。あ、いや入学式しか出てない僕が言える質じゃないな」

夏彦は「確かにな。まぁだが、お前が来たならアイツもいつかまた来るさ」と言って、再び箸を手に取った。


イジメ……嫌われ者って事か。


その日、崎ヶ谷の話はそれ切りだったが、僕の中では面識もろくに無い、その女子生徒のことが気にかかって仕方がなかった。

きっと同じ嫌われ者だから親近感が湧いたのだろう。

「本当にまた、来れるのだろうか」

「ん、マツタケ何か言ったか?」

「あ、いや何も。それより早く飯食おうぜ。せっかくの昼休憩が終わっちまう」

僕はそんなことを言ってうやむやにした。

誰かが言っていた。イジメを見て見ないふりをする者は立派な加害者なのだと。

その基準で言えば、僕はもう立派な加害者なのかもしれない。

まぁ、それも本当に崎ヶ谷がイジメにあっていて、その結果、不登校になったという話が真実なら、だが。



-5ヶ月前……僕の記憶の中でその数字の時に、何か大きな出来事があったはずなのだが、流れ去る日々の中で記憶は朧になっていた。



それから1ヶ月後の放課後、各々が教室を後にする中、僕と夏彦は2人で残っていた。

「夏彦……お前部活はいいのかよ。剣道部の先輩たち怖いんだろ?」

「怖いことがあるか、優しい先輩達だよ。」

夏彦の声は震えている。

夏彦はゆっくりと部活に行く準備をしながら、ソワソワして僕の方を見ていた。

「何か僕に言いたいことがあるのか?」

最初に切り出したのは僕の方だった。

「んーあぁ…まぁね」

夏彦は一呼吸置くと、手を止め、椅子の背もたれにもたれかかって天井を仰いだ。

「あのさ、もう俺が何を言っても聞かないかもしれないけど、崎ヶ谷の……あいつの事は深く詮索しない方がいいぞ。」

分からなかった。

何故か夏彦は崎ヶ谷のことについて、僕が密かに調べようとしていることを知っている。そしてその件で僕の知らないことを知っている。

「言ったろ。崎ヶ谷はイジメで不登校になったって。」

その一言が決定打だった。

分からなかったのはそれだけでは無い。

夏彦が全くの第三者である崎ヶ谷失踪の秘密を隠そうとする理由が不明であった。

勿論、僕は夏彦の全てを知っている訳ではないから、実は二人は遠い血縁関係なのだと言われたら信じざるを得ない。いやいや、そんな出来た話があるか。

「ありがとう、夏彦。だけど俺は知りたいんだよ。崎ヶ谷失踪の真相を。どうしても崎ヶ谷を他人とは思えないんだ、似たもの同士さ…。」

「そっか、まぁそうだよな。だけどマツタケ、これだけは言っておく。」

夏彦はそう言うと、少し言葉を溜め込んで再び口を開いた。

「唄には気を付けるんだぞ。間違っても覚えようなんて思っちゃいけねぇ。あれはお前をサクラへと誘う呪いなんだ。」

「……サクラ?呪い?」

僕が聞き返す声が聞こえなかったのか、聞こえないふりをしたのか、夏彦は「じゃあな」と一言言い残して早々と道場へと行ってしまった。

僕は独りになった。

僕は一体これから何に触れようとしているのだろうか、真実を知ろうとすればするほど、その先にある真相の正体が得体の知れないモノに感じて仕方がない。

「サクラね……」

僕もリュックサックを手に取ると、少し開いていた教室の窓を閉め、自分の机の位置を直して、教室から出ることにした。

その日は崎ヶ谷失踪から丁度6ヶ月目のとても綺麗な夕暮れの見れる日であった。



その日の帰り道。僕は通学路の途中にある夜百舌川の河川敷を歩いていた。

いくら雪がまだ降っていないとはいえ、流石に11月ともなれば、手先が真っ赤になるほど寒かった。

そんな日に河川敷で遊んでいるのは小学生くらいなもので、ましてや芝に寝転がりながら呆けている者などいない。

……いない。


「……」

「おっちゃん…何やってんの」


その姿には見覚えがあった。

その人は毎朝仕事で着る制服を身に付け、頭の後ろで手を組みながら、煙草を咥えていた。そう。あの歌の、あの郵便配達員である。

「ん?あぁ、屋敷の次男坊か、顔をあわせんのは初めてだな」

確かに。言われてみれば初めてだった。

僕はこの人の事を一方的に知っていたし、この人も僕のことを一方的に知っていたのだろう。ん?それは最早一方的とは言わないのでは?

