35.9番街。今夜、私が頂くのは。
先輩の姿が公園から消えると僕はコンキスタを終了する。
そして、エクステンドを着けたまま近くの9番街と向かった。
セントラルアヴェニューの隣のストリートである9番街は飲食店が多く集まる通りだ。
カフェやカジュアルレストラン、居酒屋からスタンディングバーまで様々な飲食店が並んでいる。
そのまま家に帰ってもよかったが、家にあるのはレトルトのご飯と冷凍のおかずくらいだ。
せっかく近くにいるのだから何か買って帰ろうというわけだ。
この数時間だけで色々なことが起きすぎた。
目まぐるしい一日の終わりくらいはおいしものを食べてゆっくりと過ごすべきだろう。
僕はエクステンドのAR表示をオンにして9番街へと踏み入れる。
そこにはヴァーチャルによって拡張された賑やかな通りが広がっていた。
ネオンカラーの看板、明滅する照明、巨大な映像広告、匂いまで漂ってきそうな3Dヴィジョンの食品サンプル。
あんなことがあったせいか、まぶしいほどの光に彩られた雑多な通りに僕はふと安心感を覚える。
9番街は平日の夜にも関わらず多くの人が行きかっている。
そして、そのほとんどの人がARデバイスを着けていた。
僕にはもう当たり前の光景だったが、物見遊山にやってくる観光客はその様子に不思議な感覚を持つそうだ。
僕は何を食べようかと思案しながら9番街を歩く。
空腹は最高のスパイスというが、走り回ってお腹の減った今の僕には目に映る全てがおいしそうに見えた。
「あら、陽成じゃない」
僕が店を探しながら歩いていると聞きなれた声が聞こえてくる。
振り返り車道を見ると、そこにはロードバイクにまたがる藍の姿があった。
藍はロングのTシャツに七分丈のジョギングパンツ、スニーカーという姿で背中に大きなバッグを背負っていた。
みたところ、飲食店の配達のアルバイトの途中のようだ。
藍が運動がてらにフードデリバリーのバイトをしていることは知っていたが、その姿を見るのは初めてだった。
「こんな時間に9番街にいるなんて珍しいわね」
「オマエこそこんな時間までバイトか?」
僕は言った。
時間はもう八時を過ぎている。
登美ヶ丘高校では健全な学生生活のためにアルバイトは夜八時までと決まっている。
まぁ、なかには涼のように隠れて不健全なアルバイトに勤しむ学生もいるのだが。
「さっき終わって今から帰るところよ」
「そうか。そりゃご苦労さん」
こんな時間まで人力で配達をしているのだから、藍の活動力にはまったく恐れ入る。
「あ、そうだ。さっき最後の店で余った唐揚げと春巻きもらったんだけどよかったら一緒に食べない?」
藍はそう言うと自転車を降りて僕のそばまでやってくる。
そして背負っていたバッグを降ろして中を開けて見せた。
中を覗くとそこには柔らかそうな唐揚げと黄金色の春巻きが温かそうな湯気を放っていた。
「そりゃいい。ちょうどなにか買って帰ろうと思ってたんだ」
バッグに充満したおいしそうな匂いが僕の食欲を刺激する。
と、同時になぜか少し酸っぱい匂いが僕の鼻を刺激した。




