4-2.異常心理
「えっ!」
賢志郎は机の上に身を乗り出した。
さすがは現役警察官、手にしている情報量が桁違いだ。これまで少しも知らなかった事実が次々と明らかになっていき、賢志郎は胸を高鳴らせる。
「五年前、瀬鞠川市内で女子高生が帰宅途中を襲われ、姉と同じく腹部を刺されて亡くなっています。瀬鞠川東高校の生徒で、事件当時身につけていたセーラー服のリボンだけが現場から持ち去られていました」
瀬鞠川市は賢志郎の住む左座名市の二つ西隣の街だ。間に桜介の所属先・汐馬警察署のある汐馬市を挟む形で、県内でも西寄りの地域にある。
「瀬鞠川市には警察署がなく、汐馬署が汐馬市とともに瀬鞠川市も管轄地域として受け持っています。なので事件当時、僕も現場に入りました」
「捜査に参加したってことですか?」
「ええ。と言っても、その頃の僕はまだ刑事になりたてで、先輩の後ろをついて回っていただけでしたけどね。それでも、制服のリボンが犯人によって持ち去られていたことがわかった時、僕が姉の事件について進言したことで捜査の方向性が固まったんです。犯人逮捕には至りませんでしたが」
悔しさをにじませ、桜介は息をついた。
ずっと追い続けてきた人間を目の前で捕り逃したようなものだ。彼の覚えた歯がゆさは、賢志郎にも痛いほど理解できた。
「でも、どうして……」
賢志郎は首を捻る。
「どうして犯人は、リボンだけを盗んだんですか? 意味わかんないよ、リボンなんて持って帰って、なにに使うつもりだったんだ……?」
「自分で使うために持ち去ったとは限りませんよ」
え? と賢志郎が眉を上げると、桜介は眼鏡の位置を正してから話し始めた。
「シリアルキラー――連続殺人犯のことですが、彼らはしばしば犯行の証として現場から〝記念品〟〝戦利品〟などと呼ばれるものを持ち去ることがあります。指や耳など、被害者の肉体の一部を剥ぎ取ったり、あるいは今回のように被害者の身につけていたなにかだったり……犯人によってまちまちですが、異常心理を抱える犯人ほど、こうした特徴が顕著になります。よほどの自信があり、自らの犯行であることを誇示したいという心理が働いていると考えられています」
肉体の一部。賢志郎は身を固くした。血の気が引いていくのがわかる。
「被害者のものならなんでもいいと思っている犯人ももちろんいますが、中には持ち去る記念品にこだわりを見せる者もいます。たとえば、右手の親指が切り取られた遺体が出たとしましょう。それから数年スパンで同じように右手親指を切り取られた遺体がふたつ、三つと発見される……それらはすべて手口が同じですから、同一人物による犯行と考えられますよね。犯行と犯行の間で数ヶ月、数年単位の時間を空けるのもシリアルキラーの特徴で、その期間を『冷却期間』と言って、犯人が冷静さを取り戻し、次の犯行に備えるための時間だと言われています」
なるほど、理屈はわかる。しかし、指を切り取るというたとえがあまりにも残虐で、賢志郎は自分でも気づかぬうちに苦虫を噛み潰したような顔をして、右手の親指をきつく握り込んでいた。
「今回の一連の事件でも、記念品は制服のリボン……それもセーラー服の胸の前で結ばれているものに限定されています。同一犯の仕業とみてまず間違いないでしょう。そしておそらく、そこにはなにかちゃんとした理由がある……ピンポイントでリボンだけを持ち去っていく理由が」
「理由って?」
「それはまだわかりません。単純にリボンへの執着心を持った人間なのか、あるいはきみが先ほど言ったように、なにかに使うために集めているのか。犯人はセーラー服を着た女子高生ばかりを狙っていますから、〝リボン〟への執着ではなく〝セーラー服姿の女子高生〟への執着とみることもできます」