「で、なんの用だい?」

「あ、いや。寒くないんですか?風邪ひきますよ」

「もう風邪なんて引かないよ。それに寒くもない」

僕は特にそれ以上聞くことも無く、ただ「そうですか」と答えた。


それから少しの時間おじさんと僕はお互い会話することなく夕日を眺めていたが、僕は前々からおじさんに聞こうと思っていたことを思い出した。

「あのすみません。前々からおじさんに聞こうと思っていたことがあるんですけど」

そう言うとおじさんは、芝から体を起こし、僕の目を見た。

「あの歌のことだね」

僕は頷く。

「君には悪いことをしたと思っている。毎朝聞きたくもない歌を聞かされて起きるんだ、それは嫌にもなる」

「じゃあなんで…」

おじさんの視線で僕の言葉は押し殺された。そして、おじさんは再び夜百舌川の方を見やるとゆっくりと僕に問いかけた。



「君はあの歌についてどこまで知っているんだい」



僕はその一言で自分の考えが正しかったのだと確信した。

「あの歌が…サクラに誘う唄なんですね」

おじさんは肯定の現れか、目を閉じると唄とサクラの関係について話し始めた。


「この歌はね、君の推測通り、唄の歌詞がサクラへの行き方になっているんだよ」

「おじさんはサクラに行く?見に行くってこと?」

「ううん。サクラに行くんだよ、会いに行くと言った方が正しいかもしれない」

「人の名前なの?」

「いいや、人の名前でもない。サクラはサクラだよ」

「分からない。おじさんはサクラに行ったことあるんでしょ?じゃあ勿体ぶらずにサクラが何か教えてくれよ」

おじさんは少し俯きながら首を左右に振った。

「行ったことはあるが教えることは出来ない。それは他でもない、君のためだ」

僕は、いつもまでも求めている答えに辿り着けない気がしてならなかった。

「じゃあさ、おじさん。おじさんがその道を教えてくれよ。行ったことがあるなら簡単でしょ?歌詞だって覚えているはず」

おじさんはまたしても首を左右に振った。

「サクラは場所じゃない。空間や概念の話なんだよ。だから道順はあるが道はない。たどり着く方法はただ歌いながら歩くだけ。それだけ。それに私はね、歌詞なんて知らないんだよ。行きたいと歩いていれば自然と口ずさんでいるし、自然と着くんだ」

「分からない」

「そのうち分かるさ」

そう言うとおじさんは徐ろに立ち上がり臀部に着いた土を払った。

「屋敷の次男坊。君はこれから意図せずサクラに近づいていく、残念ながらこれはもう決まったことだ」

「…。」

「そしてそれは同時に君がサクラの真相を知るということ。もしかしたら君には大きすぎる負担かも知れないが、真相を知った時君は選択を迫られる。勿論選択するのは君自身だ」

「それを間違えるとどうなるのさ」

「間違えなんかない。しかし正解もない。どっちを選んでもいいよ」

「おじさんは選択肢を知ってるの?知ってるんだったら教えてよ」

「あぁ、勿論。でもね人によって選択は違うから、残念ながら君に教えることは出来ない」

僕の知りたい答えにたどり着かないまま、おじさんとの会話はあっという間に時間を飲み込んでいった。

そして気が付けば夕日も、あと少しで山の向こう側へと沈もうとしていた。

夕日が半分沈んだ頃、おじさんは「もう行くね」と一言吐いた。僕は不満そうな顔をして見せたが、おじさんはそれを見て少し笑った。おじさんはその後、僕に背中を向けて歩き始めたが、それを思い出したかのようにまた僕の方を見た。

「そうだ。今君のクラスに1人、学校に来ていない娘がいるね。その娘は明日学校に来ることになるけど絶対に私とのことを話してはいけないよ」

僕は意味がわからず頷くことさえも忘れていた。

「そして、もし私が喋ったことが正しいと感じるか、周りがおかしいと感じたら1週間後の今日、同じ時間にこの場所に来なさい」

そう言うとおじさんは満足した顔をして、踵を返し再び歩き始めた。


次の日の朝、いつものように寝室の窓から朝日が差し込み、覗き込めば裸になった木々が揺れているのが見えた。いつもと同じ朝、同じ日常。しかしただ1つ違うものがあるならば、朝刊が投函されていなかったことだろうか。


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