03.晩成男子と空手女子。法律は存在しない。
藍は僕と同じくこの街の開発が始まったばかりの六年前に移り住んできたらしく、いったいなんの縁か中学、高校とずっと同じクラスだった。
「朝っぱらからなんだよ、いったい」
僕はうっとおしいほどに元気溢れる藍の顔を見て言った。
コイツは出会った当時から無駄に元気で、その有り余る元気の良さは周囲の人間から奪い取っているんじゃないかと思うほどだった。
例えるなら、真夏の太陽といったところだ。
いつも明るく、そして暑苦しい存在である。
「もう。なんだよじゃないでしょ、朝からダラダラと歩いちゃって。こんなにいい天気なんだから、もっとキビキビと歩きなさいよ」
藍はまるで母親のような口調で言った。
そして、小さくジャンプするように軽い足取りで僕の隣に並ぶと一緒に歩き始める。
その動きに合わせて中学生のころから変わらないショートヘアが揺れる。
藍の身長は僕とほぼ同じで、女子の制服を着ていなければ細身の男子生徒にでも見間違えそうな雰囲気をしていた。
「朝だからダラダラしてるんだよ。僕が朝弱いの知ってるだろ」
僕は隣を歩く藍に向かって自分の正当性を主張する。
僕の知る限り、朝だから元気でなければならないという法律も校則も存在しないはずだ。
藍はやれやれと言うように首を横に振る。
「アンタの場合、一日中似たようなもんじゃない。ホント、二年生になったっていうのに全然成長が見られないんだから」
「うるさい。僕は晩成型なんだよ」
たぶん。
自分の成長速度なんて知らないがそういうことにしておこう。
「はいはい。その様子じゃ晩成するのはいつになるのやら」
藍は呆れたように言った。
「アンタも新学期を機に空手始めてみたら? 心も体も鍛えられるわよ」
そしてそう続けると、有り余る元気を放出するかのように空中に向かって正拳付きを放った。
――ボフッ!
藍の拳は目にも止まらぬ速さで空気を切り裂く。
シロウト目に見ても十分な破壊力を感じさせる正拳突きだった。
この香坂藍という人物、学力テストでは常に平均点以下を低空飛行しているのだが、こと運動能力においては類まれなる才能の持ち主だった。
どんなスポーツでも平均以上にこなし、体力測定では男子の上位をも上回る勢いである。
女子では入学以来断トツの校内一位の称号を保持していた。
特に小学生のころから続けているという空手では全国トップレベルの実力らしい。
しかし、あいにく登美ヶ丘市には空手道場がまだなく、この街に移り住んでからはもっぱらネットで通信空手に勤しんでいるようだった。
「空手ねぇ、あいにく興味が湧かないなぁ」
僕は藍の正拳付きを横目に見ながら言った。
なぜ好き好んで他人と殴り合って痛い思いをしなければならないのか。
それが武道と言えばそれまでだが、僕にはまったく理解できそうにない。
あいにく殴られて喜ぶような趣味は持ち合わせていないのだ。
僕の言葉に藍はため息をつく。
「ハァ……、相変わらず無趣味ねぇ。アンタも運動神経はそんなに悪くないんだから空手じゃなくてもなにかスポーツすればいいじゃない。古人曰く『健全な精神は健全な肉体に宿る』よ、心身ともに成長しなさい」
藍は右手の人差し指を立てると、どこか気取ってそう言った。
きっとこれが藍の精一杯の知識なのだろう。偉い偉い。