いずれにせよ、と桜介は眼鏡を押し上げる。
「無差別的に連続殺人を起こすほどの異常な心理状態に陥るには、それ相応の理由があります。主な要因としては、幼少期のトラウマ的経験……親に虐待されていたとか、誘拐やレイプなどの犯罪被害に遭ったとか。今回の犯人がセーラー服のリボンにこだわるのも、不安定な家庭環境の下で育ってきたなど、なんらかの過去の出来事と大きくかかわりがあるものと思われます」
「たとえば?」
たとえば、と桜介は少し考えるような顔で賢志郎の言葉を繰り返した。
「そうですね……では、こういうのはどうでしょうか。犯人――仮にXとしましょう。Xは男で、少し歳の離れた姉がいた。女性として成熟していく過程で、姉は弟であるXを性的な目で見るようになり、やがてXに対し性暴力を振るうようになる。その時姉が身につけていたのがセーラー服で、リボンを外し、いやらしい目をして胸もとをはだけさせる姉の姿が、Xの脳裏に強く焼きついてしまった」
うわぁ、と賢志郎は顔をしかめた。
「そりゃあそんな目に遭ったらトラウマにもなるよな……」
「トラウマばかりがきっかけとは限りませんけどね。なんらかの理由で『セーラー服をまとった女子高生を殲滅しなければならない』というある種の宗教的観念に囚われた人間が、自らの使命を全うすべく次々と女子高生を殺し歩いているとか、そういう話でも」
「うわ、それはそれでやばいな……!」
「殺人犯なんて、ふたを開ければみんな同じですよ。普通の人間がなんの苦もなく止まれる線、誰もが越えてはならないと知っている道徳的な一線を、彼らはひょいと踏み越えてしまえるわけですからね。なにかに取り憑かれでもしなければできないことです」
「取り憑かれる……」
「ええ。咲良や杏由美さんを襲った犯人もそうですよ。ひどく歪んだ環境で育ってきたであろう犯人は、なんらかのきっかけでセーラー服を身にまとう女子高生への殺人衝動を抱くようになった。先ほど挙げた性暴力の例をもう一度使わせていただくと、犯人Xは自らを傷つけてきた姉を真っ先に殺害したものの、過去の性暴力の記憶から逃れられず、咲良や杏由美さんに姉の姿を重ねてしまい、結果として殺人を繰り返してきたと、そういう理屈になります。つまりXは、いまだに姉からの性暴力を絶えず受け続けているという妄想に取り憑かれ、咲良や杏由美さんを自らの姉だと思い込んでいる。彼の認識としては、姉のことだけを何度も何度も殺しているわけです」
「なるほどね。Xにとって、あゆや咲良さんは自分のお姉さん……まるで知らない第三者じゃないってことか」
「あくまで可能性です。深く考えすぎないように気をつけてくださいね。偏った思考に囚われていると、真実を見失ってしまう」
桜介はほんの少しだけカップを傾けて喉を潤し、「まぁでも」と話を続けた。
「咲良も杏由美さんも、二件目の被害に遭われた瀬鞠川市の女性も、共通してレイプされた痕跡はありませんでしたから、単純な快楽殺人……とりわけ性的欲求の充足を目的とした犯行ではないことは確かです。被害者の共通項も〝セーラー服姿の女子高生〟というだけであまりにも漠然としていますし、やはり一連の事件を解決するカギは持ち去られたリボンにあると僕は思うんですよね……」
ソーサーに戻したほとんど中身のないカップをじっと見つめ、桜介は何やら深く考え込むような顔をして黙ってしまった。
難しく、やや重苦しい話に張り詰めていた空気がわずかに緩む。賢志郎は息をつき、夏みかんジュースに口をつけた。
正直、ここまで詳しい事情や見解を聞かせてもらえるとは思っていなかった。これまで考えもしなかったことが次々と頭の中に流れ込んでくる。増え続ける情報の海で溺れそうになりながらも、賢志郎は必死にもがいて桜介の話に食らいついていった。